いぬもあるけば・・・「ゼミ」
2002年10月17日 前からゼミという言葉が実体を表していない事を気に掛けていた。でも、「かるちゃーすくーる」というにはあんまりだ。無理を承知で使い続けることにしようかしらん。
で、ゼミの日。先生がスライド用にスクリーンを購入してきて、これを使うことに。先月は模造紙に投射していたのだが、映りが違う。なるほど。
今日は徳川美術館で行った記念講演会のテキストと文献資料における天目と茶碗の記述データベースを使っての講義。茶会記に記述されるものを時代毎に比較することで、流行の推移を追うことができる。データベースから安土桃山時代から江戸初期にかけて「天目→茶碗」「唐物→和物」という流れがはっきり浮かび上がる。これ以外に、角川から先頃出た焼き物の辞典から「茶碗」についての記述を抜粋して、「茶碗」というものの価値感の変遷を概説。江戸時代に茶会で使われた茶碗は「一楽 二萩 三唐津」という戯れ言葉が示していると考える。茶の湯における「茶碗」の原点である「青磁茶碗」の十分条件として「総釉掛け」、「無地無文」、そして「左右対称」の3つが挙げられる。そのため現在関心と高い評価が集まっている美濃焼茶碗「志野焼」「瀬戸黒」「織部焼」などは茶碗の系譜から見ると異端に属していたため、当時の茶会では実際には用いられなかったのではと推測されている。当時、良い茶碗とされているものは、中をみると底が大きく見えて軽いもの、つまりお茶を立て易いもので、茶人の志向は実用重視だったことが判る。このころの文化人の趣向をも想像させてくれて面白い。名碗は名刀と同じく、道具として優れているものだった。これからも質実剛健な武士に茶が受け入れられたのも納得できる。美濃焼茶碗も浮世絵と同様に近世になって「発見」されたものだったというのは興味深い。尤も日本の芸術品と銘されるものは全てそうだが。時代毎に価値観が違う。となれば、それを意識しないロールプレイは空虚なものになる。古代、中世はもちろん、ほんの100年前のことすらも。
スライドは灰被天目を幾つか。スクリーンが良いこともあって、黄天目の黄色の部分などがよく見えた。これは2回釉薬を掛けていて、その下の黄色い釉が僅かに見えているもの。なぜ、こういう灰被を行ったのかよく分かっていないというが、2回釉薬を掛けるというところからある事を思い出した。銅の金メッキだ。銅に直接金をメッキすると、金が次第に銅の内部に拡散してメッキとしての効能がなくなってしまう。それを防ぐために、まずニッケルメッキをし、それから金メッキをする。当時の中国の職人も芸術品を作ろうとしてわざと行ったのではなく、純粋に技術的な理由で行ったことなのではないだろうか?それが、たまたま茶人の感性に触れて「面白いもの」と把握されたと。
東京国立博物館蔵の「馬蝗絆」。これは壊れた茶碗を継いで修理したもので、その継ぎ跡が馬の上にいる蝗のように見えるところからこの名がある。どんな風に継いだのかしらんと思っていた先生はある日、何気なく見ていた中国映画「初恋のきた道」で焼き物を修理する光景を見て感動したという。そこから、昔はよく鍋の修理屋さんが家を回ってきたとかそういう話になったのは置いておこう。
最後にスライドで見た「不二山」は素人の私が見てもいい楽茶碗だった。手に取ったことのある先生の話によると、「しっとりしていた」という。「しっとり」という言葉を使わせる茶碗。
帰りにゼミの主催者さんから、「折角頂いたけれど見に行けない。もし行けるならばどうぞ」とコンサートのチケットを2枚貰った。府中の森芸術劇場ってどこにあるの?17時に出れば、行けなくはなさそうなので頂いた。さて。
で、ゼミの日。先生がスライド用にスクリーンを購入してきて、これを使うことに。先月は模造紙に投射していたのだが、映りが違う。なるほど。
今日は徳川美術館で行った記念講演会のテキストと文献資料における天目と茶碗の記述データベースを使っての講義。茶会記に記述されるものを時代毎に比較することで、流行の推移を追うことができる。データベースから安土桃山時代から江戸初期にかけて「天目→茶碗」「唐物→和物」という流れがはっきり浮かび上がる。これ以外に、角川から先頃出た焼き物の辞典から「茶碗」についての記述を抜粋して、「茶碗」というものの価値感の変遷を概説。江戸時代に茶会で使われた茶碗は「一楽 二萩 三唐津」という戯れ言葉が示していると考える。茶の湯における「茶碗」の原点である「青磁茶碗」の十分条件として「総釉掛け」、「無地無文」、そして「左右対称」の3つが挙げられる。そのため現在関心と高い評価が集まっている美濃焼茶碗「志野焼」「瀬戸黒」「織部焼」などは茶碗の系譜から見ると異端に属していたため、当時の茶会では実際には用いられなかったのではと推測されている。当時、良い茶碗とされているものは、中をみると底が大きく見えて軽いもの、つまりお茶を立て易いもので、茶人の志向は実用重視だったことが判る。このころの文化人の趣向をも想像させてくれて面白い。名碗は名刀と同じく、道具として優れているものだった。これからも質実剛健な武士に茶が受け入れられたのも納得できる。美濃焼茶碗も浮世絵と同様に近世になって「発見」されたものだったというのは興味深い。尤も日本の芸術品と銘されるものは全てそうだが。時代毎に価値観が違う。となれば、それを意識しないロールプレイは空虚なものになる。古代、中世はもちろん、ほんの100年前のことすらも。
スライドは灰被天目を幾つか。スクリーンが良いこともあって、黄天目の黄色の部分などがよく見えた。これは2回釉薬を掛けていて、その下の黄色い釉が僅かに見えているもの。なぜ、こういう灰被を行ったのかよく分かっていないというが、2回釉薬を掛けるというところからある事を思い出した。銅の金メッキだ。銅に直接金をメッキすると、金が次第に銅の内部に拡散してメッキとしての効能がなくなってしまう。それを防ぐために、まずニッケルメッキをし、それから金メッキをする。当時の中国の職人も芸術品を作ろうとしてわざと行ったのではなく、純粋に技術的な理由で行ったことなのではないだろうか?それが、たまたま茶人の感性に触れて「面白いもの」と把握されたと。
東京国立博物館蔵の「馬蝗絆」。これは壊れた茶碗を継いで修理したもので、その継ぎ跡が馬の上にいる蝗のように見えるところからこの名がある。どんな風に継いだのかしらんと思っていた先生はある日、何気なく見ていた中国映画「初恋のきた道」で焼き物を修理する光景を見て感動したという。そこから、昔はよく鍋の修理屋さんが家を回ってきたとかそういう話になったのは置いておこう。
最後にスライドで見た「不二山」は素人の私が見てもいい楽茶碗だった。手に取ったことのある先生の話によると、「しっとりしていた」という。「しっとり」という言葉を使わせる茶碗。
帰りにゼミの主催者さんから、「折角頂いたけれど見に行けない。もし行けるならばどうぞ」とコンサートのチケットを2枚貰った。府中の森芸術劇場ってどこにあるの?17時に出れば、行けなくはなさそうなので頂いた。さて。
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