いぬもあるけば・・・「大地震」
2003年5月26日 定時の終わりを告げるラッパの音が鳴り響いた後、多少まったりとした雰囲気になった。
今日はNgtがあるので、まだ帰れない。それでも、定時が終わったことで多少緊張が解けていた。
Ngtの準備が整いつつある午後6時半前。それは起こった。
相当の規模だ。最初、冗談かと思った。全員がそのままの状態でいて特に慌てる様子もなく、部屋にあるものが落ちたり倒れたりする音もしなかったからだ。
揺れの時間が長かったために、揺れている間に「これはネタだ!」と考えている自分がいた。
「これだけしっかり把握しているのだから、このまま座りこけているのもなんだなぁ。」
TVで見た地震体験車のことを思い出し、机の下にあえて隠れるというネタを思いついた。中々、机の下に隠れるほど長く揺れることは少ない。少なくともそれを把握して、状況確認してから動くほど長くは。
で、隠れてみた。隠れてから大した時間が立たないうちに揺れは収まった。
まずはTVで状況確認。震度的にも相当大きいことを知ることで、ちょっと安心。しかし地震で別のことを思い出した。会社の人が点検のために奥尻島に訪れていたときに遭遇した、あの地震のことを。
震源地が分からなかったこともあり、津波のことを思い出して、ちょっと冷や汗。TVで「津波発生の恐れはない」と言ってくれるまではかなり不安だった。地形的には奥尻島を襲ったレベルの津波が襲うことはないだろうと思ったが、もし来たら事務所や周囲の機材が全て被害を受け、物によっては機能を失ってしまったろう。そのときの被害総額を考えると、平然としては居られなかった。
事務所では全社挙げて、被害状況の確認をしていた。あれだけの揺れにも関わらず、ほとんど被害がなかった。一部、水道施設や消火設備に不具合が発生したり、位置を固定していた大型機材がずれたとかいう程度。
為さらせた敷地も何も問題なかった。
地震発生後、すぐに最悪の事態が起きたときにそれを他者に伝えておくために、AirH"でいつものチャットに地震報告。最悪、もっと大きな地震や津波などが発生して私が死んでも、その直前の様子が誰かに伝わるだろうと。そんな考えは杞憂だったけれど。
「津波発生の恐れなし」のニュースを見て、ようやく本社に連絡する気になった。最初の揺れの後に「無事だ」と伝えてから被災するのも情けないと思い、本当に無事と言える事態まで状況を観察していた。
社用のケータイで連絡しようとしたのだが、このときすでにケータイの回線も輻輳状態に入りつつあった。電話を掛けても通じない。そのうち、「おまちください」と表示された。
ケータイは駄目だけれど、利用者が少ないPHSは、AirH"は全く問題ない。そこで、自分の個人アドレスから会社の上司に安否の確認のメールを打った。
会社にメールを打ったのは、別に業務のためだけではない。メールを受け取れない実家から会社に問い合わせがあるかも知れないからだ。
「
松島*****派遣員 **です。
地震、はげしく揺れましたが、**待機者は皆、無事です。
********は中止です。**にも大きな被害はなさそうです。
しっかり、机の下に隠れました。
ケータイが繋がらないので、個人の回線でメールを送ります。
以上
」
続いて、一食会MLにメールを流し、それからこの日記を読んでいる人に対し、状況報告の書き込みを行った。
「 えー、現在、宮城県北部におりまして・・・
生まれて一番大きな地震に会いました。震度6弱。
が、揺れそのものはそれほど衝撃的ではありませんでした。
空っ風や冬の日本海の風などの突風で家が揺れるのを体験しているから?
