今月のゼミも有用な話があった。今日は「学芸員のための文章読本」という印刷物が配られた。以前、図録を作る際に文章表現や英訳に気を遣ったという話を伺っていた。それをもう少し詳しく解説したのが、今回の話。学芸員の文章に対する気遣いに、考えれば当たり前だが、驚いた。
 テキストは「1.なぜ悪文になるか」と悪文が生まれる条件を4つ挙げている。a:あいまい(ぼかし)表現から b:論旨が不明瞭なため c:読者対象の設定が不十分なため d:口語と文章後が混じるため の4つ。これらはよく指摘されることだが、それぞれが発生する理由がなるほどと思わせる。対して、「2.わかりやすい文章とは」として、6つのポイントが挙げられている。
 私がニヤリとさせられたのは、「3.英訳の原則」の一番最初の項。「a:日本の美術を理解させたい(困難だが翻訳可能である)という前提に立つこと。」 これが原則の一番最初に位置することの意味。英訳という作戦の戦略を述べている。「・・・の原則」とかいうものだと大概、手順やこつなどが羅列しただけのものが多いことを考えると、面白い。
 英訳の戦術には「翻訳用の日本文の作成」が挙げられている。具体的には日本語の「推定」の表現の整理であり、それは根拠の明確化に繋がる。英語の「論理」における推定には幾つか段階がある。だが、それが辞書にきちんと記載されているとは限らない。「to assume」、「to conjecture」、「to deduce」、「to infer」、「to presume」、「to speculate」、「to suppose」、「to be thought」、「to be condidered」・・・
 日本語のあいまいな文章の例:「この消息の書写年時はわからないが、若年・壮年のころではない。また晩年でもないと考えられる」
では、いつなのだろうか?この文章を元に、単純な消去法が示す答えは幼年のころとなる。実際にはこの文章は藤原定家消息を解説した文章。
 ここ最近、口語までも汚染している「的」という言葉が日本語で使われるようになった由来も多分にト学会の研究対象になる話だ。高田宏:著『本のある生活』によると・・・まさか駄洒落だったとは。英文を和訳する際に、苦し紛れに使ったごまかしの用法だったという。[system]を組織と訳せたが、[systematic]が上手く訳せない。[tic]の音は「的」の音に似ている。ならば、組織的と訳したらどうか・・・。
 「俺的には〜」「あたし的には〜」という口語に訳の判らない客観性の雰囲気を漂わせた権威振りを感じる理由もここにあるのかもしれない。自分を形容詞にするというのは、分かり易い「ジコチュウ」ではないだろうか?
 この項目の最後は、よい文章が書けるようになるための訓練法についてだった。それは、ちょっと意外な方法だった。気付いている人は受験や就職活動の小作文を書く訓練として実践しているだろう。それは・・・

 これだけでは焼き物のゼミとしてはあんまりなので、スライドの上映があった。伝えられる人格から作品を判断してはいけないというお話。具体的には贋作の話。「佐野乾山」という贋作騒動があった。佐野乾山の品のスライドを観た。これだけ派手な贋作騒動の後には乾山の贋作はもう出ないと思ったら、現在も作成する試みは続いているらしい。「・・・、源氏物語などを題材に・・・」とトラップを仕掛けた文章が発表された数年後、源氏物語を題材とした品が『発見』された。だが、それまで1つも源氏物語を題材にした品などなかったという。このタイミングは一体・・・。贋作を作ろうとする輩は絶えてはいない。そして、それが流通する市場も・・・

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