いぬもあるけば・・・「再会」
2002年2月6日ショックな出来事に震えても、朝になればまた「日常」が始まる。
三沢出張者の慰労会。会社近くのファミレス居酒屋。思った以上に話し込んでしまった。23時を回るとは。
帰宅後、これまた久々のサイトのチャットに入ってみた。以前、MTで交流していた人のサイト。管理者さんは最近、HD社のゲームに力を入れているのでゲーム上では交流がなくなっているのだが、似た関心事があることもあってゲーム以外のところで細く長く交流が続いている。
そういう人のチャット。そこに馴染みの人以外の人が・・・このハンドル、どこかで見たことがあるなぁ。どうやらあちらもそう思った見たい。互いに鎌をかけあった結果、あちらは昔お世話になった元マスターであることが判明。まさか、こんなところで再会するとは。この人はマスターとしてだけでなく、やぎネットというオフィシャル草の根BBSでもお世話になっていた。私のPBM暦でも長くお世話になっている人の一人だ。
話を聞いたら、この再会は考えていた以上の偶然とそして幸運によるものであることが判った。1年ほど前に大病して入院していたという。『癌』。抗がん剤と放射線治療でほぼ完治したという。「当時、マスター稼業をしていたのだけど、肺をやられて酸素マスクを付けた状態で最終リプレイを作成した。酸素のせいか、妙にハイになって爆笑リプレイになってしまった。」という話にはなんとも・・・(汗)。
運が悪ければ、彼も鬼籍に入っていた。昨日の今日だ。繋がりというか計らいというかを感じ、クラクラする。
元気になった(入院前とは風貌が全く変わってしまったらしいが)ので、またゲームの企画を持ち込んだり、システムを検討したりとゲーム関係の動きを再開するらしい。その場はT社だけではないかも知れないらしいが、面白いことを企画しているらしい。そのネタ、進めてほしいなぁ。以前のは消化不良だっただけに思いっきり突き詰めたものを是非。
再会を祝し、またオフラインで会うことを期待しあった。そんなに遠くの話ではないだろう。かの地には年1回ぐらい訪れているのだから。
彼の人がチャットを落ちた後、ログに残っているオフレコ情報を消すためにサイト管理者さんと更におしゃべり。彼女も色々あったらしいが、どうにか順調に行っているらしい。良かった。いつか横浜に遊びに来てください。こちらの残存交流者達で迎撃しますので。
コメント