いぬもあるけば・・・「LivePainting」
2001年6月15日 「LivePainting Music Mix vol.7」というイベントを観に行った。会場は表参道ラパン・エ・アロ。以前、ぱぶりかが出演したイベントの会場。淡い記憶を頼りに開演30分後に到着。
会場入り口のドアを開けると、ピアノの音とリコーダーの音。中に入ると、奥のステージの壁に4畳近くある大きさの紙が貼られていて、黒い服装の男性が黙々と色を塗りたくっていた。
木村タカヒロという画家が行っている即興絵画イベント。即興演奏を行うミュージシャンとのコラボレーション。今回の共演ミュージシャンはダリエさんと栗コーダーカルテットから栗原さんと関島さんの3名。即興演奏された音から生まれるイメージが刷毛を走らせ、それから生まれた絵/パターンに触発されて音が奏でられる・・・という「正帰還」のシステムがコンセプトだと思われる。
その試みは面白いけれど、コンセプト通りの展開になっていたとはちょっと言い難かった。「即興」と「初対面」が混同されているのが原因かもしれない。絵画と音楽は方法や展開の仕方が異なっている。絵画の場合、やろうと思えば無から始められるのに対し、音楽の場合、最低限の構成要素が必要となる。それさえも投げ出して楽器に向かうならば、発せられるのは音楽ではなくノイズでしかなくなってしまう。はて?・・・ということは、分けるならば描画は肉体的な行為で、演奏は言語的な行為ということ?閑話休題。
イベントの前半はそんなわけで、「即興」というより「初対面」がテーマだった感じ。その場にいる人達がお互いに探りを入れ合っている状態。おそらくはその「探り」も木村さんが望んでいることなのだろう。「他者との対面」−「探り合い」−「場の形成」。
「描かれたもの」は最初は何だか判らない模様のようなものだった。黄色、オレンジ、赤が紙面に散らばっている、のたくっている。私は途中から入ってきたので白い紙の状態から観ていない。初めて観たときに感じたものは「森や林のイメージ」だった。色彩からすればとてもそれがイメージされるはずないのだが、その場で奏でられていた音楽によるものなのか、私にはそう感じられた。そしてそれは終始、変わらなかった。
開始1時間ほどで休憩になった。広い紙に浮かぶのは幾つかの顔のパターン。ハッキリと見えるわけではない。ある空隙を眼窩だと意識すると浮かび上がってくる顔のイメージ。ロールシャッハテストを受けているような、エッシャーなどのだまし絵というか錯視の絵画を観ているような奇妙な感覚。あれは口か?あれは目か?正面を向いている?横を向いている?人間の一番最初のパターン認識は人間の顔の表情だという話がある。保護者が今、どんな表情をしているか?笑っているか?怒っているか?私が「描かれたもの」の中に人の顔を見るのはそういうバイアスがあるためだろう。
休憩が終わった。私は新しい紙に新しいものを描くのだと思っていた。休憩は1つのイメージが出来上がったために取ったのだと、この作品は完成しているのだと思っていた。彼は同じ紙に色を重ねていった。それでも私はまだ塗り重ねはディテールを更に深めるためのものだと、完成度を高めるためのものだと思っていた。「ならば、あの「顔」は更にハッキリと現れてくるのだろう。あの意味深な空隙も何かの構成要素として塞がれてゆくのだろう」と。
あっと思ったのは、浮かんでいた「顔」が塗りつぶされたとき。それまで浮かんでいたものが壊され、潰された。そのときの彼の意図がどこにあったのか、尋ねることはできなかったので知ることは出来ない。行為に視点を置けば、すでに形作られていたものを破壊し、違うもの新たなものを生み出していたといえる。紙の上で起きた出来事に視点を置けば、それは将に「出来事」で、休憩時にあったイメージは確かにそのときにはあったのだ。そして今、この瞬間には違うイメージがある。しかし、以前のイメージを受け取った人にとって、その前のイメージも同等のものとして「在る」。そして現在のイメージも過去のイメージと同様に「無い」。
