早退して斎場に向かった。赤羽駅で山口県から駆けつける先輩と携帯で連絡を取る。丁度浜松駅付近らしい。ということは飛行機か。
 南与野駅に着いてタクシーを求めたが、これが中々来ない。20分ほどしてようやく私の乗車する番になった。流石に目的地が目的地なだけに運ちゃんも言葉を掛けてこない。それに気が付き、改めて自分がどこに向かっているのかを認識する。こうやって動いているが、どうも現実感がない。埼玉大学前の通りは混んでいてなかなか前に進まない。ようやく目的地に。すでに通夜は始まっていて記帳していると読経が聞こえてくる。
 部屋に入る。正面に奴の写真が。グッと来るものが。初めて会うご両親に挨拶をしながら、「ああ、両親に似ているな」と思った。そして、丁寧にゆっくりお焼香した。会場を見回して知人の姿を見つけ、隣の座席に。
 私が来てしばらくしたら読経が終わり、式としての通夜が終わった。親族に控えの間へと案内されるが、我々はまだ到着しない先輩を待つことにした。
 ようやく到着した先輩がお焼香を済ませてから、控えの間に移った。ちょっとした食べ物が用意されていたが、とても箸を取る気になれない。ビールを少々飲みながら話をした。煙草の煙が気になるOさんと共に離れていた先輩の座席に移り、先日焼いてもらったベタ焼きを取り出した。貸しバンガロー旅行の写真には奴の姿が。こんなタイミングで皆に見せることになるとは。挨拶に回ってきた彼のお父さんにも事情を話しながら見てもらった。だが画面が小さすぎてよく判らなかったろう。お父さんの「結婚の話も持ち上がっていたのに・・・」という話に悲劇ではなく驚きを感じた。そのような話、全く聞いていない。元々、そういう事を自ら話す奴ではなかったが。近いと思っていたが、遠かったのだろうか。
 通夜には我々以外にももう1つの団体関係者が集まっていた。大学のシミュレーションゲーム研究会の面々。私も会員だったので面識がある人が大勢いた。シミュ研ってこんなに絆の強い団体だったろうか?意外なのは奴より遙かに下の後輩らしき人たちの存在。葬儀ならともかく通夜に駆け付けるのだ、実体のある繋がりがあるはず。会場を出てから、彼らと一緒に「我々の通夜」として一緒に呑むことにした。
 奴に関する話をしていると、ちょっとかみ合わないものを感じた。私の知っている奴の印象とシミュ研の後輩が語る奴の姿がかみ合わないのだ。後輩は皆、異口同音に「大変お世話になった」と言う。私が知っている奴はいい奴だったが、「面倒見がいい」「自ら企画を立てる」などのリーダー性はそれほど見受けられなかった。私たちの知らない奴の姿があった。
 その理由だが、どうやら、シミュ研の日常的な長老となっていたためらしい。奴は留年4回+ドクターストップで9年間、学部に在籍していた。工学部は留年者が多いとはいえ、さすがに同期もいなくなる。呑み仲間や遊び仲間が後輩だらけ。自分が動かないと企画を立ち上げたり実行したりするものが少なかったことが参謀肌の奴を前面に出させることになったようだ。まるで蜀の諸葛孔明の様に。
 卒業後の社会人としての奴も社長に可愛がられるほどアクティブかつポジティブだったようだ。
 話を聞けば聞くほど、認識の差が見えてくる。MLを通しての奴はそれほど変わったようには見えなかった。状況が人を変えたのか。それとも我々、MLメンバーにはそういう面を隠していたのか。 推測されることが1つある・・・が、止めよう。
 明日の葬儀は10時から。そんな訳で終電に間に合うように呑みの席を辞した。

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