二度寝が元で寝坊した。SF研の友人が結婚するので、私達の世代近くのOBが新宿で集まる予定だった。凄いや、見事に集合時間を過ぎてる。よくこれだけ眠れたものだ(感心)。
 Sさんのピッチに連絡するが、留守電。結局、合流失敗。
 このまま、自室に戻るのは余りに哀しい。と、PBM仲間から呑みの誘い。どうしよう。喉が渇いているのでビールを呑みたい。かなり惹かれる・・・が、ただの呑みではなく、急遽どこかのお祭りに行くという。その気分じゃないなぁ。今回は遠慮しよう。
 ビールへの思い、断ち難く、JR川崎駅の傍のPRONTに入る。ジョッキ片手に、読書。
・ 拡散 ディフュージョン 「アイデンティティ」をめぐり、僕達は今 − 著:大蔵得史 ミネルヴァ書房
 SF大会の旅の間もずっと読んでいたのだが、ようやく読み切った。自分の体験、友人との語り合いの中でアイデンティティ拡散とアイデンティティ達成を浮き彫りにするというもの。本人は普遍的なものを求めているのだが、本のタイトルからしてそれは難しい。副題に「京大生が「語り合う」同時代」とある。出てくる青年達は経済的なことに追われることなく生活できるし、何もしなくても「京大生」という肩書きによって社会的に守られている。その辺りの特殊性は取り置かれている。その特殊性がこの本を上梓することが出来た1つの理由になっている。
 そのような甘さを感じて読みながらツッコミを入れることもあるが、前も後ろもない青年の呟きを聞くという点で興味深いものになっている。
 これらの「語り合い」からあぶり出されたアイデンティティ達成の情景は、「主体的」という言葉が持つ、健全で前向きなイメージとは合わない。もっと成り行き任せで、1つの諦念の先にあるものとして捉えている。アイデンティティ拡散の背景に幼児期の全能感とそれを根とする完全主義の生き方の挫折がある場合、「達成」は己の限界を含めた自己理解の深化を伴う。そして、それは本文で筆者やその友人達が語っているように、結果立ち現れるのは「喜び」よりも「諦め」の雰囲気となる。
 なんともダウナーな話だが、これはこれでいいと思う。「健全な青年像」「健全なアイデンティティ達成」という1つの健全思想によって判断され、矯正されるよりはよっぽど『健全』だ。
 「諦め」は決して否定的なことではない。幻想から現状へ意識を移すこと。本当に試されるのは、「その上でどういう態度を取るか」ということだろう。ここで、エリクソンとフランクルが結び付いた。

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