「LivePainting」というのは、そういうものを感じるイベントなのかもしれない。そして、ここに於いて、即興演奏という「音楽」との繋がりが、共通のものが浮かび上がる。
心地よい音楽とビールのお陰で意識が飛んだ。気が付くとイベントは終了していた。画家が向かっていない「描かれたもの」は猛獣狩りでハントされた獣の剥製。かつて生きていたもの。
青山通りにでて、渋谷駅まで歩いた。勢い余ってセンター街。宇田川町の大向幼稚園も過ぎたところでマヨネーズチャーシュー麺を食べる。480円ナリ。
店は混んでいた。カウンターにはチーマー風の男が二人。奥のテーブルには高校生だろうこれまた、これから朝まで遊び倒すのだろう男女の集団。
一人の女の子が前の道を歩く二人連れに気付く。両方とも知り合いらしい。「あ、どうしたのぉ?これからホテル行くのぉ?」
カウンターでは先ほどの男の一人が携帯で知り合いと話込んでいる様子。「えっ?中学生?マジかよ〜」
いかにもセンター街付近らしいお客の会話にお腹一杯。表参道との物理的距離を考えると更に感慨もひとしお。いや、うらやましがっているんですよ、私は。
お腹も一杯になったところで、駅に向かう。「ハチ公口は相変わらず込んでいるなぁ。」などと思いながら歩いている私の足を止める声。ストリートライブのようだ。低く説得力のある歌声に惹かれて、人溜まりに近づく。女性がヴォーカル、男性がギターの二人組み。アンプを持参していた。雨が止んでよかったね。取り巻きの人達の何人かはどうやらファンらしい、彼らのチラシを配っていた。手にとってみる。「バーゲンズ」というのが彼らのユニット名らしい。大阪圏で流れた「ほっかほっか亭」のCMタイアップが切っ掛けであちらでブレイク中とのこと。聞いた歌はちょっとむずがゆくなるガンバレソング。足を止めてみている人達の様子を観る限り、真面目に聞き入っている。魅力ある声がするっと聞かせているのだろう。ここで会ったのも何かの縁。チェックしてみよう。大阪発信となると「花*花」や「川崎洋子」などを思い出す。どうなるかな。[リンク]
会場入り口のドアを開けると、ピアノの音とリコーダーの音。中に入ると、奥のステージの壁に4畳近くある大きさの紙が貼られていて、黒い服装の男性が黙々と色を塗りたくっていた。
木村タカヒロという画家が行っている即興絵画イベント。即興演奏を行うミュージシャンとのコラボレーション。今回の共演ミュージシャンはダリエさんと栗コーダーカルテットから栗原さんと関島さんの3名。即興演奏された音から生まれるイメージが刷毛を走らせ、それから生まれた絵/パターンに触発されて音が奏でられる・・・という「正帰還」のシステムがコンセプトだと思われる。
その試みは面白いけれど、コンセプト通りの展開になっていたとはちょっと言い難かった。「即興」と「初対面」が混同されているのが原因かもしれない。絵画と音楽は方法や展開の仕方が異なっている。絵画の場合、やろうと思えば無から始められるのに対し、音楽の場合、最低限の構成要素が必要となる。それさえも投げ出して楽器に向かうならば、発せられるのは音楽ではなくノイズでしかなくなってしまう。はて?・・・ということは、分けるならば描画は肉体的な行為で、演奏は言語的な行為ということ?閑話休題。
イベントの前半はそんなわけで、「即興」というより「初対面」がテーマだった感じ。その場にいる人達がお互いに探りを入れ合っている状態。おそらくはその「探り」も木村さんが望んでいることなのだろう。「他者との対面」−「探り合い」−「場の形成」。
「描かれたもの」は最初は何だか判らない模様のようなものだった。黄色、オレンジ、赤が紙面に散らばっている、のたくっている。私は途中から入ってきたので白い紙の状態から観ていない。初めて観たときに感じたものは「森や林のイメージ」だった。色彩からすればとてもそれがイメージされるはずないのだが、その場で奏でられていた音楽によるものなのか、私にはそう感じられた。そしてそれは終始、変わらなかった。
