いぬもあるけば・・・「無計画」
2003年3月8日 昨夜にNさんから届いたメールで急遽予定が埋まった。とりあえず、新宿駅で合流することに。後で路線図を調べてみたら、南武線を使って合流したほうが早いし安かったことに気が付いた。
京王線に乗って府中駅に。バス停のそばに新田義貞の銅像が。一瞬何故?と思ったが、付近が古戦場跡であることを思い出し納得。そういえば鎌倉街道もこの辺りを通っていたのでは?
送迎のバスに揺られて「郷土の森博物館」に。梅の花が見頃なのか、想像以上に来館客が多い。もっと寂れていると思ったので驚いた。喫茶ルームで一休み。久々に会ったので、近状を聞く。仕事の話がなかったということは仕事の方は順調なようだ。家族の話は‥‥それぞれの家族にいい面と悪い面がある訳で。バランスは保たれている感じでとりあえずはなにより。
見ることが出来ると言うのでプラネタリウムを見た。五島プラネタリウムが閉館して以来のプラネタリウム。1時間近くのプログラムのうちの後半は物語形式。月を「失った記憶《私はどのようにして生まれたのか》を調べてくれる者を待ち続けるもの」として人類の月へのアプローチを語らせるというシナリオ。
プラネを見た後に特別展の「園原徹写真展 ALASKA HEART LAND〜荒野に生きる仲間たちのメッセ−ジ〜」を見た。これがこの博物館を訪れた目的。アラスカの大地に生きる動物達の姿を撮り続けているようだ。写真だけでみれば愛らしい熊達。ちょっと驚いたのが、思った以上に沢山の種類の動物達が生きていること。ぱっと思い浮かんだものぐらいしか生きていないような気がしていた。厳しいが、豊かな自然であることがこの辺りから改めて判った。3/30には園原徹氏本人が訪れて講演するらしい。展示にもう少しヒネリか何かがあった方がよかったかも。
2階にある常設展を覗いてみた。大したものはないだろうと思ったら、博物館という名前通り古代出土品から民俗品、はては昆虫などまで府中という場所を鍵として纏めていた。個人的には農機具に関心があった。農機具そのものというよりも、失われし技術・工具としての農機具。養蚕のための道具が過去のものとして飾られている。が、ほそぼそとであるが未だに養蚕をしている人もいる。それは現役の道具なのだ。私には蚕の幼虫を自分の掌に這わせたときのくすぐったさや皮膚を触るとひんやりとしながらもすべすべしていたのを感じた記憶がある。無数の蚕の幼虫が桑の葉を食べる音はまるで夕立のようだった。果たして、あの触感や音や匂いは伝達可能なのだろうか?
もしカスタトロフが起き、石油がない状況で自給自足をしなければならなくなったならば、ほんの70年ほど前の機具すらも使いこなす術を失っている我々は一気に古墳時代の農業技術レベルでしか農作業が出来なくなってしまうのだろうか。使い方が良く分からない農機具を前に、そういう想いが浮ぶ。
石油。石油とは何か?石油は「死体」だ。我々は「死体」を様々に利用して生きている。地球温暖化の原因と火葬との関係。悪者の二酸化炭素。その二酸化炭素はかつて、愛した人を構成したものかもしれないのに。アニミズム的発想をすれば、死者は遍在する。これらはグロテスクな発想だが、1つの救済も提示している。
バスが当分来ないので、博物館から京王線の駅まで歩くことにした。てぽてぽ・・・はっ、気が付くと違う方向に。無事に二つ先の駅に到着。
新宿に戻って、食事を取る事にした。Nさんは去年から花粉症なのだが、昨年暮れから体質改善のために肉を一切取らないようにしているのだそうだ。12月末から6月まで挽肉以外は口にしないようにしているという。肉の成分が原因ならば形態は関係ないはずだが、どうやら胃腸に対する負担が鍵のようだ。花粉症対策として「胃腸を労る」という発想があるのは面白い。食事管理やお茶などの民間療法を実践してきたお陰で軽い状態で済んでいるらしい。そのあたり、「全人的療法」とも言えるか。
でだ、肉なしの食事が出来るところを探すわけだ。薄らぼんやりした記憶だと、伊勢丹の辺りに野菜を中心にしたお店があったはず‥‥ということで、行ってみた。なかった(汗)。さてどうしようとウロウロしていると、伊勢丹のレストラン街の看板が目に留まった。「・・・まくろびおてぃっくれすとらん?」 あやしい‥‥あやしいネーミングの店だ。これは‥‥どんな店なのか確認せねばならん(爆)。そんなダメ的発想で伊勢丹のエレベーターに乗った。
店に着いて覗いてみると、それほどあやしそうには見えない。ベジタリアンレストランという訳でもなさそう。どうやら有機野菜を使うことにコダワっている店のようだ。あやしいと思ったのは勘違いか。有機野菜が主役ならば肉は余りでないだろう。そう思って、「CHAYA MACROBIOTIC RESTAURANT」に入った。
