いぬもあるけば・・・「リアル タイム、イマジナリー タイム」
2001年9月11日 帰宅時間は22時過ぎだった。
いつもの様にTVを点け、ニュース番組をやっているTV朝日にチャンネルを合わせた。ディスプレイには・・・不思議なものが映っていた。煙を吹いている高層ビル。
「・・・あれ?まだ映画をやってるのかな?」
その疑問は最悪の形で否定された。
目の前の画像が信じられなかった。こんな映像が現実のものであるはずがない。テロでこんなことが成功するはずがない。航空機2機が時間を置かずにあんな小さな目標に自ら突っ込むなんて。当てようとして当てられるはずがない。しかし、そのあり得ない光景が目の前のモニター上で何回も何回もリプレイされていた。それはセンスの最悪なVJの映像の様に。
PBM仲間が集まるチャットサイトに行きながら、TVのモニターをチェックし続ける。次々入ってくる生の情報。今、現在起きていることがモニター越しに伝えられる。デジャ・ビュ。この感覚は前にも感じた。あれは湾岸戦争か。現実感が浸食される。大変な事、とんでも無い事、悲惨な事。
己が仮想の映像に如何に慣れているかを思い知る。テロの映像を見ても、それを一旦仮想映像として受け止めている回路が出来上がっている。モニターを通して大事な人の死に様を見たときに私はどう感じるだろうか?仮想の映像だと受け止めてしまわないだろうか?
決定的瞬間の映像が繰り返される事で陳腐化されてゆく。唯一の出来事も事件として客観視されることで人々は客体として受け入れる。・・・他人事として受け入れる。そう受け取ってしまうことの哀しみ。そう受け入れざるを得ない哀しみ。そうやって生きて来た。そうやって生きて行く。
新たな情報が飛び込む度にショックを受けている仲間の様子がチャットを通して感じられた。と、同時に全世界でこのように回線を通じて、事件を語り合っている人達がいることが想像され・・・。想像は時に危険だ。戻ってこれなくなる。深淵を覗いたものが帰れなくなるように。怖れる者である私は、今はただ『エポケー』するしかない。
いつもの様にTVを点け、ニュース番組をやっているTV朝日にチャンネルを合わせた。ディスプレイには・・・不思議なものが映っていた。煙を吹いている高層ビル。
「・・・あれ?まだ映画をやってるのかな?」
その疑問は最悪の形で否定された。
目の前の画像が信じられなかった。こんな映像が現実のものであるはずがない。テロでこんなことが成功するはずがない。航空機2機が時間を置かずにあんな小さな目標に自ら突っ込むなんて。当てようとして当てられるはずがない。しかし、そのあり得ない光景が目の前のモニター上で何回も何回もリプレイされていた。それはセンスの最悪なVJの映像の様に。
PBM仲間が集まるチャットサイトに行きながら、TVのモニターをチェックし続ける。次々入ってくる生の情報。今、現在起きていることがモニター越しに伝えられる。デジャ・ビュ。この感覚は前にも感じた。あれは湾岸戦争か。現実感が浸食される。大変な事、とんでも無い事、悲惨な事。
己が仮想の映像に如何に慣れているかを思い知る。テロの映像を見ても、それを一旦仮想映像として受け止めている回路が出来上がっている。モニターを通して大事な人の死に様を見たときに私はどう感じるだろうか?仮想の映像だと受け止めてしまわないだろうか?
決定的瞬間の映像が繰り返される事で陳腐化されてゆく。唯一の出来事も事件として客観視されることで人々は客体として受け入れる。・・・他人事として受け入れる。そう受け取ってしまうことの哀しみ。そう受け入れざるを得ない哀しみ。そうやって生きて来た。そうやって生きて行く。
新たな情報が飛び込む度にショックを受けている仲間の様子がチャットを通して感じられた。と、同時に全世界でこのように回線を通じて、事件を語り合っている人達がいることが想像され・・・。想像は時に危険だ。戻ってこれなくなる。深淵を覗いたものが帰れなくなるように。怖れる者である私は、今はただ『エポケー』するしかない。
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