開始1時間ほどで休憩になった。広い紙に浮かぶのは幾つかの顔のパターン。ハッキリと見えるわけではない。ある空隙を眼窩だと意識すると浮かび上がってくる顔のイメージ。ロールシャッハテストを受けているような、エッシャーなどのだまし絵というか錯視の絵画を観ているような奇妙な感覚。あれは口か?あれは目か?正面を向いている?横を向いている?人間の一番最初のパターン認識は人間の顔の表情だという話がある。保護者が今、どんな表情をしているか?笑っているか?怒っているか?私が「描かれたもの」の中に人の顔を見るのはそういうバイアスがあるためだろう。
休憩が終わった。私は新しい紙に新しいものを描くのだと思っていた。休憩は1つのイメージが出来上がったために取ったのだと、この作品は完成しているのだと思っていた。彼は同じ紙に色を重ねていった。それでも私はまだ塗り重ねはディテールを更に深めるためのものだと、完成度を高めるためのものだと思っていた。「ならば、あの「顔」は更にハッキリと現れてくるのだろう。あの意味深な空隙も何かの構成要素として塞がれてゆくのだろう」と。
あっと思ったのは、浮かんでいた「顔」が塗りつぶされたとき。それまで浮かんでいたものが壊され、潰された。そのときの彼の意図がどこにあったのか、尋ねることはできなかったので知ることは出来ない。行為に視点を置けば、すでに形作られていたものを破壊し、違うもの新たなものを生み出していたといえる。紙の上で起きた出来事に視点を置けば、それは将に「出来事」で、休憩時にあったイメージは確かにそのときにはあったのだ。そして今、この瞬間には違うイメージがある。しかし、以前のイメージを受け取った人にとって、その前のイメージも同等のものとして「在る」。そして現在のイメージも過去のイメージと同様に「無い」。
「LivePainting」というのは、そういうものを感じるイベントなのかもしれない。そして、ここに於いて、即興演奏という「音楽」との繋がりが、共通のものが浮かび上がる。
心地よい音楽とビールのお陰で意識が飛んだ。気が付くとイベントは終了していた。画家が向かっていない「描かれたもの」は猛獣狩りでハントされた獣の剥製。かつて生きていたもの。
青山通りにでて、渋谷駅まで歩いた。勢い余ってセンター街。宇田川町の大向幼稚園も過ぎたところでマヨネーズチャーシュー麺を食べる。480円ナリ。
店は混んでいた。カウンターにはチーマー風の男が二人。奥のテーブルには高校生だろうこれまた、これから朝まで遊び倒すのだろう男女の集団。
一人の女の子が前の道を歩く二人連れに気付く。両方とも知り合いらしい。「あ、どうしたのぉ?これからホテル行くのぉ?」
カウンターでは先ほどの男の一人が携帯で知り合いと話込んでいる様子。「えっ?中学生?マジかよ〜」
いかにもセンター街付近らしいお客の会話にお腹一杯。表参道との物理的距離を考えると更に感慨もひとしお。いや、うらやましがっているんですよ、私は。
お腹も一杯になったところで、駅に向かう。「ハチ公口は相変わらず込んでいるなぁ。」などと思いながら歩いている私の足を止める声。ストリートライブのようだ。低く説得力のある歌声に惹かれて、人溜まりに近づく。女性がヴォーカル、男性がギターの二人組み。アンプを持参していた。雨が止んでよかったね。取り巻きの人達の何人かはどうやらファンらしい、彼らのチラシを配っていた。手にとってみる。「バーゲンズ」というのが彼らのユニット名らしい。大阪圏で流れた「ほっかほっか亭」のCMタイアップが切っ掛けであちらでブレイク中とのこと。聞いた歌はちょっとむずがゆくなるガンバレソング。足を止めてみている人達の様子を観る限り、真面目に聞き入っている。魅力ある声がするっと聞かせているのだろう。ここで会ったのも何かの縁。チェックしてみよう。大阪発信となると「花*花」や「川崎洋子」などを思い出す。どうなるかな。[リンク]
コメント