いぬもあるけば・・・「目覚まし時計」
2001年7月12日 深夜に再放送を見る。ETV2001「世界を体で感じよう:宮崎駿」 吉本ばなな(おそらく)とのインタビュー。
語る言葉から、宮崎駿さんはアンビバレンツを感じているのではと感じた。アニメーション作家としての活動の影響力を恐れている。「引退だ、引退だ」と事ある度に言うのは彼の悲鳴なのかもしれない。止めたくても、降りたくても・・・「さまよえるオランダ人」。
哀しいことに、彼の作品のレベルが高い故に、観客はそれから受けるもので満足してしまうのだ。映像から受ける自然の素晴らしさや飛翔感など。アニメーターの夢は「まるで本物みたいに」そして「想像の杖で世界を創造する」こと。アニメーションはかつてリアルに恋い焦がれるバーチャルだった。しかし、それが大衆化し普及するにつれ、存在の建前が崩れてきた。バーチャルが存在する前提はリアルの存在。送り手と受け手の共通了解としてのリアル。それは体感的世界。イメージの翼が羽ばたくには知力と情熱が必要だ。そして豊富なリアルがなければ羽ばたきによる揚力が生まれない。
世界の果てをめざし、そして自らの手で世界を広げ、構築することは大変なことだ。志半ばで力つき倒れてしまう人達がほとんど。そこで頭の良い者達は考えた。「そこまでしなくたって、今ある世界で十分だ」 そして記号化が始まった。パロディという形で始まったものが、次第にそれそのものが目的化されてゆく。もうリアルは必要ない。いや、リアルよりも純粋だ。「人間では表すことが出来ない、僕らが失ったピュアがここにある」 現実界を超える想像界。ドラッグトリップ。バベルの塔。
喜びと危機感を持って、宮崎駿は三鷹に美術館を開く。彼の趣味丸出しのオモチャ箱のような空間。来館者はここで「遊ぶ」。そのための仕掛けが用意してある。「身体と精神の両立」を隠しテーマとして。
・・・などと妄想を膨らませながら見ていた。
今週頭の梅雨明けのお陰で目覚まし時計が要らない。4時に寝ても5時に寝ても7時半に目が覚める。暑さと喉の乾きで(沈)。睡眠時間が少ないと夏バテしやすいことを「体感」した。(しなくていい(汗))
そんな状態で初台の東京オペラシティーの近江楽堂に行った。古楽器によるバロック室内楽を演奏する「ko-ha-ku」というバロック・アンサンブルの結成公演を聴きに行くために。
バロック音楽は割と好きで、NHK−FMの「朝のバロック」を聴くのが楽しみだった。健康的な生活をしていたときは(汗)。
古楽器への関心は学生の時の影響だ。人文学部で科学思想史を研究している教授のゼミに潜り込んだりした後に、先生が趣味でチェンバロを買ってしまったという話を聞いて驚いた。学士のときの研究室の担当教官がやはり音楽好きである地方公民館に有田正広さん率いるアンサンブルの公演に誘ってくれた。その時に聞いた演奏とフラウト・トラヴェルソやヴィオラ・ダ・ガンバという一度聞いたら忘れられない名称。後年、HD社のアラベスク2というPBMで風の魔族PCにフラウト・トラヴェルトという名を付けた。そんな(変な)因縁もあって、古楽器に対して関心を持ち続けていた。
会場は小さな楽堂で、自由席だった。早めに来たので割と良い席に座れた。奏者が出てきて、演奏が始まる。オーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバそしてフラウト・トラヴェルソ。クレープスの作品。それから自己紹介。男性1人と女性3人のユニット。男性がリーダーで寒いギャグを取り混ぜながらMC。堅苦しくないユニットであることを印象づけることに関しては成功。それからテレマンの作品2曲を演奏して10分の休憩。テレマンの曲は「朝のバロック」でよく聞いていたので馴染み深い。ターフェルムジークから2つが演奏された。2つめはバロック・ヴァイオリンが加わりクインテットとなった。
バロック音楽は心地よい・・・それが仇になった。睡眠不足からもたらされる睡魔との戦い(大汗)。なまじ小さなホールの良い席なだけに、舟を漕ぐのは目立ちすぎる。もう、大変ッス。なんでこんなに眠くなるのかと思っていたが休憩時に判った。演奏中は音が邪魔しないように空調を止めているのだ。そのため演奏が進むにつれて暑くなってくる。睡眠不足と暑さが睡魔の発生原因だった。
原因が判ったところで、対策がなければ仕方ない。10分の休憩はあっという間に終わり、演奏が再開された。J・S・バッハ、J・E・バッハそしてJ・C・バッハと小川さん一族の作品3つ。最後の作品にはまたオールド・ヴァイオリンが加わってのクインテット。演奏が、そして睡魔との戦いが終わった。ぐふぅ。
結成公演ということもあって、観客の多数が出演者の知人だったようだ。ロビーで話し合ったり、写真を取ったりしていた。私は隣駅の幡ヶ谷に寄ろうか、それとも真っ直ぐ帰ろうか悩みながら駅に歩き急いだ。