震源地が深くて良かったです。海岸沿いですからね。津波が一番怖い。
昨日の車酔いの残りがあって、余震の揺れに気持ち悪くなったのはひみつ。
とりあえず、今日の日記は無事を知らせるためのものとして。」
事務所は余震による被害発生を恐れて、ずっと待機命令が出ていた。
が、21時近くになって派遣者の我々は帰宅することにした。この頃になると輻輳状態も解消し、実家に連絡を入れることができた。
今日はNgtがあるので、まだ帰れない。それでも、定時が終わったことで多少緊張が解けていた。
Ngtの準備が整いつつある午後6時半前。それは起こった。
相当の規模だ。最初、冗談かと思った。全員がそのままの状態でいて特に慌てる様子もなく、部屋にあるものが落ちたり倒れたりする音もしなかったからだ。
揺れの時間が長かったために、揺れている間に「これはネタだ!」と考えている自分がいた。
「これだけしっかり把握しているのだから、このまま座りこけているのもなんだなぁ。」
TVで見た地震体験車のことを思い出し、机の下にあえて隠れるというネタを思いついた。中々、机の下に隠れるほど長く揺れることは少ない。少なくともそれを把握して、状況確認してから動くほど長くは。
で、隠れてみた。隠れてから大した時間が立たないうちに揺れは収まった。
まずはTVで状況確認。震度的にも相当大きいことを知ることで、ちょっと安心。しかし地震で別のことを思い出した。会社の人が点検のために奥尻島に訪れていたときに遭遇した、あの地震のことを。
震源地が分からなかったこともあり、津波のことを思い出して、ちょっと冷や汗。TVで「津波発生の恐れはない」と言ってくれるまではかなり不安だった。地形的には奥尻島を襲ったレベルの津波が襲うことはないだろうと思ったが、もし来たら事務所や周囲の機材が全て被害を受け、物によっては機能を失ってしまったろう。そのときの被害総額を考えると、平然としては居られなかった。
事務所では全社挙げて、被害状況の確認をしていた。あれだけの揺れにも関わらず、ほとんど被害がなかった。一部、水道施設や消火設備に不具合が発生したり、位置を固定していた大型機材がずれたとかいう程度。
為さらせた敷地も何も問題なかった。
地震発生後、すぐに最悪の事態が起きたときにそれを他者に伝えておくために、AirH"でいつものチャットに地震報告。最悪、もっと大きな地震や津波などが発生して私が死んでも、その直前の様子が誰かに伝わるだろうと。そんな考えは杞憂だったけれど。
「津波発生の恐れなし」のニュースを見て、ようやく本社に連絡する気になった。最初の揺れの後に「無事だ」と伝えてから被災するのも情けないと思い、本当に無事と言える事態まで状況を観察していた。
社用のケータイで連絡しようとしたのだが、このときすでにケータイの回線も輻輳状態に入りつつあった。電話を掛けても通じない。そのうち、「おまちください」と表示された。
ケータイは駄目だけれど、利用者が少ないPHSは、AirH"は全く問題ない。そこで、自分の個人アドレスから会社の上司に安否の確認のメールを打った。
会社にメールを打ったのは、別に業務のためだけではない。メールを受け取れない実家から会社に問い合わせがあるかも知れないからだ。
「
松島*****派遣員 **です。
地震、はげしく揺れましたが、**待機者は皆、無事です。
********は中止です。**にも大きな被害はなさそうです。
しっかり、机の下に隠れました。
ケータイが繋がらないので、個人の回線でメールを送ります。
以上
」
続いて、一食会MLにメールを流し、それからこの日記を読んでいる人に対し、状況報告の書き込みを行った。
「 えー、現在、宮城県北部におりまして・・・
生まれて一番大きな地震に会いました。震度6弱。
が、揺れそのものはそれほど衝撃的ではありませんでした。
空っ風や冬の日本海の風などの突風で家が揺れるのを体験しているから?
震源地が深くて良かったです。海岸沿いですからね。津波が一番怖い。
昨日の車酔いの残りがあって、余震の揺れに気持ち悪くなったのはひみつ。
とりあえず、今日の日記は無事を知らせるためのものとして。」
事務所は余震による被害発生を恐れて、ずっと待機命令が出ていた。
が、21時近くになって派遣者の我々は帰宅することにした。この頃になると輻輳状態も解消し、実家に連絡を入れることができた。
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