コース料理を頼んで、出てきたものを食べ出したときの印象は、本当に素材にコダワっている感じだった。素朴な味付けのものが多い。素材の味を楽しむという趣向なのだろう。でも、パンに付けるものが、ゴマペーストと白醤油を混ぜたものというのは‥‥ピーナッツペーストのような甘いものを想像していたのがかなり違う。不思議な味だ。
変った料理で、本当に拘っているなぁと思いながら食事は進んだ。そして、最後に頼んだコーヒー‥‥はともかく、一緒に出てきた代用ミルク。豆乳を使っている、更にもち米を蒸して麹状にしたものが入っているらしい。変なところに拘るなぁ。新鮮なミルクを使えば済むのになんでわざわざこんなものをつくるのだろう。どうやらこれはこの店オリジナルみたいで売ってもいるらしい。味は‥‥びみょ〜。少なくとも土産に買う気になれない。これがどうして商品になるのか?コーヒーはいつもストレートで飲むので別にミルクは必要なかったが、もし入れないと飲めないならば、ミルクを頼むなぁ‥‥。変な店だ。
食事を終え、店を出て、改めてムック本の存在を知って手に取った。料理雑誌オレンジページの別冊で「マクロビオティック料理」についての紹介本だった。「痩せる」とかのアオリがある。頁を捲ってびっくり。いきなり、太極図。これは一体‥‥(汗)。読んでようやく判った。なぜ、あんな変な代用品をわざわざ作っているのかを。う〜む。この店は料理ではなく、思想を食べる店だったのだ。
新宿駅でNさんと別れ、山手線に。品川駅構内の書店で新書を立ち読み。そのまま買ってしまった。
「古武術に学ぶ身体操法」 甲野善紀 岩波アクティブ新書
「剣豪 その流派と名刀」 牧秀彦 光文社新書
「30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」」 金森誠也【監修】 PHP文庫
帰宅後、届いていたメールを読む。仲間内の「鹿島神宮・香取神宮詣でツアー」の日程を15日にという話。何気にあんな本に出会ったこともあるし、15日に用が出来たので、できれば明日行きたい。私以外の二人に急遽連絡を取って、明日に替えてもらった。さて、これで明日は6時半起きだ。一番遅刻が危ぶまれたのが私だったのはバツグンに秘密だ。
京王線に乗って府中駅に。バス停のそばに新田義貞の銅像が。一瞬何故?と思ったが、付近が古戦場跡であることを思い出し納得。そういえば鎌倉街道もこの辺りを通っていたのでは?
送迎のバスに揺られて「郷土の森博物館」に。梅の花が見頃なのか、想像以上に来館客が多い。もっと寂れていると思ったので驚いた。喫茶ルームで一休み。久々に会ったので、近状を聞く。仕事の話がなかったということは仕事の方は順調なようだ。家族の話は‥‥それぞれの家族にいい面と悪い面がある訳で。バランスは保たれている感じでとりあえずはなにより。
見ることが出来ると言うのでプラネタリウムを見た。五島プラネタリウムが閉館して以来のプラネタリウム。1時間近くのプログラムのうちの後半は物語形式。月を「失った記憶《私はどのようにして生まれたのか》を調べてくれる者を待ち続けるもの」として人類の月へのアプローチを語らせるというシナリオ。
プラネを見た後に特別展の「園原徹写真展 ALASKA HEART LAND〜荒野に生きる仲間たちのメッセ−ジ〜」を見た。これがこの博物館を訪れた目的。アラスカの大地に生きる動物達の姿を撮り続けているようだ。写真だけでみれば愛らしい熊達。ちょっと驚いたのが、思った以上に沢山の種類の動物達が生きていること。ぱっと思い浮かんだものぐらいしか生きていないような気がしていた。厳しいが、豊かな自然であることがこの辺りから改めて判った。3/30には園原徹氏本人が訪れて講演するらしい。展示にもう少しヒネリか何かがあった方がよかったかも。
2階にある常設展を覗いてみた。大したものはないだろうと思ったら、博物館という名前通り古代出土品から民俗品、はては昆虫などまで府中という場所を鍵として纏めていた。個人的には農機具に関心があった。農機具そのものというよりも、失われし技術・工具としての農機具。養蚕のための道具が過去のものとして飾られている。が、ほそぼそとであるが未だに養蚕をしている人もいる。それは現役の道具なのだ。私には蚕の幼虫を自分の掌に這わせたときのくすぐったさや皮膚を触るとひんやりとしながらもすべすべしていたのを感じた記憶がある。無数の蚕の幼虫が桑の葉を食べる音はまるで夕立のようだった。果たして、あの触感や音や匂いは伝達可能なのだろうか?