語る言葉から、宮崎駿さんはアンビバレンツを感じているのではと感じた。アニメーション作家としての活動の影響力を恐れている。「引退だ、引退だ」と事ある度に言うのは彼の悲鳴なのかもしれない。止めたくても、降りたくても・・・「さまよえるオランダ人」。
哀しいことに、彼の作品のレベルが高い故に、観客はそれから受けるもので満足してしまうのだ。映像から受ける自然の素晴らしさや飛翔感など。アニメーターの夢は「まるで本物みたいに」そして「想像の杖で世界を創造する」こと。アニメーションはかつてリアルに恋い焦がれるバーチャルだった。しかし、それが大衆化し普及するにつれ、存在の建前が崩れてきた。バーチャルが存在する前提はリアルの存在。送り手と受け手の共通了解としてのリアル。それは体感的世界。イメージの翼が羽ばたくには知力と情熱が必要だ。そして豊富なリアルがなければ羽ばたきによる揚力が生まれない。
世界の果てをめざし、そして自らの手で世界を広げ、構築することは大変なことだ。志半ばで力つき倒れてしまう人達がほとんど。そこで頭の良い者達は考えた。「そこまでしなくたって、今ある世界で十分だ」 そして記号化が始まった。パロディという形で始まったものが、次第にそれそのものが目的化されてゆく。もうリアルは必要ない。いや、リアルよりも純粋だ。「人間では表すことが出来ない、僕らが失ったピュアがここにある」 現実界を超える想像界。ドラッグトリップ。バベルの塔。
喜びと危機感を持って、宮崎駿は三鷹に美術館を開く。彼の趣味丸出しのオモチャ箱のような空間。来館者はここで「遊ぶ」。そのための仕掛けが用意してある。「身体と精神の両立」を隠しテーマとして。
・・・などと妄想を膨らませながら見ていた。
今週頭の梅雨明けのお陰で目覚まし時計が要らない。4時に寝ても5時に寝ても7時半に目が覚める。暑さと喉の乾きで(沈)。睡眠時間が少ないと夏バテしやすいことを「体感」した。(しなくていい(汗))
そんな状態で初台の東京オペラシティーの近江楽堂に行った。古楽器によるバロック室内楽を演奏する「ko-ha-ku」というバロック・アンサンブルの結成公演を聴きに行くために。
バロック音楽は割と好きで、NHK−FMの「朝のバロック」を聴くのが楽しみだった。健康的な生活をしていたときは(汗)。
古楽器への関心は学生の時の影響だ。人文学部で科学思想史を研究している教授のゼミに潜り込んだりした後に、先生が趣味でチェンバロを買ってしまったという話を聞いて驚いた。学士のときの研究室の担当教官がやはり音楽好きである地方公民館に有田正広さん率いるアンサンブルの公演に誘ってくれた。その時に聞いた演奏とフラウト・トラヴェルソやヴィオラ・ダ・ガンバという一度聞いたら忘れられない名称。後年、HD社のアラベスク2というPBMで風の魔族PCにフラウト・トラヴェルトという名を付けた。そんな(変な)因縁もあって、古楽器に対して関心を持ち続けていた。
会場は小さな楽堂で、自由席だった。早めに来たので割と良い席に座れた。奏者が出てきて、演奏が始まる。オーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバそしてフラウト・トラヴェルソ。クレープスの作品。それから自己紹介。男性1人と女性3人のユニット。男性がリーダーで寒いギャグを取り混ぜながらMC。堅苦しくないユニットであることを印象づけることに関しては成功。それからテレマンの作品2曲を演奏して10分の休憩。テレマンの曲は「朝のバロック」でよく聞いていたので馴染み深い。ターフェルムジークから2つが演奏された。2つめはバロック・ヴァイオリンが加わりクインテットとなった。
バロック音楽は心地よい・・・それが仇になった。睡眠不足からもたらされる睡魔との戦い(大汗)。なまじ小さなホールの良い席なだけに、舟を漕ぐのは目立ちすぎる。もう、大変ッス。なんでこんなに眠くなるのかと思っていたが休憩時に判った。演奏中は音が邪魔しないように空調を止めているのだ。そのため演奏が進むにつれて暑くなってくる。睡眠不足と暑さが睡魔の発生原因だった。
原因が判ったところで、対策がなければ仕方ない。10分の休憩はあっという間に終わり、演奏が再開された。J・S・バッハ、J・E・バッハそしてJ・C・バッハと小川さん一族の作品3つ。最後の作品にはまたオールド・ヴァイオリンが加わってのクインテット。演奏が、そして睡魔との戦いが終わった。ぐふぅ。
結成公演ということもあって、観客の多数が出演者の知人だったようだ。ロビーで話し合ったり、写真を取ったりしていた。私は隣駅の幡ヶ谷に寄ろうか、それとも真っ直ぐ帰ろうか悩みながら駅に歩き急いだ。
コメント