例の勉強会の見学会として竹内順一先生と一緒に根津美術館で開催されている開館60周年記念名品展「第二部 国宝 漁村夕照図・鶉図 ―東山御物と唐絵の世界―」を見る機会を得た。
 いきなり遅刻しそうになる。表参道5番出口から美術館までのお洒落な店の並ぶ一本道を走る。ぎりぎり間に合った。
 土曜だったが、思ったほど混んでいなかった。お茶関係の方らしい着物を着付けた人やレポートのためにやってきた学生さんが目に付く。どこかのゼミなのだろうか?先生と学生の一団もあった。我々8名はパンフを片手に他の迷惑にならないように見学。竹内先生も時間のない方なので、見所の数点を一緒に見た後、解散ということに。
 展示室1に入ってすぐ、「瓜虫図」(重文:呂敬甫筆)を見る。竹内先生は文化史的な視点で解説してくれるので面白い。紙本彩色であるところがポイント。なぜこのような静物画が描かれたのか?美術をやっている人には常識なのだろうが、門外漢の私には新鮮な話だった。 「全てのものに仏あり」 この考えがこの絵が描かれた背景にある。後年、さらに写実が進んで、写実そのものが目的になっていったらしいが。何の変哲もない瓜と虫数匹の絵が、その「変哲もないこと」そのものに意味があったとは。面白い。
 続いて「鶉図」(国宝:李安忠筆と伝えられる)を見る。絹本着色。これは当時もっと大きな絵の一部だったらしい。そのなかの良いところを切りとって扇にしたらしい。当時はよく行われたことらしい。逆にそのように小さくしたために現存したということもあるだろう。確かに良いとこ取りしたのだなと思わせる絵。
 絵の前の人が減ったので「漁村夕照図」(国宝:牧谿筆と伝えられる)を見る。空気遠近法を巧みに使って霞んだ漁村の雰囲気を表している。思ったより大きい。これは瀟湘八景図巻の一部で大小それぞれ8つあるうちの大きい方の1つだという。余りに大きいので茶の席では用いられなかった、つまり茶における実用性はあまりなかったらしい。
続いて「夕陽山水画」(重文:馬燐筆)。絹本淡彩。これも”常識”なのかも知れないが、この絵は左右にあったものを上下に付け替えたものらしい。そのために、中央のトリニトロン管みたいに横筋が走っている。上に漢詩、下に絵という構成に変えたのだ。それが成功して味がある。このころの作った形そのままが大事という思想はないようだ。鶉図もそうなのだが、、自分たちの好みに自由にコラージュしている。その楽しみ方にちょっと感じるものがある。
 先生から窺ったのだが、絵が取りつけられている表具そのものが日本独特なもの。掛け軸は今でこそ床の間など限られたところに鎮座しているけれど、昔は茶会などの催し物のときに襖に掛けたものだった。襖には襖絵が描かれている。そのまま絵を掛けたのでは巻物の絵がよく見えない。そのため、背景の絵を分ける目的として表具が作られた。この辺りに日本人の空間把握のセンスを見る。表具が合っていなければ、ごちゃごちゃしていては絵は生きてこない。合った表具によって絵の魅力が増す。それも茶会で用いられることを前提にしているため、下から見上げると丁度良くなるような構成となっている。
 道具にはそれぞれ意味があってこの形になっている。普段見過ごしていることに気付かされる。
 他に見所や茶道具などを1時間弱見て回った。ここで先生はお帰りになった。残る面子で更に1時間見まわった後、喫茶する。私以外の皆さん、お茶をやっている。裏と表の人が違いについて話し合っているのを聴いてみたり。
 解散後、表参道を原宿駅まで歩いてみた。根津美術館周辺から原宿駅まで歩くと雰囲気の変化を楽しめる。勢いに乗って、原宿駅から渋谷駅まで歩いてしまった。さらに大きく変化する。根津美術館とハチ公像周辺の雰囲気の差は物凄いものがある。
 渋谷から大井町に移り、品川プライベに顔を出す。おしゃべりに終始。閉会後、ファミレス的蕎麦屋で食事。ウェイターの粗相に笑わせてもらった。ふぅ。

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