柏崎で起きた、「すさまじき」事件。
 検察の求刑15年に対し、新潟地裁は懲役14年とした。
犯人は己が犯した罪をどれぐらい認識しているのだろうか?
 マスコミを含め、世間は「酷い事件で犯人に情状酌量の余地はない」という。
「9年間拉致監禁した罪に対し、懲役14年は被害者意識からして短すぎる。刑法の限界を見た。」というコメントを多く聞いた。
 私がこの事件に対し嫌悪を覚えるのはこの事件の特殊性にあるのではない。この事件から思い起こさせられたことに嫌悪を覚えるのだ。自己嫌悪も含めて。
 この事件は通り魔や殺人などのように一瞬でなされた犯罪ではない。9年間継続しつづけられた犯罪だ。震災前から監禁されつづけていたというタイムスパン。柏崎にその間、訪れたこともある。犯罪がなされ続けていた場所から数キロのところにいた可能性もある。だが、何もしらなかったし何もできなかった。震災に対し何もできなかったのと同様に。
 公判中に犯人が被害者の証言を聞いて、嫌悪されていたことに驚いたという話が気分を暗くさせる。この犯罪が決して特殊なものでないことが判るからだ。この犯罪の最大の罪は拉致にあるのではない。虐待にある。
 「うまくいっていると思った」という言葉は己の行為を愛の行為だと勘違いしていた虐待者の言葉だ。その辺を理解し、理解させないと犯人が己の成したことを理解させることは出来ないだろう。己の罪を理解しないままの懲役刑など只の時限隔離であって全く意味がない。その後の犯人の他人事と思っているような態度に認識への至らなさを見る。

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