いぬもあるけば・・・「日帰り出張」
2002年6月17日 飛行機で行く出張は初めて。そして独りではなく上司と二人ということもあって、必要以上に早く羽田空港で待ち合わせ。一緒に行く上司の健康状態が決して良いとは言えないものなので、こちら関係のトラブルが発生しないかと内心ヒヤヒヤしていた。それがいけなかったのだろう。いつもの鞄のポケットに入っているものをチェックし忘れていた。恥ずかしいことに、チェックされてしまった<鉛筆削り用ナイフ 係預かりで行き先の空港で返してもらうことに。でも、これだけで良かった。ナイフチェックだけで。帰宅してから、もっとヤバイものが入っていたことを思い出した時にはぞっとした。
JRだとかなりの時間が掛かるが、やはり飛行機だと早い。ほぼ1時間で三沢に着いた。空港で合流した別会社の人達と空港内の食堂で昼食。いい値段だ。ホタテカレー、1100円ナリ。黙々と食べる中、大きなガラス窓の光景を見るとタンポポの花が咲いているのが見えた。
仕事はあっという間に終った。最悪、一泊する可能性も考えていたのだが、取り合えずは・・・ということで。
予想外に早く終ってしまった。帰りの便も予約していないし、恐らく取れない可能性もある。帰路はJRでということになった。特急と新幹線を乗り継いで。上司と一緒に買ったので、つい東京まで買ってしまった。仙台に着いてから気が付いた。仙台で降りれば、明日を控えて盛りあがる仙台の夜の空気を感じられる。友人が暇ならば一緒に呑むこともできる。そんな可能性、券を買うときには思いつかなかった。しょんぼりしながら、仙台を離れた。
東京着の時刻が定時過ぎで、会社に着いたとしても19時過ぎであるので、直帰ということに。真っ直ぐ自室に帰ろうと思ったのだが、気分転換をしたいと思い、池上線に飛び乗った。久々に久が原の喫茶店に顔を出した。
マスターの興味はまだ写真にあるらしい。その知識はすでに私を凌駕している。カメラに造詣が深いお客さんから色々知識を仕入れているのだ。常連客には数百台所持しているというとんでもないコレクターもいるという。
いつものコーヒーを飲んでいると、カウンターに見なれない男性が座った。私が久が原を去ってからの常連客。そして、趣味が講じてメカニカルカメラ修繕を生業にしている人だった。カメラ話が弾む中、マスターに見せようと持ってきたと出してきたのが「ライカM3」。中古市で見つけてきたものらしい。何が凄いって、705***番というシリアル番号そのものではなく、その使い込みを表す鍍金の剥がれ。ファインダー窓の上のロゴがレリーフされているところの鍍金が剥がれて真鍮が見えている。これはぶつけたり、削ったりして出来たものではない。そこに指を押さえ続ける中で磨耗したもの。シャッターボタンも同様に鍍金が剥げていた。鍍金が剥げるまで使いこまれたという訳だ。指の位置からして、縦向きにしての撮影ばかりだったのだろうか。報道関係の人だったのだろうか?元の持ち主に思いを馳せる。更に驚いたのは、軽やかなシャッター動作。長年使用されてきただろうことが信じられない。持ってきた彼は何もしていないという。元の持ち主が十分な手入れをしていたことが判る。
話によると、この様に機構的には問題ないものも中古市場ではめちゃくちゃ安くなってしまうのだという。勲章であるこのような鍍金剥げはクラカメマニアに敬遠されるのだ。傷1つないものが最上。買ったら傷が付かないように使わない。ユーザーではなく、コレクター。
僕はこの勲章に畏敬を感じる。歴史を感じる。もし、自分が手にしていたら、それを使う中で歴史を追記していきたい。
尤も、カメラ業界はユーザーよりもコレクターが支えているらしい。ニコンのF5というカメラ。その耐久性・防滴、防塵性はプロユースに相応しい。逆に言えば、植物公園で花を撮るのには余りにオーバースペック。フェラーリF50で宅配便を配達して回るぐらい。そういう優雅な方々が沢山いるお陰で、明日のカメラ業界は明るい。2眼レフが1眼レフに取って代わるようなことが、デジカメによって起こらなければ。
