祖母の命日。

 出張は空調のトラブルでめちゃくちゃ寒かったことなどを除けば順調だった。スムーズに帰宅する・・はずだった。駅を降り、自室への道のりにある八百屋で野菜を買おうと思って足を停めた瞬間。カチッ・・・ガチャッという音。何だろ?足元を見つつ、左腕が軽くなっているのに気付く。側溝に腕時計が落ちていた。
 ガ〜ッ!慌てて格子状の金蓋を引き上げ、手を延ばす。金蓋はぬめっていた。幸い、水は浅く、穴も深くなかったためにすぐに取り出すことができた。脇の水道で時計を軽くすすいで拭く。耐水5気圧ものなので、浸水はしていない。ただ落下時の衝撃で針が止まっていた。ネジを回してみると動き出す。どうやら大事に至らなかったようだ。しかし、流石に野菜を買う気がなくなり、真っ直ぐ自室にもどった。
 この機械式スケルトン腕時計には思い入れがある。とはいえ値段的にも対したものではない。どんなメーカーで作られたのか。ENICARというメーカーが本当にスイスにあるのだろうか?それすら疑わしくなるような時計専門量販店で購入したもの。社会人になるのに際して購入した。その購入資金が祖母からの、祖父の戦死遺族年金から出された祝い金であること。そういう意味で、この時計は私にとって形見に近い。

 酒を飲みながら、TVを適当に見ていた。6月も終わりとなると最終回になるドラマも多い。日テレ系のドラマ「ピュアソウル」を見ていた。設定を知ったときは余りにコテコテだったので、敬遠していたドラマだ。淡々と話が進んで行く。 先程の出来事のせい?酒のせい?どちらかの、もしくは複合によって変異意識状態になったのか・・・。ドラマを見ながら考えや思いが浮かび上がる。
 愛する人を失うことと、愛する人を愛していたことを忘れてしまうこと。どちらが哀しいだろうか?
 それが鍵となって、パタパタパタと記憶とイメージのページが勝手に捲られてゆく。

 パタパタパタ・・牛山茂さん演じるチャーリー・ゴードンの姿が思い浮かんだ。「アルジャーノンに花束を」という小説は主人公の「日記」を通して話が進む。これに対し、「アルジャーノンに花束を」という劇は主人公以外の人々の視線も混ぜ合わせる。
 知性の発達したチャーリーを愛したアリス・キニアンの目を通して、物語を読む。妹ノーマの目を通して、物語を読む。このとき、アリスは浩介、ノーマはひまわりそしてチャーリーは薫に重なる。
 完全に知性が後退しきってしまった後、愛したチャーリーが養護学校の生徒として教師アニスの目の前に再び現れる。アニスが愛したチャーリーはいない。語らい、触れ合った記憶を彼が未だ持っているのか?あるとしてもその記憶を認識できないならば失われてしまったのと同じ。アニスはただ一人、そのときの思いを胸に抱え、教師として彼に接しなければならない。かつてどれほど愛しあっていたとしても、もう彼はアニスの思いに答えることは二度とできないのだ。
 ノーマにとっての兄は今や知性が後退する前にであった立派な兄しかいない。研究で多忙で合いにくることができないけれど、大金を送ってくれた。立派な兄のお陰でこれから幸せになれる・・・。昔のサイテ−な兄が、元に戻ってしまった兄が彼女の心に占める場所はない。

浩介:「お母さんは天国にいるんだよ・・・」

 パタパタパタ・・榛野なな恵の「Papa told me」で最も好きなエピソード「スノー フレイク」が思い浮かんでしまった。亡き妻を想う信吉の独白が思い出されて胸がつまる。

  高い遠い所から 空の彼方から
  誰かの手が 雪をふらす
  白い手が
  白く 優しく あたたかく なつかしい手が
  君が―――

  君はそこにいる 僕はここにいる
  つまり それだけの違いだ

  そして僕は ここにいる僕は
  君のかわりに 君の夢や望みを
  かなえることが きっとできる

  遠く高く はるか彼方から
  優しい手が・・・

 パタパタパタ・・命掛けて守るという誓い。しかし守るべき人は今はいない。残されたのは内なる誓いのみ。

 様々なイメージが連想によって立ち現れてきた。そして、酔いに任せて、大人気無いことになっている私がいた。ダサ〜(苦笑)

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