いぬもあるけば・・・「灘萬」
2001年12月5日 作業場からタクシーを呼ぶ。やってきたタクシーの運転手は昨日と同じ人。昨日、この人当たりのよい老運転手に基地周辺のお薦めの店を教えてもらった。会話の端々から基地内の人々に詳しそうな事が感じられていた。「基地タクシー」は基地を出入りできる唯一のタクシー会社なのでそれなりに詳しい事は想像が付くが、それを超えている様な気がする。ようやく、三沢勤務の元隊員だったことが判明。なるほど、道理で詳しいはずだ。
イタリア料理店やファミレスが見当たらないので、周辺にあるか尋ねた。やはり余りないらしい。イタリア料理店は基地内に1つあるが、米軍居留地の方にあるらしい。日本円でも大丈夫だということだが、恐らく行けないのではないだろうか?今日みたいに個人で動ける日ならばいいのだろうが、食事のためにそこまで行けないだろう。それに、店までタクシー代も結構掛かりそう。
基地のゲートの近くにあるロシア料理店が気になったので聞いてみた。割と有名で美味しいらしい。有名なのは米軍基地の側にあるロシア料理店であるため。NHKや民放に取材されたこともあるらしい。基地内部にはロシア語に堪能な人もまだいるから・・・という話はこの基地の地政学的位置を思い出させる。初めて店を見た時には「アメリカンジョークみたいな出店だな」と感じたものだ。この店にはそのうち出かけてみよう。
老運転手が喫茶店について触れたので、きちんと尋ねてみた。どうやら、この辺りにはまともな喫茶店はないらしい。ないというか消えてしまったというのが本当か。喫茶店ではやっていけないのだ。だから呑み屋ばかり。昔はジャズ喫茶や歌声喫茶などが沢山あったらしい。老運転手は任務についてまもなく、この三沢のジャズ喫茶でジャズの洗礼を受けたのだという。すっかり入れ込んで、楽器を買って練習し、人前で演奏するほどになったという。米軍のジャズバーで演奏のアルバイトもしたという。自衛隊員はバイト禁止なのだが、他国相手はそれは当てはまらないとか自分に言い訳してアルバイトしていたらしい。ニヤリとさせられる話だ。老運転手が仲間と居留地のバーで演奏している光景が当時のフィルム映像のような多少色褪せた映像として頭に浮かんだ。
老運転手はジャズ喫茶がすっかり消え失せてしまったことに対する残念さを淡々と語っていた・・・。
荷物を置いてから、先任者がお薦め情報として紹介していた「灘萬」に夕食を取りにいった。彼が薦めていた刺し身定食を頼む。6種ほどのネタの刺し身、イカゲソの空揚げ、そして小皿に数切れの焼き魚の切り身。確かに美味しい。刺し身はご飯のおかずにするには量が多いし、なんだかもったいない。そこで冷酒を1つ頼んで頂くことに。
私は居酒屋や喫茶店に入る時、カウンターがあればなるべくカウンターに座るようにしている。カウンターに座ることでその店の主人を見ることが出来るし、会話する機会も生まれる。主人を知れは、その店が判る。また隣の席に座った人と話す機会も生まれる。幡ヶ谷の居酒屋「たまははき」や久が原の喫茶店「セピア」の馴染み客になったのもカウンターに最初から座ったことがきっかけだった。
隣の席の男性は焼酎梅干し入りを片手に焼き魚を食べていた。酔いがまわったところで板さんに話掛けていた。FM番組「サタディ・ウェイティング・バー アヴァンティ」の教授の様に聞き耳を立ててみる。
地元で揚げられた魚の大半はすぐさま築地に行ってしまう。地元の店でも一旦築地に出たものを買うことが多い。築地に回らないものは仙台にいくらしい。そこから漁師関係者は仙台市場を「捨て場」と言っているとのこと。良くある朝市も観光客向けと地元向けが存在している。観光客向けのところだと訪れるツアー名が張り出されて、それに合わせて売り込みをしているとも。
男性はどうやら出張者のようだ。それも方々をまわっているらしい。相棒(恐らく奥さん)との終の住処となる土地を探しているとのこと。この辺りはどうなのだろう。終の住処とするならば、友人が沢山できる場所がいい。都会ではそれは難しいから、どこか良い場所を探している。とはいえ、暮らすとなると生活手段が必要で・・・。そこで先々で皆が何をやって食べているのか探っているという。
