夕方、涼を求めて尻手駅前のガストに入る。進まない日記の作成と読書をするために。

 本を読みながら考えた。「仕事」「労働」という日本語そのものが持つイデオロギーと呪。この2つの単語の「仕」と「労」という文字から「仕える」「労する」という言葉が連想される。そして従属と苦役のイメージが浮び、自立と充足のイメージは外付けの概念で導き出さなければならない。このイメージ構成の順番が実体を表しているとも言える。精神的持続力を育む環境で育った人はこの順番で「何か」を得ることが出来るかもしれないが、そのような環境に無縁の人は最初のイメージで躓いてしまう可能性がある。その場合、躓く人が悪いのだろうか?
 「仕事」を「志事」、「労働」を「朗動」と言葉遊びしてみる。この造語に対して感じるものを考察することで何か見えてくるかもしれない。

 言葉によって<世界>を把握する。把握された「世界」は<世界>の写像。ならば投影面を変えることで把握される「世界」は変わる?


・「フランクルを学ぶ人のために 編:山田邦男 世界思想社」
 本を読んでいると、別の事がいきなり思い浮かびリンクすることがある。この本を読んでいるときにそういう体験をした。
「態度価値」についての記述を読んでいるとき。態度価値について意味することは知っている。知らないものを知るためではなく、内容確認の気持ちで読んでいた。そのときにバッと先日のN君とのチャットが思い出された。いつもの軽いノリで終始したチャット。果たしてあの軽いノリは「いつもの」ノリだったのか?3ヶ月からそれ以上の入院を控えて。私はきちんと受け取っていたのだろうか?

 そして・・・今更ながらグーグルで「ホジキン病」を検索することになる・・・・・・

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