「人は感じたいように感じ、理解したいように理解する」
そんな言葉をdarieさんのエッセイ(オフィシャルサイトに掲載)を読んで思い出した。
 所謂、「思い込み」という奴で。
 アート系の職業に就いている人に対して、一般的な人が抱くイメージがある。良くあるのが

「神秘的」とか。なまじ中途半端に相手の職業を知っていると、リアルな本人に対してそのイ

メージのフィルターを掛けてしまう。
 「普段はどこに居るのですか?」
 この質問自体、非常に変わっている。例え初対面であっても普通出てこない。何か特別な生

き物の生態についての質問のようだ。いや、本人は意識していないだろうが、そういう観点の

質問なのだ。ガラドリエルみたいなエルフみたいな異世界の生き物のように、darieさんを見て

いる。その上で、あるはずに違いない「神秘な秘密」を垣間見たいと。
 つまり、その人が求めているのはリアルではなく、ファンタジーなのだ。だから、返ってく

るのはファンタジーを構成するに相応しい答えでなくてはならない。例えば「武蔵野の森が好

きでよく、そこで過ごしています」のような。リアルな答えはファンタジーを壊すので受け入

れられない。
 darieさんはこのような質問をした男性を「誠実」と言っているが、実際は「素朴ゆえの傲慢

」「無知ゆえの傲慢」だと思う。なぜそう思うかは、おそらく情報不足なときにdarieさんと話

をする機会があったら似たような質問をおそらくしただろうからだ。darieさん以外でも上野さ

んなど実生活が伺いしれないアーティストに対しても。
 そしてそのように解釈する場合、この質問は別段おかしくなくなる。「自分が考えている事

実」を確認する、正解が既に決定されている自問自答の発展型だからだ。この論法は別段男性

に限るものではない。お節介焼きで妙に他人の事を知りたがるおばさんも、結局知りたいのは

事実ではなく、自分が妄想している「仮想事実」が正しいことの証拠だからだ。
 
 笑い話で済ませてもいいが、「認知」の話として捉えなおすと、事は笑い話ではなくなる。

誰しもが情報の入力部分にフィルターを持っている。それを踏まえたとき、「事実」とは何か

?「相互理解」とは矛盾した言葉ではないか?などの恐怖の疑問が生じてくる。この恐怖はあ

の「コズミックホラー」に通じている。常識が侵食され、壊されてゆく絶対的恐怖。
 

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