こういう話になると、話題は次第に「都会と田舎」というテーマになってしまう。板さんは六ヶ所村の原発バブルの話をしてくれた。それまで細々と暮らしてきた農民がいきなりとんでもない大金を手にする。まず立派な家を建て、それから豪勢な車を買ったという。木材ストーブの小さな小屋からセントラルヒーティングの家。農耕用車両しか乗り回していかなったのがクラウン。それも現金で。在庫がないの納期に数ヶ月掛かるというと、店頭展示用のものでもいい、すぐにくれ。金さえ出せばいいだろ。・・・慣れない大金に振り回され、セントラルヒーティングの家では今、元の木材ストーブを炊いているという。お金をうまく使うことができなかったのだ。
男性は名古屋の人らしい。関西と関東の食べ物の話の最中に判った。赤味噌を使った料理、味噌煮込みうどんや味噌カツなど。フムフムと聞いていたのだが、おでんに赤味噌を付けて食べるという話を聞いた時に、驚いて盗み聞きしている立場を忘れて思わず、「本当ですか?」と聞いてしまった。本当らしい。コンニャクやダイコンに付けるというのはあるから解るがおでん一般のものにもとなるとこれは完全にその地域独特だ。ガンモドキや卵なども鍋から取って食べるときに味噌をつけて食べるという事でしょ?おでんに関西風と関東風があるのは知っていた。この料理に対し、中京地区はどちらの立場を取っているのかと思ったら・・・味噌を後付けして食べるとは・・・。
話は味覚の話になった。お雑煮の地域性。ある所では汁が砂糖がドバドバ入った甘いものがあるとか。お赤飯も砂糖を入れて、お菓子の様にしている所もある。青森でもそうだったらしい。板さんの話では10年ぐらい前まではこの辺りの茶碗蒸しは砂糖が入っていて、プリンか茶碗蒸しかというものだったという。う〜ん。
話は東京との関係に移った。この辺りの女性も高校を出ると数年東京で暮らして戻ってくる人が多くなっているらしい。方言や暮らしかたが変わっているのはそういう出戻りの存在もある。この辺りでも渋谷の女子高生のファッションを模した女子高生がいるという。尤もそのファッションは1年ほどずれるが。情報がすぐに伝わっても、それを実行するとなるとね。
そんなこんな話をしていると22時。〆をお願いした。刺し身定食1.5k円に冷酒が0.8k円、合わせて2.3k円也。
イタリア料理店やファミレスが見当たらないので、周辺にあるか尋ねた。やはり余りないらしい。イタリア料理店は基地内に1つあるが、米軍居留地の方にあるらしい。日本円でも大丈夫だということだが、恐らく行けないのではないだろうか?今日みたいに個人で動ける日ならばいいのだろうが、食事のためにそこまで行けないだろう。それに、店までタクシー代も結構掛かりそう。
基地のゲートの近くにあるロシア料理店が気になったので聞いてみた。割と有名で美味しいらしい。有名なのは米軍基地の側にあるロシア料理店であるため。NHKや民放に取材されたこともあるらしい。基地内部にはロシア語に堪能な人もまだいるから・・・という話はこの基地の地政学的位置を思い出させる。初めて店を見た時には「アメリカンジョークみたいな出店だな」と感じたものだ。この店にはそのうち出かけてみよう。
老運転手が喫茶店について触れたので、きちんと尋ねてみた。どうやら、この辺りにはまともな喫茶店はないらしい。ないというか消えてしまったというのが本当か。喫茶店ではやっていけないのだ。だから呑み屋ばかり。昔はジャズ喫茶や歌声喫茶などが沢山あったらしい。老運転手は任務についてまもなく、この三沢のジャズ喫茶でジャズの洗礼を受けたのだという。すっかり入れ込んで、楽器を買って練習し、人前で演奏するほどになったという。米軍のジャズバーで演奏のアルバイトもしたという。自衛隊員はバイト禁止なのだが、他国相手はそれは当てはまらないとか自分に言い訳してアルバイトしていたらしい。ニヤリとさせられる話だ。老運転手が仲間と居留地のバーで演奏している光景が当時のフィルム映像のような多少色褪せた映像として頭に浮かんだ。
老運転手はジャズ喫茶がすっかり消え失せてしまったことに対する残念さを淡々と語っていた・・・。
