いぬもあるけば・・・「ともしび」
2001年11月18日 アリーテ姫のサントラCDを聴きながら、内野駅から写真部の部室まで歩く。ロシア語の歌が茫漠とした旅情を更に掻き立てる。
自分が住んでいた、あの日々を過ごしたアパートの前で足を停める。工学部坂の上から、海を見やる。キャンパス内を進む。白い雲の帳の隙間から覗く鮮やかな青を捉える。軽い感慨に浸りながら呟いた。
「・・・思いが残る・・・」
新幹線の中で「虹の天象儀」を読み終えた。読みはじめからヤラレタと思っていたのだが、本当にヤラレタ。「思いが残る」 人の思いの灯火は消えない。個人がいなくなっても灯火は次の人に、残された人に引継がれる。
聖火ランナーが走りながら掲げる炎は物質として固定されたものではなく、瞬間瞬間違うものだ。思いの灯火も、それと同様に思いの灯火もそのものが引継がれるのではない。灯火たらしめる情熱やそこから発せられる輝きが伝播し、受け継がれるのだろう。我々は様々なレベルで受け継いでいる。故人の思いの灯火を思い出といいうレベルで。太古に発せられた「生きたい」という思いの灯火を我々は本能というレベルで。「生きたい」という思いを最初に発したのは誰だろう。イノチか?ガイヤか?ギンガか?それとも・・・
内野駅からの道のりの朝日新聞販売店の掲示板にある写真が貼ってあった。小説にでてくる珍しい自然現象を映したものだった。日時的に作品が完成してから撮影されたもののはず。そして小説を読み終えたばかりの私がそれの前を通りかかる。掲示板の前で、タイミングの見事さにクラクラしていた。読む前ならば見過ごしていただろう。読んでしばらく経っていても、このような感慨はない。「何か」をかみ締め、「何か」を予感しつつ、キャンパスに向かった。
暗室設備を借りて、モノクロを焼くのが私が写真部の部室に来た目的だった。現像液を溶かし、停止液を薄め、定着液を用意する。ベタ焼きで引き伸ばしてみようと思ったものをまずはカビネ版に焼いてみた。「今は無き寮の室内。卒展で発表した全紙とギリシャの風景カレンダーを掲げた壁」「暗い非常口の扉の前にある一足の靴」「清流で冷やされる鶴の友」「キャンパス近くの国道。深夜、開通前に忍び込んだ路上で寝転がる」「故I君も参加した旅行の1シーン」・・・
現像液に付けた印画紙から像が浮かび上がる楽しさを久々に味わった。だが、作品は全紙に耐えられるレベルのものはほとんどない。精神状態がヤバイ時の写真はピントもいい加減。撮影者本人にとっては全紙に引き伸ばす意味は大きいがグループ展示作品としてはどうだろうか?個展のような好き勝手は出来ないだろう。
部室にちょっと変ったノートがあった。読んでみた。真摯な書き込み。ああ、もっと近くに住んでいたら、こいつらとバカやったりして、もっと関わって干渉しあうのだがなぁ。ストレンジャーである私にはそれは難しい。
出来るのは、「君たちを見ているよ」というサインとしての小さな書き込みだけ。すくらっぷブックのアルフヘイムのマスターのような気持ちだ。
20時頃、部室を出ると曇りかけていた。どうやら帰らざるを得ないようだ。天気予報も曇りらしい。晴れているならば、全紙を焼くついでにキャンパス内で観測するつもりだったのだが・・・。
自分が住んでいた、あの日々を過ごしたアパートの前で足を停める。工学部坂の上から、海を見やる。キャンパス内を進む。白い雲の帳の隙間から覗く鮮やかな青を捉える。軽い感慨に浸りながら呟いた。
「・・・思いが残る・・・」
新幹線の中で「虹の天象儀」を読み終えた。読みはじめからヤラレタと思っていたのだが、本当にヤラレタ。「思いが残る」 人の思いの灯火は消えない。個人がいなくなっても灯火は次の人に、残された人に引継がれる。
聖火ランナーが走りながら掲げる炎は物質として固定されたものではなく、瞬間瞬間違うものだ。思いの灯火も、それと同様に思いの灯火もそのものが引継がれるのではない。灯火たらしめる情熱やそこから発せられる輝きが伝播し、受け継がれるのだろう。我々は様々なレベルで受け継いでいる。故人の思いの灯火を思い出といいうレベルで。太古に発せられた「生きたい」という思いの灯火を我々は本能というレベルで。「生きたい」という思いを最初に発したのは誰だろう。イノチか?ガイヤか?ギンガか?それとも・・・
内野駅からの道のりの朝日新聞販売店の掲示板にある写真が貼ってあった。小説にでてくる珍しい自然現象を映したものだった。日時的に作品が完成してから撮影されたもののはず。そして小説を読み終えたばかりの私がそれの前を通りかかる。掲示板の前で、タイミングの見事さにクラクラしていた。読む前ならば見過ごしていただろう。読んでしばらく経っていても、このような感慨はない。「何か」をかみ締め、「何か」を予感しつつ、キャンパスに向かった。
暗室設備を借りて、モノクロを焼くのが私が写真部の部室に来た目的だった。現像液を溶かし、停止液を薄め、定着液を用意する。ベタ焼きで引き伸ばしてみようと思ったものをまずはカビネ版に焼いてみた。「今は無き寮の室内。卒展で発表した全紙とギリシャの風景カレンダーを掲げた壁」「暗い非常口の扉の前にある一足の靴」「清流で冷やされる鶴の友」「キャンパス近くの国道。深夜、開通前に忍び込んだ路上で寝転がる」「故I君も参加した旅行の1シーン」・・・
現像液に付けた印画紙から像が浮かび上がる楽しさを久々に味わった。だが、作品は全紙に耐えられるレベルのものはほとんどない。精神状態がヤバイ時の写真はピントもいい加減。撮影者本人にとっては全紙に引き伸ばす意味は大きいがグループ展示作品としてはどうだろうか?個展のような好き勝手は出来ないだろう。
部室にちょっと変ったノートがあった。読んでみた。真摯な書き込み。ああ、もっと近くに住んでいたら、こいつらとバカやったりして、もっと関わって干渉しあうのだがなぁ。ストレンジャーである私にはそれは難しい。
出来るのは、「君たちを見ているよ」というサインとしての小さな書き込みだけ。すくらっぷブックのアルフヘイムのマスターのような気持ちだ。
20時頃、部室を出ると曇りかけていた。どうやら帰らざるを得ないようだ。天気予報も曇りらしい。晴れているならば、全紙を焼くついでにキャンパス内で観測するつもりだったのだが・・・。
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