いぬもあるけば・・・「その日」
2001年9月6日友の誕生日。
夕方、恵比寿の東京都写真美術館ホールに掛けつけた。明日まで上映している「アリーテ姫」を再度、観るために。上映は始まっていた。 観賞終了後、サントラCDを購入。
久々に五反田から東急池上線に乗る。いつもの南武線とは乗客の雰囲気が違う。意識化された『差』は久が原駅を降りて、例の骨董屋に向かいながらも感じていた。
今日はゼミの日。先生はまず最初に全員にハガキを配る。根津美術館のDMだ。『東山御物の茶道具 −大名物・名物を中心に−』「機会があれば見に行って下さい。」 この展示の主な展示作品についてのコメントがあった。主な展示作品として上げられているもの全てが東山御物ではないという話やここに書けない話など。 そもそも東山御物は昔『東山殿御物』と言われていたらしい。足利義政を東山殿と呼んでいた。義政(東山殿)の品(御物)という言い方。それが研究者によって時代区分するための単語に意味を変えられた。義政の品ではなく、「義政の時代の品=東山文化の頃の品=東山御物」と。それが大正末期から昭和初期のこと。以前ネタにした当用漢字制定の裏話が知識としてあるので、権威ある一研究者による改変そのものには驚かなくなっている。話は更に飛ぶ。「大名物」という言葉も近代に入って作られたものらしい。円周という人が活躍した時代の品を「中興名物」とある文献で言っていた。それに対して、研究者が利休の頃の良い品を「名物」と、そしてそれ以前の良い品を「大名物」と定義した。 先生の話のネタの引き出しは閉まらない。「御物の読み方というのもまた色々定義されていてね・・・。」〈ぎょぶつ〉、〈ごもつ〉という読み方がある。使われていないが、更に〈ごもち〉という読みがある。〈ぎょぶつ〉は漢音。〈ごもち〉が呉音。〈ごもつ〉は呉音の慣用読み。仏教用語が呉音読みで入ってきたために日本人は呉音に高級なイメージを付与している。さて、そういう権威が好きな人は、もったいつけるために読みを変える。天皇家の品を特別に御物と書いて〈ごもつ〉と呼ばせ、天皇家以外の例えば将軍家の品を挿す御物を〈ぎょぶつ〉と。何だかナ〜と思うが、先生はそういう拘りも「豊かな日本人の文化」だと言う。藤原定家を「ふじわらのさだいえ」と呼ばずに「ふじわらていか」と呼ぶのと同じか。
結局、ハガキ一枚で1時間お話。続いて先生が面白いと思った本の紹介。安土桃山時代の人々の言葉を探る貴重な文献として、「日本ポルトガル辞書」を上げられた。当時、訪れた宣教師が纏めたもの。岩波書店から出ているらしい。第2版が使いやすいとのこと。これで当時の読み方や、変わる前の言葉の意味を知ることが出来る。
例えば『染付』は広辞苑に拠れば「生地に藍色の絵模様を描き、その上に無色の釉をかけて焼きつけたもの」とあるが、当時は藍色だけでなく赤や黄など様々な色で描かれたものも染付と言ったらしい。これを知っていると、「箱入りの銘に染付とあるのに藍色以外の色がある。偽物では?」という話に頭から偽物扱いせずにきちんと対応できる。 この話はおとぎ話ではありません。
それ以外にも今井宗久を主人公にしたという点で興味深い歴史小説「覇商の門」(火坂雅志:祥伝社)や信長の描写に引き込まれたという「安土往還記」(辻邦生)、そしてあの夢枕獏の「陰陽師」も面白いと紹介。まさか「陰陽師」が紹介されるとは意外だった。
長ーい前置きが終わり、スライドによる講義が始まった。最初のスライドは・・・スーパーでよく見かける刺身盛り付け用の発泡スチロールトレーだった。模様が印刷されたシールが貼られている。これは一体・・・。
今日のお題は「代用材料の問題」。日本人は代用材料を使った上で機能とは別個に元のものの『形』に拘ってきた。発泡スチロールトレーにわざわざシールを貼る感性がそれだ。現代にも残るそれは、茶道具にも観ることが出来る。天目と天目台という焼き物の茶道具がある。徳川美術館にある黄金の天目と天目台には良い品としての特徴をわざわざ追加している。釉薬の垂れ具合やろくろ痕など黄金の品ならば出来ないものが。時代を遡り、土師器にも拘りが観られる。木製の高坏を似せた土師の高坏(8世紀)が奈良県で出土している。水差という焼き物の茶道具には元になった桶の形が残っている。変わり種では魚籠の形が。
「日本人は『形』に拘る」・・・この言葉と先生が先程面白かったという小説「陰陽師」が私の頭の中でリンクした。陰陽道の『呪(しゅ)』の思想は日本人にとって最も身近な宗教的アイテム「お守り」などにも散見される。似た形のものは魂も似る。例え素材を変えても、その形を似せることにより、元の道具の魂を引き継がさせる。日本人の美意識の中に刷り込まれているのだろう。そんな妄想が閃いた。
スライド上映が終わった。戦時中、金属を供出したためにあらゆる物が焼き物で代用されたという。瀬戸の洗面器や国体優勝のメダル、服のボタンなど。各地の焼き物作家はそういうものを作っていた。そんな話をしつつ、先生が鞄から取り出したものがまた衝撃的な物だった。京都の骨董市で見つけたというそれは「信楽焼の手りゅう弾」だった。本物ではなく、模擬手りゅう弾らしい。旧日本軍の手りゅう弾はピンを抜いてから爆発するまで3秒。それを踏まえて投げる練習に使ったものだと思われる。それが信楽なのだ。風合いは確かにそれだった。
ゼミが終了し、先生がお帰りされた後、参加者の方が持ち寄った料理が余りに美味しいので酒屋で酒を買って呑む事に。ゼミに関連を持たせようと、純米吟醸「備前幻」を購入。名前買いしたのだが、当たりだった。
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