いぬもあるけば・・・「雪舟」
2002年5月19日 いつもの合宿ならば、「大広間で大宴会。倒れた者は隣の小部屋に隔離する。」ということになるのだが、今回は駆け付けたOBが少なく、女性部員が多いこともあって、呑ませるというノリは無く、日本酒は呑みたい者が呑むという大人しいものになった。酒を飲む目的が「場を盛り上げ、その雰囲気を維持させること」にあるとすると、酒無しでも場が設定できるならば飲みに拘る必要はない。実際、それほど飲まなくても花火をしたり、おしゃべりをしたりと十分楽しい時間を過ごせた。尤も、お酒についてもそれなりに味見をさせて頂いたが。
写真部の一部有志による「健康ノート」の過去ログを読む。「部室ノート」という公的な事を記述するノートに対して、私的な呟きを書き綴るノート。一部員が部室ノートに書くのを憚られる私的なこと、その日の気分や出来事を書くために設置した。私的な呟きなので、他人には理解しがたいものが綴られていることもある。そのため、このノートに対して「訳わからん」と評価するものもいる。「慣れていない人には難しいだろうな。」と思う。書く人は安易に理解できないように書いている。理解して欲しいけど理解して欲しくない。アンビバレンツ。だから書かれているものは直接的に理解するものではなく、理解を試みる中で感じるもの。
読み終わってから、レスを付ける。けど、如何にもOB面した事しか書けない自分がちょっと嫌。OBというペルソナを捨てて書くのは中々恐いもの。だから、さも物わかりのいいOBらしい書き込みをちょこちょこ書いてみる。この時点において、結局自ら「部外者」でしかない事を露呈させてしまう。踏み込むそぶりを見せながらも、その足を下ろせずにいる。或る意味、「訳わからん」人よりも質が悪い。
後輩の話を聞く。なるべく分析的にならないように、断定的にならないように言葉を返す。そのためにかなり判りにくい事になってしまったかもしれない。今、判らなくてもいい、後で何かの折りにヒントになればいい。そんな感じで話し込んだ。
気が付くと外が明るい。睡魔にヤラレタものはあちこちで寝転んでいる。このまま起きつづけてもいいけれど・・・どうしよう。30分ほど圧縮睡眠。まともに寝入ったら起きられないので、仮眠モード。
合宿所の片付けも済んだ10時頃に独り撤収。新歓合宿そのもののイベントはまだ続き、お昼から現像実習などがある。それにも顔を出したかったが・・・。空を見上げれば、見事な快晴。工学部坂に出て、振り向くと松林の向こうに海が見えた。砂浜を散策するのにも後ろ髪引かれる。両方の誘惑を振りきって駅に。売店で「キャレル」を発見、購入。
あさひ314号の車中で泥のように眠り、気が付くと東京駅。上野に戻って、コインロッカーに荷物を入れ、東京国立博物館に急いだ。
特別展「雪舟」の最終日。予想通りの人込み。入場まで25分待ちだった。東京駅でドタバタしていたこともあって、列に並んだのは14時頃。つまり入場は14時半。先に観た人からの薦めに従い、音声ガイドを借りた。これでパネルを一々読まなくても済む。17時には閉館。あと2時間半の内に観て回らなければならない。完徹状態なので体力の問題もある。なるべく無駄な時間を掛けないで回りたい。
今回の展覧会は50年に一度の規模の回顧展なのだが、雪舟の作品ばかりではない。雪舟が影響を受けたと考えられる絵師の作品も展示し、それによって時代の中の雪舟を浮かび上がらせることも意図している。逆に言えば、雪舟以外の展示物がかなりある。それらも興味深いが、数があることと混雑していることを考えると観るのにもコツがいることが判る。
国宝や重要文化財が展示されており、海外からの里帰り品や初公開・新発見のものもあるという。が、展示の落とし穴もある。パネルを見ると、「雪舟筆」だけでなく「伝雪舟筆」というのがありそれがかなりの数に登っている。それらは雪舟が描いたと伝えられているもの。音声ガイドが解説する作品のリストに載っている「伝雪舟筆」の作品はアメリカで「発見」されたもの以外はほとんど載っていない。これは如何?とまれ、それを参考に時間配分。
後半に最も重要な作品を展示していた。国宝「山水長巻」は見ごたえがあったし、国宝「秋冬山水図」には惹かれるものがあった。 人の頭越しに見るのはなんともすさまじきものであるけれど、最終日ともなればしかたないかとも思う。
回顧展ということで、修行時代から晩年までの作品や弟子への書状などを見、そして解説を聞くに、独自の画風を確立するに至った画家であるが、考えていた以上に明の影響を受けていた、というか明の進んだ文化を吸収してきた者としての権威を政治的に使っていた人だったことを改めて知った。「あ〜たくし、おフランスで絵のお勉強をしてきたザマスのよっ!」と言うような感じで。ま、絵は人物で見るものではないけれどね。でもそれを実施するのはまた難しい。そんなことを考えながら、ミュージアムショップで図録や複製品などが飛ぶように売れている「風景」を見る。図録を買う気が無くなった。「秋冬山水図」冬のA4サイズポスターを1枚買って撤収。まだ寂しい壁に貼ろう。
