いぬもあるけば・・・「初日 西−“か”43a」
‥‥ということだ(謎)。久々の色付き。しかし、この前に色付きを貰ったときとは状況は随分変わってきてしまっている。当時、インターネットはこれほど普及していなかった。今はウェブサイトも手軽にでき、そしてそれを世代の偏り無く色々な人に観て貰える。ネットによる個人の情報発信と交流が身近になった分、「情報発信とファン個人レベルの交流を目指したサークル参加」というコンセプトの意義は急速に薄れつつある。比重としてはイベントとして、お祭としてのものが大きくなっている。
 元々、私が参加する目的はある意味、「恩返し」だった。8年ほど前、精神的に参っていたときにエンパワーしてくれた音楽。再翔するきっかけを与えてくれた歌。しかし、決してメジャーとは言い難かったり(失礼)して、彼らに関する情報は不足勝ちだった。全てのアーティストに対して、オフィシャルのファンクラブが有るわけではない。数年前までマイナーアーティストのファンは一部を除き、孤独で情報飢餓の状態だった。注目していた音楽ユニット、一時ラジオ番組を担当するなど活動していたが、番組を終えてたちまち情報が手に入らなくなってきた。それほど売れなかったということなのか。
 90年代に入って、音楽業界は売れるものと売れないものの差が烈しくなってきた。今も続いているが、90年代になって益々、歌は使い捨てられるようになった。使い捨てられた歌はどうなってしまうのだろうか?忘れられ、消えてしまうのか?私にとって大切な、あの歌も。
 歌に「いのち」があるのならば、それは歌われ続けること、聴かれ続けることの中にあるのだろう。
 「紹介窓口の少ないお気に入りアーテイストの紹介と繋がりの薄いファン同士の交流」 私はこれを目的としてサークル参加することにした。以来、小さな声、拙い手であるが、芸能系サークルの1つとして活動している。個人ウェブサイト立ち上げの興隆にその存在意義が揺すられつつも。

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