もしカスタトロフが起き、石油がない状況で自給自足をしなければならなくなったならば、ほんの70年ほど前の機具すらも使いこなす術を失っている我々は一気に古墳時代の農業技術レベルでしか農作業が出来なくなってしまうのだろうか。使い方が良く分からない農機具を前に、そういう想いが浮ぶ。
石油。石油とは何か?石油は「死体」だ。我々は「死体」を様々に利用して生きている。地球温暖化の原因と火葬との関係。悪者の二酸化炭素。その二酸化炭素はかつて、愛した人を構成したものかもしれないのに。アニミズム的発想をすれば、死者は遍在する。これらはグロテスクな発想だが、1つの救済も提示している。
バスが当分来ないので、博物館から京王線の駅まで歩くことにした。てぽてぽ・・・はっ、気が付くと違う方向に。無事に二つ先の駅に到着。
新宿に戻って、食事を取る事にした。Nさんは去年から花粉症なのだが、昨年暮れから体質改善のために肉を一切取らないようにしているのだそうだ。12月末から6月まで挽肉以外は口にしないようにしているという。肉の成分が原因ならば形態は関係ないはずだが、どうやら胃腸に対する負担が鍵のようだ。花粉症対策として「胃腸を労る」という発想があるのは面白い。食事管理やお茶などの民間療法を実践してきたお陰で軽い状態で済んでいるらしい。そのあたり、「全人的療法」とも言えるか。
でだ、肉なしの食事が出来るところを探すわけだ。薄らぼんやりした記憶だと、伊勢丹の辺りに野菜を中心にしたお店があったはず‥‥ということで、行ってみた。なかった(汗)。さてどうしようとウロウロしていると、伊勢丹のレストラン街の看板が目に留まった。「・・・まくろびおてぃっくれすとらん?」 あやしい‥‥あやしいネーミングの店だ。これは‥‥どんな店なのか確認せねばならん(爆)。そんなダメ的発想で伊勢丹のエレベーターに乗った。
店に着いて覗いてみると、それほどあやしそうには見えない。ベジタリアンレストランという訳でもなさそう。どうやら有機野菜を使うことにコダワっている店のようだ。あやしいと思ったのは勘違いか。有機野菜が主役ならば肉は余りでないだろう。そう思って、「CHAYA MACROBIOTIC RESTAURANT」に入った。
コース料理を頼んで、出てきたものを食べ出したときの印象は、本当に素材にコダワっている感じだった。素朴な味付けのものが多い。素材の味を楽しむという趣向なのだろう。でも、パンに付けるものが、ゴマペーストと白醤油を混ぜたものというのは‥‥ピーナッツペーストのような甘いものを想像していたのがかなり違う。不思議な味だ。
変った料理で、本当に拘っているなぁと思いながら食事は進んだ。そして、最後に頼んだコーヒー‥‥はともかく、一緒に出てきた代用ミルク。豆乳を使っている、更にもち米を蒸して麹状にしたものが入っているらしい。変なところに拘るなぁ。新鮮なミルクを使えば済むのになんでわざわざこんなものをつくるのだろう。どうやらこれはこの店オリジナルみたいで売ってもいるらしい。味は‥‥びみょ〜。少なくとも土産に買う気になれない。これがどうして商品になるのか?コーヒーはいつもストレートで飲むので別にミルクは必要なかったが、もし入れないと飲めないならば、ミルクを頼むなぁ‥‥。変な店だ。
食事を終え、店を出て、改めてムック本の存在を知って手に取った。料理雑誌オレンジページの別冊で「マクロビオティック料理」についての紹介本だった。「痩せる」とかのアオリがある。頁を捲ってびっくり。いきなり、太極図。これは一体‥‥(汗)。読んでようやく判った。なぜ、あんな変な代用品をわざわざ作っているのかを。う〜む。この店は料理ではなく、思想を食べる店だったのだ。
新宿駅でNさんと別れ、山手線に。品川駅構内の書店で新書を立ち読み。そのまま買ってしまった。
「古武術に学ぶ身体操法」 甲野善紀 岩波アクティブ新書
「剣豪 その流派と名刀」 牧秀彦 光文社新書
「30ポイントで読み解くクラウゼヴィッツ「戦争論」」 金森誠也【監修】 PHP文庫
帰宅後、届いていたメールを読む。仲間内の「鹿島神宮・香取神宮詣でツアー」の日程を15日にという話。何気にあんな本に出会ったこともあるし、15日に用が出来たので、できれば明日行きたい。私以外の二人に急遽連絡を取って、明日に替えてもらった。さて、これで明日は6時半起きだ。一番遅刻が危ぶまれたのが私だったのはバツグンに秘密だ。
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