久々に会話を愉しんで、帰路に付いた。
帰宅して、ぐちゃぐちゃになった鞄を整理した。ずっと前からのものがいれっぱなしになっていたそこには、ミリタリーファンが集うイベント会場で入手したアレが・・・(滝汗)
JRだとかなりの時間が掛かるが、やはり飛行機だと早い。ほぼ1時間で三沢に着いた。空港で合流した別会社の人達と空港内の食堂で昼食。いい値段だ。ホタテカレー、1100円ナリ。黙々と食べる中、大きなガラス窓の光景を見るとタンポポの花が咲いているのが見えた。
仕事はあっという間に終った。最悪、一泊する可能性も考えていたのだが、取り合えずは・・・ということで。
予想外に早く終ってしまった。帰りの便も予約していないし、恐らく取れない可能性もある。帰路はJRでということになった。特急と新幹線を乗り継いで。上司と一緒に買ったので、つい東京まで買ってしまった。仙台に着いてから気が付いた。仙台で降りれば、明日を控えて盛りあがる仙台の夜の空気を感じられる。友人が暇ならば一緒に呑むこともできる。そんな可能性、券を買うときには思いつかなかった。しょんぼりしながら、仙台を離れた。
東京着の時刻が定時過ぎで、会社に着いたとしても19時過ぎであるので、直帰ということに。真っ直ぐ自室に帰ろうと思ったのだが、気分転換をしたいと思い、池上線に飛び乗った。久々に久が原の喫茶店に顔を出した。
マスターの興味はまだ写真にあるらしい。その知識はすでに私を凌駕している。カメラに造詣が深いお客さんから色々知識を仕入れているのだ。常連客には数百台所持しているというとんでもないコレクターもいるという。
いつものコーヒーを飲んでいると、カウンターに見なれない男性が座った。私が久が原を去ってからの常連客。そして、趣味が講じてメカニカルカメラ修繕を生業にしている人だった。カメラ話が弾む中、マスターに見せようと持ってきたと出してきたのが「ライカM3」。中古市で見つけてきたものらしい。何が凄いって、705***番というシリアル番号そのものではなく、その使い込みを表す鍍金の剥がれ。ファインダー窓の上のロゴがレリーフされているところの鍍金が剥がれて真鍮が見えている。これはぶつけたり、削ったりして出来たものではない。そこに指を押さえ続ける中で磨耗したもの。シャッターボタンも同様に鍍金が剥げていた。鍍金が剥げるまで使いこまれたという訳だ。指の位置からして、縦向きにしての撮影ばかりだったのだろうか。報道関係の人だったのだろうか?元の持ち主に思いを馳せる。更に驚いたのは、軽やかなシャッター動作。長年使用されてきただろうことが信じられない。持ってきた彼は何もしていないという。元の持ち主が十分な手入れをしていたことが判る。
話によると、この様に機構的には問題ないものも中古市場ではめちゃくちゃ安くなってしまうのだという。勲章であるこのような鍍金剥げはクラカメマニアに敬遠されるのだ。傷1つないものが最上。買ったら傷が付かないように使わない。ユーザーではなく、コレクター。
僕はこの勲章に畏敬を感じる。歴史を感じる。もし、自分が手にしていたら、それを使う中で歴史を追記していきたい。
尤も、カメラ業界はユーザーよりもコレクターが支えているらしい。ニコンのF5というカメラ。その耐久性・防滴、防塵性はプロユースに相応しい。逆に言えば、植物公園で花を撮るのには余りにオーバースペック。フェラーリF50で宅配便を配達して回るぐらい。そういう優雅な方々が沢山いるお陰で、明日のカメラ業界は明るい。2眼レフが1眼レフに取って代わるようなことが、デジカメによって起こらなければ。
久々に会話を愉しんで、帰路に付いた。
帰宅して、ぐちゃぐちゃになった鞄を整理した。ずっと前からのものがいれっぱなしになっていたそこには、ミリタリーファンが集うイベント会場で入手したアレが・・・(滝汗)
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