荷物を置いてから、先任者がお薦め情報として紹介していた「灘萬」に夕食を取りにいった。彼が薦めていた刺し身定食を頼む。6種ほどのネタの刺し身、イカゲソの空揚げ、そして小皿に数切れの焼き魚の切り身。確かに美味しい。刺し身はご飯のおかずにするには量が多いし、なんだかもったいない。そこで冷酒を1つ頼んで頂くことに。
私は居酒屋や喫茶店に入る時、カウンターがあればなるべくカウンターに座るようにしている。カウンターに座ることでその店の主人を見ることが出来るし、会話する機会も生まれる。主人を知れは、その店が判る。また隣の席に座った人と話す機会も生まれる。幡ヶ谷の居酒屋「たまははき」や久が原の喫茶店「セピア」の馴染み客になったのもカウンターに最初から座ったことがきっかけだった。
隣の席の男性は焼酎梅干し入りを片手に焼き魚を食べていた。酔いがまわったところで板さんに話掛けていた。FM番組「サタディ・ウェイティング・バー アヴァンティ」の教授の様に聞き耳を立ててみる。
地元で揚げられた魚の大半はすぐさま築地に行ってしまう。地元の店でも一旦築地に出たものを買うことが多い。築地に回らないものは仙台にいくらしい。そこから漁師関係者は仙台市場を「捨て場」と言っているとのこと。良くある朝市も観光客向けと地元向けが存在している。観光客向けのところだと訪れるツアー名が張り出されて、それに合わせて売り込みをしているとも。
男性はどうやら出張者のようだ。それも方々をまわっているらしい。相棒(恐らく奥さん)との終の住処となる土地を探しているとのこと。この辺りはどうなのだろう。終の住処とするならば、友人が沢山できる場所がいい。都会ではそれは難しいから、どこか良い場所を探している。とはいえ、暮らすとなると生活手段が必要で・・・。そこで先々で皆が何をやって食べているのか探っているという。
こういう話になると、話題は次第に「都会と田舎」というテーマになってしまう。板さんは六ヶ所村の原発バブルの話をしてくれた。それまで細々と暮らしてきた農民がいきなりとんでもない大金を手にする。まず立派な家を建て、それから豪勢な車を買ったという。木材ストーブの小さな小屋からセントラルヒーティングの家。農耕用車両しか乗り回していかなったのがクラウン。それも現金で。在庫がないの納期に数ヶ月掛かるというと、店頭展示用のものでもいい、すぐにくれ。金さえ出せばいいだろ。・・・慣れない大金に振り回され、セントラルヒーティングの家では今、元の木材ストーブを炊いているという。お金をうまく使うことができなかったのだ。
男性は名古屋の人らしい。関西と関東の食べ物の話の最中に判った。赤味噌を使った料理、味噌煮込みうどんや味噌カツなど。フムフムと聞いていたのだが、おでんに赤味噌を付けて食べるという話を聞いた時に、驚いて盗み聞きしている立場を忘れて思わず、「本当ですか?」と聞いてしまった。本当らしい。コンニャクやダイコンに付けるというのはあるから解るがおでん一般のものにもとなるとこれは完全にその地域独特だ。ガンモドキや卵なども鍋から取って食べるときに味噌をつけて食べるという事でしょ?おでんに関西風と関東風があるのは知っていた。この料理に対し、中京地区はどちらの立場を取っているのかと思ったら・・・味噌を後付けして食べるとは・・・。
話は味覚の話になった。お雑煮の地域性。ある所では汁が砂糖がドバドバ入った甘いものがあるとか。お赤飯も砂糖を入れて、お菓子の様にしている所もある。青森でもそうだったらしい。板さんの話では10年ぐらい前まではこの辺りの茶碗蒸しは砂糖が入っていて、プリンか茶碗蒸しかというものだったという。う〜ん。
話は東京との関係に移った。この辺りの女性も高校を出ると数年東京で暮らして戻ってくる人が多くなっているらしい。方言や暮らしかたが変わっているのはそういう出戻りの存在もある。この辺りでも渋谷の女子高生のファッションを模した女子高生がいるという。尤もそのファッションは1年ほどずれるが。情報がすぐに伝わっても、それを実行するとなるとね。
そんなこんな話をしていると22時。〆をお願いした。刺し身定食1.5k円に冷酒が0.8k円、合わせて2.3k円也。
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