写真部の一部有志による「健康ノート」の過去ログを読む。「部室ノート」という公的な事を記述するノートに対して、私的な呟きを書き綴るノート。一部員が部室ノートに書くのを憚られる私的なこと、その日の気分や出来事を書くために設置した。私的な呟きなので、他人には理解しがたいものが綴られていることもある。そのため、このノートに対して「訳わからん」と評価するものもいる。「慣れていない人には難しいだろうな。」と思う。書く人は安易に理解できないように書いている。理解して欲しいけど理解して欲しくない。アンビバレンツ。だから書かれているものは直接的に理解するものではなく、理解を試みる中で感じるもの。
読み終わってから、レスを付ける。けど、如何にもOB面した事しか書けない自分がちょっと嫌。OBというペルソナを捨てて書くのは中々恐いもの。だから、さも物わかりのいいOBらしい書き込みをちょこちょこ書いてみる。この時点において、結局自ら「部外者」でしかない事を露呈させてしまう。踏み込むそぶりを見せながらも、その足を下ろせずにいる。或る意味、「訳わからん」人よりも質が悪い。
後輩の話を聞く。なるべく分析的にならないように、断定的にならないように言葉を返す。そのためにかなり判りにくい事になってしまったかもしれない。今、判らなくてもいい、後で何かの折りにヒントになればいい。そんな感じで話し込んだ。
気が付くと外が明るい。睡魔にヤラレタものはあちこちで寝転んでいる。このまま起きつづけてもいいけれど・・・どうしよう。30分ほど圧縮睡眠。まともに寝入ったら起きられないので、仮眠モード。
合宿所の片付けも済んだ10時頃に独り撤収。新歓合宿そのもののイベントはまだ続き、お昼から現像実習などがある。それにも顔を出したかったが・・・。空を見上げれば、見事な快晴。工学部坂に出て、振り向くと松林の向こうに海が見えた。砂浜を散策するのにも後ろ髪引かれる。両方の誘惑を振りきって駅に。売店で「キャレル」を発見、購入。
あさひ314号の車中で泥のように眠り、気が付くと東京駅。上野に戻って、コインロッカーに荷物を入れ、東京国立博物館に急いだ。
特別展「雪舟」の最終日。予想通りの人込み。入場まで25分待ちだった。東京駅でドタバタしていたこともあって、列に並んだのは14時頃。つまり入場は14時半。先に観た人からの薦めに従い、音声ガイドを借りた。これでパネルを一々読まなくても済む。17時には閉館。あと2時間半の内に観て回らなければならない。完徹状態なので体力の問題もある。なるべく無駄な時間を掛けないで回りたい。
今回の展覧会は50年に一度の規模の回顧展なのだが、雪舟の作品ばかりではない。雪舟が影響を受けたと考えられる絵師の作品も展示し、それによって時代の中の雪舟を浮かび上がらせることも意図している。逆に言えば、雪舟以外の展示物がかなりある。それらも興味深いが、数があることと混雑していることを考えると観るのにもコツがいることが判る。
国宝や重要文化財が展示されており、海外からの里帰り品や初公開・新発見のものもあるという。が、展示の落とし穴もある。パネルを見ると、「雪舟筆」だけでなく「伝雪舟筆」というのがありそれがかなりの数に登っている。それらは雪舟が描いたと伝えられているもの。音声ガイドが解説する作品のリストに載っている「伝雪舟筆」の作品はアメリカで「発見」されたもの以外はほとんど載っていない。これは如何?とまれ、それを参考に時間配分。
後半に最も重要な作品を展示していた。国宝「山水長巻」は見ごたえがあったし、国宝「秋冬山水図」には惹かれるものがあった。 人の頭越しに見るのはなんともすさまじきものであるけれど、最終日ともなればしかたないかとも思う。
回顧展ということで、修行時代から晩年までの作品や弟子への書状などを見、そして解説を聞くに、独自の画風を確立するに至った画家であるが、考えていた以上に明の影響を受けていた、というか明の進んだ文化を吸収してきた者としての権威を政治的に使っていた人だったことを改めて知った。「あ〜たくし、おフランスで絵のお勉強をしてきたザマスのよっ!」と言うような感じで。ま、絵は人物で見るものではないけれどね。でもそれを実施するのはまた難しい。そんなことを考えながら、ミュージアムショップで図録や複製品などが飛ぶように売れている「風景」を見る。図録を買う気が無くなった。「秋冬山水図」冬のA4サイズポスターを1枚買って撤収。まだ寂しい壁に貼ろう。
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