いぬもあるけば・・・「あらすじ作成」
2002年11月6日WT1の学園祭イベントの出し物として「映画」を撮ることにした。先日からごちゃごちゃ書いているのも、ゲーム内でPC達が撮る映画についての相談内容。映画を撮ることは前から計画していて、8月頃からPC達の合宿を撮影旅行としてみたりと細かな流れを作っていた。どんな映画を撮るかについては何も考えていなかったが、合宿をネタにした「PCなりきり掲示板」の書き込みからアイディアが得られればいいと思っていたし、実際それを利用した。
合宿は8mmカメラ片手に青春18キップを使い、「さいころの旅」をするというもの。映画とかに関係なく「飯田線の旅」が出来たら面白いと考えていた。が、他のPLさんの書き込みからいきなり九十九里浜に到着したことになってしまった。山に行くつもりが海に。なりきり掲示板で話を繋げるのに疲れたこともあって、ある事件に出会ったことにして、それを元に合宿後に映画の脚本を考えているということにして、そのスレッドを終えた。
話を考えるに当たって、夏に出会った『事件』をどんなものにしようかと考えた。ここで、「妖魔」について説明しよう。これから先の話を理解してもらうには説明しておかないと・・・(汗)。
WT1もWT2も「人外の存在」にPC達が立ち向かうという設定のゲームなのだが、この「人外の存在」の性格が2つのゲームで異なっている。
WT1の設定では「人外の存在」は「妖魔」と呼ばれる。瘴気(実体と自己意識を持たない)に憑依された人が負の感情を抱く中で完全に融合してしまったときに「妖魔」となる。つまり元は人間。肉体の構造が変わっただけで、外見・性格・記憶などは変わらない。それどころか肉体的な変化がなくなり、いくら年月が経っても妖魔になった肉体年齢の姿のまま。元は人間であるため、悪意の塊のような性格の妖魔だけでなく、大人しい性格のものもいる。また動物の妖魔は動物の本能を持ちながらも、実体化するほどの力は無く、通常の人間には目に映らない。
普通の人間や動物との違いは通常の食事の替りに、他の生物から精神の力(いわゆる魂)を摂取しなければならないこと。この魂の摂取は、生物の血か肉を食べる(或いは飲む)事で行なわれる。魂を全て失った生物は死亡するが、魂を少しだけ摂取された生物は、多少の倦怠感はあるものの、普通に生活する事が可能。この「少しだけ摂取された場合は死なない」という設定が、妖魔の存在を微妙なものにしている。絶対的な敵ではなく、共存も可能な存在。曖昧さがあるため、「何故倒すのか」を考えるゲームになっている。対してWT2の「殲鬼」は共存しえない存在として設定されている。悩むことなく攻撃しかけられ、「如何に倒すのか」を考えればいい。
ある事件を妖魔に関わる事件にしようと思った。しかし、人間の妖魔を出すと設定上色々面倒なことになる。動物の妖魔の事件にしよう。どんな動物?そこで、昔読んだ藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」というマンガを思い出した。これも高校生が、義憤を感じても社会を変えるには無力な存在としての学生が、主人公の話だから思い出したのかもしれない。このマンガに「サマードッグ」という話があった。
サマードッグ。親が子供の情操教育の道具として別荘で過ごす夏休みの間だけ子供に与える犬。夏が終われば捨てられる。マンガでは捨てられた犬達が野犬となり、哀しみと怒りで自分達を捨てた人間達を襲うようになる。野犬のリーダーの犬とその犬を忘れられなくて家出してきた少年の物語だった。野犬となった犬と家出少年はとうとう触れ合い抱き合うことが出来た。
この物語の構造をWT1に持ち込んだらどうだろう。設定上最大の違いは、「動物の妖魔は通常の人間には目に映らない」という点にある。いくら働きかけても、自分を見てくれない。実体化しないので、触れることもできない。 こうして出来た元ネタが、下記のようなものだった。『思い出』が1つの主題となっているのは、私のPCにとってこれが最後の学園祭であり、何かを残したいをいう想いがあるという設定から。
『 撮影旅行も兼ねた夏の合宿で出会った「ある事件」をベースにした作品。
「動物・待ち続ける・妖魔化」
瘴気により妖魔化してまでも昔の主の少年を待ち続けるサマードッグが元の話。
妖魔化してしまったために逆に大人となった主には彼女を見ることができない。
だが、学生のレベルでは演出上撮影が難しいので、これを擬人化して人が演じる。
その人を思う余り変わってしまった。
が、その変化が逆に結ばれる事のない「断絶」を生じさせてしまう。
「時の流れ」が二人を別つ。
想い人は流れる時の中にあり、老い、そして死んで行く。
しかし少女は・・・』
犬といえば、昔「黄金の犬」とか「炎の犬」とか犬が主役のドラマがあったなぁ〜。
共和党圧勝。
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