いぬもあるけば・・・「新じゃが」
2001年6月23日 映画を見に行くつもりが、映画のような夢を見ていた(汗)。夕方の催し物に一緒に行く人からの電話が終演のベル。待ち合わせの打ち合わせをすれば頭も醒めてくる。
で、夕方。待ち合わせ場所は携帯が繋がらない場所だった。え?AUは大丈夫だって?207だからかなぁ。新宿駅西口で使えないのはヤバイだろ。
ヨドバシカメラにちょっと寄った後、駅に向かう途中で携帯が鳴る。親からだ。今日中に帰省するのか、それとも明日の早朝なのかの問い合わせ。多分に当日早朝に帰ると言っておいたのだが、今日中に帰ってくると思っていたようだ。始発に乗れば間に合うはずと伝える。
どうにか無事に話が済み、会場である幡ヶ谷の居酒屋に向かう。今日の趣向はこういうもの。
> 居酒屋ライヴ第42弾の目玉は、川越の百姓 吉澤重造氏の登場です。
>日本有機農研、大地を守る会を通じて20数年にわたってお付き合い願
>い、店での冬野菜は全て彼に頼っています。彼の作った新ジャガを味
>わいながらのトークライヴ、ご期待ください。
ここのライヴはよく見に行っているが、トークライヴは初めて見る。どんな展開になるのやら。音楽ライブでないので、お客はお馴染みさんばかり。
私の実家は農家ではないが家の前の本格的な家庭菜園で色々野菜を作っている。それに周囲に兼業農家が多いので農業そのものには馴染み深い。しかし、田植えなどの実作業にはほとんど関わったことがない。機会はあったと思うが、逃げていた。
小学生のとき、読んだ「複合汚染」(有吉佐和子:著)の知識を丸飲みして、農業を営んでいる伯母に「無農薬・有機農業に何故しないのか?」と吹っかけたことがある。農業の実体を知らない、無知で生意気な子供がそこにいた。他人の言葉で吹っかけたところで、説得力などあるわけがない。子供の戯言として処理された。まだまともに聴いてくれただけ、伯母はよい人だったと思う。
今でこそ減農薬野菜や有機野菜に関しては一定の市場があるが、当時は画一した市場しかなかった。人も農作物も画一化の流れにあった。一農家が文化的な生活を営もうとするとき、リスクを考えれば流れに乗るしかない。農産物も商品だ。売れなければやって行けない。
政治が民衆のレベルに即したものとなるのと同様、国内農産物も消費者のレベルに即する。(社会学的に言えば、農産物の個性化は消費者の個性化・国民の個性化に即しているのだろう。)
商品評価パラメータが外観(見栄えと流通性)だけだった時代では、もはや栄養などどうでもいい。まして減農薬・有機などは市場にとっては一部の農家の、言葉通りの、負のイメージの「拘っているだけ」のものでしかなかった。
「沈黙の春」などの書籍や市民活動が「農薬と化学肥料」を使い続ける自転車農業からの離脱を徐々に促していった。80年代から90年代にかけての消費者の「余裕」が後押ししたと考えられる。そして「自然を大切に」「自然にやさしい」という呪言の力。
まあ、そんな個人的な思いがトークライブを見に行くに際してあった。
お話はお酒を交えながら、ざっくばらんに始まった。ジャガイモについてはたまたま前日深夜のNHKの再放送「北海道スペシャル」で詳しく説明していた番組を見ていた。予習?
