出掛けに郵便受けを覗くと、5/13にあるニフのRT仲間が行うライブのチケットが郵送到着していた。
 新橋駅を出、日比谷野外音楽堂に向かった。入り口には当日券の人達の列が出来ている。手前の屋台でビールを1缶買って入場。折角だからと3K円もするパンフを買ってみる。失敗した。サポートアーテイスト情報などが載っていると思ったら、ただの写真集だった。
 席は良くも悪くもない。オペラグラスがあれば表情を見ることができたなァ。缶を開けて、アイドリングを掛けた。実際にはビールを飲むにはちょっと寒い感じ。雨は降らないが、気温が随分低い。野外だからと羽織るものを持ってきて正解だった。
 曇りなのものあって、大分暗くなってきた。ビールを飲みながら、私は昔を思い出していた。・・・まず思い出されるのは1993年9月25日の「noren wake(のれんわけ)」ライブ。忘れることの出来ない記憶。 その前後で行われたイベントでロッテンハッツ(今はその一部がGreat3というユニットを結成している)とゴンチチのステージを聴いた記憶がある。ちょっと詳細が曖昧なのだが・・・。
 そんな記憶を辿っていたら、予定より15分ほど遅れて開演。今日の主役である、鬼束ちひろの歌は月光などTVで流れているのを聞いた程度。アルバムを聞いたことがないので、どんな歌を歌い、どんなステージになるのか予想がつかない。
 バンドメンバーに渡辺等さんがいた。他の人は知らないが、このことから実力者と組んでのツアーであることが判った。
 ステージが始まった。一曲目。これは私の好みの音楽だ。他の曲も初めて聞くものばかり(判ったのは、『月光』と『流星群』だけ)だが、心地良い。アルバムにこの手の音楽が収められているならば、買ってもいい。ひやかし半分でチケットを入手したのだが、当たりだった。
 尤も、気になる点がないわけではない。「悩んでる?」とMCで客席に問い掛けていたが、どうやらそれがここ最近のキャッチフレーズらしい。「pessimistic」と印刷されたTシャツがグッズ売り場で売られていたが、これも彼女がプロデュースしたとか。「月光」を聴いた時の違和感と共通するものがある。恐らくそれは彼女がまだ青いからだろうが、歌唱力が先走っている感がある。
 「月光」を聞いて揺さぶられつつも居心地の悪さを感じたのは、「世の中は汚い。私はキレイ。」という傲慢さを感じてしまったからかもしれない。
 彼女が示す『悩み』や『悲観』『厭世』は1つのファッションとして、スタイルのように感じられた。極まっていない、どこか甘さがあるような。そう感じた理由が分かった。ステージでMCを行っているのは子供っぽさの残る恥ずかしがり屋だった。ここに来ているファンは全て了解しているのだろう。孤高のカリスマではなく、普通の歌の上手い彼女を。
 極まることが彼女にとって良いこととは限らない。孤高とは、登ったはいいが今度は降りることに恐怖を感じて降りられなくなった状態とも言える。『極まり』は窮まれることで、それは次第に狂気に近づいて行く。
 傲慢さと誤解されるものが青さであるならば、いつか彼女の元に定められた『crisis』が訪れ、『世界』との融和の道を選ぶときが来るだろう。ファンは併走しながら、彼女のそれを見つめ続ける・・・

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