旅の疲れが出たのか、思ったより呑んでいたのか、予定時間を過ぎての起床。出雲そばを食べる余裕もなしに電車に飛び乗る感じ。
 
 車中でこの旅を振り返る。特に昨日のオプショナルツアーのことを。出雲という名前といい、確かに思っていた以上に「水」に関係がある土地なのだなぁと。
 「iya」という駅名を見て、「Ia! Shub-Niggurath!」と呟いてみる。1936年のラヴクラフトの書簡に「雲のような」という形容があるが、TRPG「Call of Cthulhu」の設定では Shub-Niggurathの上部はうねうねとした細長い触手黒い触手や無数の口の固まりみたいな感じで表されている。 
 さて、そういう事を踏まえて、比較神話的解釈というか、イメージの重ねあわせを試みる。
  『細長い触手の固まり』 −> 『メデューサの頭部』 −> 『沢山の蛇の集まり』 −> 『八岐大蛇』
 蛇はその住処を考えても地に関連する生き物で、その神格となればこれは繁殖や豊穣を司る「大地母神」に繋がる。Shub-Niggurathも倦むことを知らぬ生産力を司り、それはディオニソスと共に混沌を志向する。
 「ほおずきのような紅い目をもち、1つの胴体に頭と尾がそれぞれ8つずつついている。その身体には、苔や桧、杉などが生い茂っている。体長は、8つの谷と8つの峰にわたるほど大きく、腹部は、真っ赤にただれ、いつも血が流れている」
 これは八岐大蛇の描写だが、女性の象徴を持っている。『腹部は、真っ赤にただれ、いつも血が流れている』
この怪物を男性神の素戔嗚尊が退治するという神話。Shub-Niggurathも旧神によって「幽閉」されたとされる。
 クトゥルフ神話体系ではOUTER GODS「外なる神」という単語がある。これを大概の人は「外宇宙に属する強大な〈異形の神々〉」と捉える。が、これを意識の外、つまり「「無意識」に結び付けることは不可能だろうか?
 ユングの『集合的無意識』という単語を知る我々はラヴクラフト達が知的好奇心で産み出してしまったものを、只の遊びと捨て去ることができない。昨日のオプショナルツアーのナビゲーターM氏が語った「神話はその時代に生きるもの達によって、絶えず再生産されてきた。」がリンクする。神話は伝えられるものではなく、絶えず作られるもの。それは情報伝達の際にコピーによって情報劣化が起こることや、概念や常識が変化しつづけることからも導かれる。そして、「テクストが世界を構築する」という考え。
 
 それにしても何故、平安初期の九世紀に出雲大社の祭神が大国主命から素戔嗚尊に替わったのか・・・
 
 などと考えていると、車両は伯備線に入り、車掌が大山の説明をしだした。これ以上考えると「怖い考え」になってしまうので、中断。岡山駅に着く。ホーム内の店で「水蜜桃」を購入。タコのコロッケや独歩ビールも。浜松まで新幹線で行くことにした。名古屋駅で「ひかり」から「こだま」に乗り換え。乗り換えの時間にきしめんを掻き込む。浜松駅で鰻のお土産を買おうとしたのだが、結構いい値段。結局、一瓶600円の「鰻炊き込みご飯の素」を購入。静岡駅で停車しているときに、TAMTAMの公開放送を見に来たことを思い出す。現地の放送局ファンと触れ合ったが、後に悪いことをした。悪行とまで言わないが、胸が痛む思い出がある地がいくつかある。
 自室に到着したのは22時近くだった。

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