思ったより昨夜は呑んだみたいだ。大人しく、MT13のプレイングのためにまだ読み掛けの「フランクルを学ぶ人のために」を読んで過ごした。

 もし高校生の時にフランクルに出会っていたならば、教師の道を敢えて進んだかもしれない。それだけ、彼の思想は力強い。

 「彼(フランクル)が、教育者の役割として強調したのは、「目医者」ではなく、意味実現の「生きた実例」になることであった。・・・・・・求められるのは、自ら意味を模索し、格闘する「生きた実例」で在ることである。それは、恣意によるものではない。たとえば仕事、研究、教育といった、自らがおかれたその状況に臨む姿勢、究極的には人生への構えが問われているのである。とりわけ、大人は、自覚的に「子どもと共に生きる状況」にどのような姿勢で向き合い、この世界の在り様をどのように子どもに提示できるかが問われているといえよう。」

 「・・・そもそも自らの生き方を不問に付して他者への生き方への援助は成り立ちえない。」

 「子どもや教育を対象化して実体的に捉えるのではなく、いつもすでに子どもと共に生きる現実へと投げ出されているわれわれが、ダイナミックに変化するそのつどの状況下で −つまり、それはその子どもの存在の固有性と時間や場所の唯一性によって規定されるのだが− 「何が求められているのか」「何を呼びかけられているのか」を、そのつど自らの「良心」において聞き取り、それを行為によって「応答」する在り方・・・」

 「大人が自らの人生から期待されていることに真摯に応答し、自らの「生の意味」の探求に格闘しながらそのつど実現していく姿が、子どもに感化を与えるということなのである。つまり、大人が、意味や価値を自ら生きることによって、その「意図せざる結果」として、子どももそのモデルをきっかけに自らの「生の意味」を発見することができるのである。」
     (引用:フランクルの教育観 岡本哲雄)

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