また、呑み過ぎた。

 どうせ今日も芸祭に行くのだから、展示作品を見たり、小演奏会を聴いたりしようとしていたのに‥‥。昨日と同じぐらいに到着。
 ガムランの音が聞こえる。5号館のピロテイーで「ジャワガムラン・クラブ」が演奏していた。踊り子さんがちょこちょこと踊る。ぐるんぐるんと回るグルーブが心地良い。
 声楽科の模擬店らしい「La voce」で軽くパスタを食べてから改めて5号館の109教室に入る。階段教室が学生時代を思い出させる。一つおきに机の上にワインボトルが置いてある。どうやらセルフサービスで呑んでくれというものらしい。昨日の酒がちょっと残っていたので1杯だけ‥‥。
 夜楽塾(音楽編)。元々は美術の方の企画が先行してあり、それの音楽編が出来ないかと企画されたもの。それぞれの業界で名の知れた人達がジャンルを越えて芸術を語り合うという趣向だったらしい。終了時間はあってないようなもの。音楽編は「学内外から応募されたオリジナル曲が流れ、スクリーンに譜面や絵が映し出される。それを元にゲストが作品を講評したり、全学生に共通の話題、日頃から考えていることを語り合ったり‥‥」という企画。ゲストは千住明さんとサエキケンゾウさん。この組み合せで十分面白そうな事が起こりそうな予感がする。
 応募作品は最初は芸大の作曲科、それ以外の科、芸大以外の音楽大学、音大以外の大学という応募者の立場を順序に発表された。これ自体に趣向がある。千住さんの口からでてきた言葉の切れ端。『職人』、『アーティスト』、『視点の違い』、『アカデミズムと実用音楽』、『観念』、『感覚』・・・
 自身、アカデミックな音楽と実用音楽の狭間でせめぎあってきた人。その立場から芸大生に向けて発する言葉はどんな思いと意図があるだろうか。
 サエキケンゾウさんは程良い位置から、巧妙なコメントを差し込む。

 興味深かったのは、応募作品を試聴するに際し、会場にきている応募者をステージに上げたこと。普通、批評に際し、作品と作者の間に一本の線を入れて行う。そこに「高い芸術は匿名性を持つ」という思想が垣間見える。作者は作品に従属する。作者=『作品』を作った人。対して、今回は先に作者が挙げられた。作品は作者に従属する。作品=「この作者」が作ったもの。
 視聴者は作者の存在を無視して視聴することが難しくなる。バイアスの掛かった視聴。
 「作者のルックスで聞こえ方が違う」 この指摘が意味するものは何か? 作品は『複製』されるが、作者は『複製』されない?
 何気ないコメントの中に潜むもの。コメントには発信者と想定受信者という情報が含まれている。では、芸大生はこの塾で何を受け取るか?

 サンプリング技術と電子楽器の発達は「複製の音楽」を容易にした。ミリマリズム。「繰り返しの音楽」。「循環」は気持ちいい。リズムに乗っての音楽はいくらでも聞き続けられる。例えば、ガムランのように。気持ち良さに潜む危険。

 繰り返される演奏。時間軸と空間軸を極端に長くして見下ろせば、全世界で繰り返されるクラシック音楽。ぐるぐるぐる。有限性と無限性。可能性と必然性。ぐるぐるぐる。
 繰り返される言葉。時間軸と空間軸を極端に長くして見下ろせば、全世界で繰り返される愛の言葉。ぐるぐるぐる。有限性と無限性。可能性と必然性。ぐるぐるぐる。



    アウラ?



 また、呑み過ぎた。

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