関東という土地でジャガイモ農家をやる苦労。雨の降るタイミングや土の状態(肥えすぎ)を考えると決して楽な商売ではないらしい。農家故に、生物学的本質主義的な発言がどうしても多くなる。本質主義に偏ることを注意すれば、話の対象を人に照らし合わせて聴くことで、ジャガイモを上手く育てるコツや失敗談などは得るものが多い。「育てる」という行為には共通するものがあるだろう。また「発達」という点でも。
「じっくりと育たないと・・・。急激に育ったものは水っぽくてスカスカだ。」 「タイミング良く枯らさないとイモに栄養が行かず、丈が延びる方に栄養が消費されてしまう」 「栄養が有り過ぎだと、却ってダメになってしまう」などなど。
なーんて、堅っ苦しいことは置いといて。話の間に出された茹でジャガイモや揚げジャガイモの美味しかったこと。まだ土のついているジャガイモがお土産。
そのまま帰るのもなんなので、新宿で飲み直す。冷えたシュタインヘイガーとボウモア12年。楽しく、落ち着いたひととき。
帰りの山手線。品川方面(内回り)はそれほどではないが、池袋方面(外回り)はものすごい人だかり。大丈夫かなぁ。新宿に遊びにくる山手線利用客は外回りの人が多いのだろう。内回りは途中に渋谷などがあるので遊び場としては分散されているのだろう。そんなことをホームで考えていた。
で、夕方。待ち合わせ場所は携帯が繋がらない場所だった。え?AUは大丈夫だって?207だからかなぁ。新宿駅西口で使えないのはヤバイだろ。
ヨドバシカメラにちょっと寄った後、駅に向かう途中で携帯が鳴る。親からだ。今日中に帰省するのか、それとも明日の早朝なのかの問い合わせ。多分に当日早朝に帰ると言っておいたのだが、今日中に帰ってくると思っていたようだ。始発に乗れば間に合うはずと伝える。
どうにか無事に話が済み、会場である幡ヶ谷の居酒屋に向かう。今日の趣向はこういうもの。
> 居酒屋ライヴ第42弾の目玉は、川越の百姓 吉澤重造氏の登場です。
>日本有機農研、大地を守る会を通じて20数年にわたってお付き合い願
>い、店での冬野菜は全て彼に頼っています。彼の作った新ジャガを味
>わいながらのトークライヴ、ご期待ください。
ここのライヴはよく見に行っているが、トークライヴは初めて見る。どんな展開になるのやら。音楽ライブでないので、お客はお馴染みさんばかり。
私の実家は農家ではないが家の前の本格的な家庭菜園で色々野菜を作っている。それに周囲に兼業農家が多いので農業そのものには馴染み深い。しかし、田植えなどの実作業にはほとんど関わったことがない。機会はあったと思うが、逃げていた。
小学生のとき、読んだ「複合汚染」(有吉佐和子:著)の知識を丸飲みして、農業を営んでいる伯母に「無農薬・有機農業に何故しないのか?」と吹っかけたことがある。農業の実体を知らない、無知で生意気な子供がそこにいた。他人の言葉で吹っかけたところで、説得力などあるわけがない。子供の戯言として処理された。まだまともに聴いてくれただけ、伯母はよい人だったと思う。
今でこそ減農薬野菜や有機野菜に関しては一定の市場があるが、当時は画一した市場しかなかった。人も農作物も画一化の流れにあった。一農家が文化的な生活を営もうとするとき、リスクを考えれば流れに乗るしかない。農産物も商品だ。売れなければやって行けない。
政治が民衆のレベルに即したものとなるのと同様、国内農産物も消費者のレベルに即する。(社会学的に言えば、農産物の個性化は消費者の個性化・国民の個性化に即しているのだろう。)
商品評価パラメータが外観(見栄えと流通性)だけだった時代では、もはや栄養などどうでもいい。まして減農薬・有機などは市場にとっては一部の農家の、言葉通りの、負のイメージの「拘っているだけ」のものでしかなかった。
「沈黙の春」などの書籍や市民活動が「農薬と化学肥料」を使い続ける自転車農業からの離脱を徐々に促していった。80年代から90年代にかけての消費者の「余裕」が後押ししたと考えられる。そして「自然を大切に」「自然にやさしい」という呪言の力。
まあ、そんな個人的な思いがトークライブを見に行くに際してあった。
お話はお酒を交えながら、ざっくばらんに始まった。ジャガイモについてはたまたま前日深夜のNHKの再放送「北海道スペシャル」で詳しく説明していた番組を見ていた。予習?
関東という土地でジャガイモ農家をやる苦労。雨の降るタイミングや土の状態(肥えすぎ)を考えると決して楽な商売ではないらしい。農家故に、生物学的本質主義的な発言がどうしても多くなる。本質主義に偏ることを注意すれば、話の対象を人に照らし合わせて聴くことで、ジャガイモを上手く育てるコツや失敗談などは得るものが多い。「育てる」という行為には共通するものがあるだろう。また「発達」という点でも。
「じっくりと育たないと・・・。急激に育ったものは水っぽくてスカスカだ。」 「タイミング良く枯らさないとイモに栄養が行かず、丈が延びる方に栄養が消費されてしまう」 「栄養が有り過ぎだと、却ってダメになってしまう」などなど。
なーんて、堅っ苦しいことは置いといて。話の間に出された茹でジャガイモや揚げジャガイモの美味しかったこと。まだ土のついているジャガイモがお土産。
そのまま帰るのもなんなので、新宿で飲み直す。冷えたシュタインヘイガーとボウモア12年。楽しく、落ち着いたひととき。
帰りの山手線。品川方面(内回り)はそれほどではないが、池袋方面(外回り)はものすごい人だかり。大丈夫かなぁ。新宿に遊びにくる山手線利用客は外回りの人が多いのだろう。内回りは途中に渋谷などがあるので遊び場としては分散されているのだろう。そんなことをホームで考えていた。
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