夕方、動く。骨董屋のゼミに出るために。
 今日のお題は「松屋会記」という茶会記(茶湯日記)。
昔の人の中には豆な人がいたもので、出席した茶会の様子を日記の形で綴っている人がいた。しかも世代を超えて。松屋会記は久政・久好・久重の3代、118年間の日記だ。よく続いたものだと思うが、この茶会記が残っていなければ、北野大茶会の様子を記したものはなかったという。現代に繋がる「茶の湯」が当時どのようなものなのか知る重要な資料となっている。そして、他の茶会記よりも「仕立て」、懐石料理の記載が多い。
 当時は朝茶(朝の茶会)が多かったらしい。朝といっても、4時とか5時とか日が出るかでないぐらいの早朝。茶会の主役は町衆、つまり商人達。朝茶は今で言えば財界人の仕事前の朝食会のようなものだったと考えられる。文化の1つという側面以外の茶が見える。
 今回のゼミの趣向は当時の茶における仕立ての記述。これから大名や大商人達がどんなものを口にしていたのか判る。そして、今の茶との違いも。
 久重が大和郡山の大名、松平忠明に正月の詣でをしたときに受けた接待の記述を読む。うーむ、なんて豪華なんだ。大名とはいえ350年以上昔だから大したものを食べてはいないだろうと思っていたが、その豪華さに驚いた。一の膳、二の膳、三の膳それ以外にもおつまみの数々。鯛のお造り、スズキや松茸の汁、生鮭、鯉、鰤、鮎、白魚、デザートには梨や蜜柑など。これが正月4日の献立であることを考慮するとどれほどの贅沢さだろうか。考えてみれば、茶というのは食うに困らない人達によって広まり発展してきたもの。それを改めて認識させられた。
 脱線話が面白い。正倉院というものは敷地の東西南北などにある倉の内の中央に位置しているものを意味している。昭和天皇の御物は「三の丸尚蔵館」で展示してあるらしい。入館料無料らしいので一度行って見たいものだ。

 ゼミ終了後、お茶会。中国茶を頂く。

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