いぬもあるけば・・・「ネタなし」
2003年8月22日 ネタがないので先日の原稿の一部をアップ。
「音楽紹介系サークルがどんな本を作っているか」をちょっと理解してもらえれば。
1.『つかのまの虹』
tune the rainbow
作詞:岩里祐穂/作曲・編曲:菅野よう子/歌:坂本真綾
この「tune the rainbow」という歌を貴方はどう聴くだろうか?
若い希望に満ちた二人が共に愛を紡ぐ歌として聴くのが普通だろう。
私もそう聴くが、それだけでない別の相を感じる事がある。何故か哀愁を感じるのだ。
それは、この歌が「劇場版ラーゼフォン 多元変奏曲」の主題歌であるということが大きな影響を与えているからだろう。
映画の中で遥は思いの丈を吐く。
『私は、神名君と同じ空気が吸いたかった。
私は神名君と同じ地面を踏んでいたかった。
同じ時間を過ごしたかった。
私は、私は…私は神名君と一緒に大人になりたかった。』
この映画を踏まえて、改めて聴く。映画が時空が変容するSF的なものであるからか、この歌の歌詞に対してもその時空=時制が変容して、もしくは平行に存在して聞こえてくる。
つまり、この歌詞が「‥‥であった」という過去、過去完了のものとして聞こえてくる。
「君が流す涙 拭うためだけに 僕はここにいたよ」
「迷い生きる僕らは気づかず
やさしい愛の歌さえ届かなかった」
「愛し合う僕たちは 強い風の中 離れても
愛し合う僕たちは いつもそばにいた 祈りの中でずっと
「守りたかった ただあなただけを その笑顔輝く日々を
守りたかった 孤独に囲まれ 悲しみに揺れる心を
忘れない 風や木々を あの日見た夕焼け空を
忘れない 大好きな歌 何度も読んだ絵本の表紙
守りたかった ただあなただけを その笑顔輝く日々を
守りたかった 孤独に囲まれ 悲しみに揺れる心を
忘れない この高い空 青い海 夏の陽差し
忘れない あなたと交わした言葉さえ 何もかも」
いくつかの時制を変えただけで、全く違うシーンが浮かび上がってくる。
二人の未来に続く歌が、一転する。現在形で語られる文は全て、「かつてそう思った、そう言った」という含みが与えられる。
この仕掛けで浮かび上がるのは「強烈な喪失感」だ。幸せなあの時、もう二度と取り戻すことはできないあの瞬間を乞う姿。例えどれほどの物や力を得られても、過ぎ去りし時は取り戻せない。ただ、思うのみ。
この解釈というか、改造は歌単体で扱う時には許されないことだが、これが映画音楽としてある場合、許されると思う。この解釈を踏まえて、映画を見て貰いたい。
この歌に哀愁を感じるのは、その歌詞に仕掛けがある。
「守りたい」というのは「かくありたい」という思いであって、約束ではない。「守ろう」「僕は守る」というのが持つ強さがない。
「忘れない」という言葉にはもっと否定的な文脈が感じられる。何故なら、忘れない事はいつか過ぎ去って、「今」ではなくなってしまう事だから。
『忘れない あなたと交わした言葉さえ 何もかも』
随分と否定的な解釈だと思われるが、この解釈が成立したとしてもこの歌が幸福を歌った歌という事には変わりないだろう。例え、それが既に遥か彼方に過ぎ去った出来事だったとしても、それは確かに『あった』。ならば、それは永遠に『あった』事柄として記録される。「無」ではなく、「不在」。それでもう十分幸福な事だと、私は思う。
それが「つかのまの虹」だったとしても‥‥
「音楽紹介系サークルがどんな本を作っているか」をちょっと理解してもらえれば。
1.『つかのまの虹』
tune the rainbow
作詞:岩里祐穂/作曲・編曲:菅野よう子/歌:坂本真綾
この「tune the rainbow」という歌を貴方はどう聴くだろうか?
若い希望に満ちた二人が共に愛を紡ぐ歌として聴くのが普通だろう。
私もそう聴くが、それだけでない別の相を感じる事がある。何故か哀愁を感じるのだ。
それは、この歌が「劇場版ラーゼフォン 多元変奏曲」の主題歌であるということが大きな影響を与えているからだろう。
映画の中で遥は思いの丈を吐く。
『私は、神名君と同じ空気が吸いたかった。
私は神名君と同じ地面を踏んでいたかった。
同じ時間を過ごしたかった。
私は、私は…私は神名君と一緒に大人になりたかった。』
この映画を踏まえて、改めて聴く。映画が時空が変容するSF的なものであるからか、この歌の歌詞に対してもその時空=時制が変容して、もしくは平行に存在して聞こえてくる。
つまり、この歌詞が「‥‥であった」という過去、過去完了のものとして聞こえてくる。
「君が流す涙 拭うためだけに 僕はここにいたよ」
「迷い生きる僕らは気づかず
やさしい愛の歌さえ届かなかった」
「愛し合う僕たちは 強い風の中 離れても
愛し合う僕たちは いつもそばにいた 祈りの中でずっと
「守りたかった ただあなただけを その笑顔輝く日々を
守りたかった 孤独に囲まれ 悲しみに揺れる心を
忘れない 風や木々を あの日見た夕焼け空を
忘れない 大好きな歌 何度も読んだ絵本の表紙
守りたかった ただあなただけを その笑顔輝く日々を
守りたかった 孤独に囲まれ 悲しみに揺れる心を
忘れない この高い空 青い海 夏の陽差し
忘れない あなたと交わした言葉さえ 何もかも」
いくつかの時制を変えただけで、全く違うシーンが浮かび上がってくる。
二人の未来に続く歌が、一転する。現在形で語られる文は全て、「かつてそう思った、そう言った」という含みが与えられる。
この仕掛けで浮かび上がるのは「強烈な喪失感」だ。幸せなあの時、もう二度と取り戻すことはできないあの瞬間を乞う姿。例えどれほどの物や力を得られても、過ぎ去りし時は取り戻せない。ただ、思うのみ。
この解釈というか、改造は歌単体で扱う時には許されないことだが、これが映画音楽としてある場合、許されると思う。この解釈を踏まえて、映画を見て貰いたい。
この歌に哀愁を感じるのは、その歌詞に仕掛けがある。
「守りたい」というのは「かくありたい」という思いであって、約束ではない。「守ろう」「僕は守る」というのが持つ強さがない。
「忘れない」という言葉にはもっと否定的な文脈が感じられる。何故なら、忘れない事はいつか過ぎ去って、「今」ではなくなってしまう事だから。
『忘れない あなたと交わした言葉さえ 何もかも』
随分と否定的な解釈だと思われるが、この解釈が成立したとしてもこの歌が幸福を歌った歌という事には変わりないだろう。例え、それが既に遥か彼方に過ぎ去った出来事だったとしても、それは確かに『あった』。ならば、それは永遠に『あった』事柄として記録される。「無」ではなく、「不在」。それでもう十分幸福な事だと、私は思う。
それが「つかのまの虹」だったとしても‥‥
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