原宿に向かう電車の中で、出発前に受信したMT13M1のリプレイを読んだ。
 京浜東北線、山手線どちらも座ることができたのは僥倖。駅前のジャンクフード屋で軽く腹を満たしてから、竹下通りを突っ切って、アストロホールに到着。すでに入場のための列ができていた。観客の9割以上が女性。並ぶのを躊躇われる。こちらは動きやすさを重視してどちらかと言えばラフな格好。・・・浮いている(汗)。
 チケットナンバー「a174」は早い方だった。地下への階段を気を付けながら降りると物販所で限定CDを売っている。帰りには売り切れている可能性があるので、先に購入。
 フロアに入る。思ったより広くはない。初台DOORと同じぐらいか。ドリンクチケットとビールを交換し、急いで飲み干す。前回、空いたカップに痛い目を見せられたので、ライブが始まる前に処理したかった。
 カップを処理した後、立ち位置を探した。音響と視界が良く、可能ならば寄りかかれるところ。フロアを前後2つに間仕切りするような欄干があったので、そこにしたかったが既に場所はない。仕方ない。その手前の位置に立とう。もっと前に行きたかったが、足の具合と周囲との偏差が随分とある立端のために断念。欄干のために、その前辺りは他のところより空いていた。
 ライブが始まった。CROWのメンバー3名とダリエさんを含めた4人。刺激的な音楽と映像、そしてダリエさんの無国籍という表現を越えた不思議な歌声。楽器としてあるヴォーカリスト。

 今回は以前にも増して、映像が強烈だった。まるで「パカパカ」のように周期的に点滅する感じで循環される。そこに低く体の奥まで震えさせるドラムの振動。「クラブで音楽に併せて踊っているうちにトリップしてしまった」という話を聞いたりするが、今迄それは比喩的表現だと思っていた。だが、この映像と音楽のゲシュタルトは人を怪しくヤバイ認知の世界に引き摺り込む。
 こういう感覚を味わう体験はほとんどしたことがない。浮遊感と下降感が同時にあるような、自分の境界が薄れ、拡散するような。正直、戸惑い、また怖くなった。この感覚にそのまま身を任せてしまってもいいものなのか。

 あまり生物学的本質主義な思考はしたくないが、それでも考えてしまう。私が感じた怖さを、周囲の女性の人達はもしかしたら余り感じないのではないだろうか?個人差のレベルを超えて。ライブに行ってトリップしてしまう人は女性の方が多い気がする。この差の原因を興奮状態により発せられる脳内麻薬の量などの生物学的な男女差によるものではなく、トリップ状態に移行するときの精神的障壁、抵抗感の強さの差に求められはしないだろうか?つまり、この抵抗感が弱いために男性よりもトリップすることが可能なのでは。泳ぐときに、全身を強ばらせては上手く浮くことはできない。体の力を抜くことで浮くことができる。それと同じような・・・
 トリップ状態は自己認識の拡散と理性の停止が前段階にある。現状の洗脳教育では男性は自己確立と理性存在が理想化される。逆に言えば、それらが不安定になることは恐怖となる。自己の境界線が揺らぎ、拡散していくことは自分という存在を失うことに直結している。女性にはそのような洗脳はない。代りに他者受容と感情存在が洗脳教育により理想化される。自己の拡散に対して、恐怖を抱く根拠を持たなくなる。
 社会化された男性は硬いが脆い。社会化された女性は柔らかいがタフ。どちらの志向がよいのかは判断するのは難しい。

 直喩として肉体を揺さぶる上領さんのドラム、白石のメロディ、稲葉さんの映像、そして妖しい魅力を醸し出すダリエさんのボーカルに揺さぶられながら思った。

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