完徹状態だ。
しかも、昨日は足りないものを慌てて買いに方々に出かけて・・・・会社に戻ってから終電ギリギリまで仕事。走って駅に行ったら、東横線で事故があった関係で京浜東北線も遅れていた。
川崎駅から案がぱらつく中、徒歩で帰宅。そのまま荷作りやPC登録や入浴やらで、気がつくと出発じかん。
 ボケていたのか、京成電鉄で乗り過ごして、第一ターミナルビルに。集合場所が第二ターミナルであることを知ってちょっと汗。シャトルバスがあってよかった。
 それから・・・・・

 と、言う感じで「行き当たりばっ旅(海外編)」が始まった。帰国は22日。果たして、どんなことになるか・・・
 英会話も、茶会の作法もサッパリなまま…(滝汗)。

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上記は成田空港で書いてアップしたもの。嵌った状況がどことなくいつぞやの旅行と同じ故の記憶障害か‥‥<でじゃ・びゅ?」
飛行機に乗り込む直前までチャットをしたり、ケータイメールをしたりしていた。

行きの飛行機はANAの010便。
 機内で早速読書。日経新聞、『異文化をこえる英語 日本人はなぜ話せないか』、『男、はじめて和服を着る』そして遠州流だが『茶の湯の不思議』を読んで行く。
完徹状態に昼食でワインを頂いただけで気を失う事も数度。13時間なんてあっという間だ。『男、はじめて和服を着る』は読みきらなかった。
日経の土曜版だったかに、カスピ海ヨーグルトの生育キットの販売を展開するベンチャーが出ていた。
私が分けてもらったものは‥‥自分で食べるのはいいけれど他の人には食べさせにくいモノになっている。
苦いというか渋いヨーグルトというのは余り食べた事がないのだが‥‥(汗)。
異文化‥‥は同時通訳の人が書いたもの。茶の湯の不思議もそうだが、少し捻た思いが透けて見える。言いたい事が別にあるのだろう。内容は何も知らない私にとって為になるものだった。
 
 ケネディ国際空港に到着したのは、現地時間で10時半頃。予定より早く着いたのだが、施設の事情でしばし機内待機。
 入国審査を終えて、30代後半ぐらいの現地駐在員と合流。ANAの人らしく日本人。フリープランのツアー参加者は私以外は長崎からの女性。添乗員が乗ってきた大型ワゴンに荷物を入れてもらい、市街に。市内観光のオプショナルツアーは私だけで、もう一人の人はホテル(確かウェリントンだったか)に直行。マジソン街を登って55st.を西に。彼女の手続きを終えた後、それから添乗員の彼と二人で市内観光‥‥
 ウェリントンホテルを出て、7番街をひたすら南に下っていった。当日券安売り場のTKTSに人が並んでいるのを右に見、更にソーホーを通り抜けて行く。
 市内観光というよりも、ワゴンを使った「はとバスツアー」だ。基本的に市街を車内から眺めながらグルグル。いくつかの場所で車を降りて、5分〜15分ほど見て回るという感じ。とはいえ、初めてのニューヨークということで車内から見るだけでも面白い。問題は、暫くの間、リアリティを感じられなかったことだ。「あれが松井が住んでいるところですよ」と言われたり、5番街を見たりしても。時差ボケのせいなのか。山田康夫さんが歌っていた「まるで世界」の様な‥‥。ちょっと乖離していたのかも。
 車中でニューヨーク事情を聞く。コリアタウンが拡大しているのに対し、日本人はそこそこ住んでいるにも関わらず日本人街はない。てっきりあると思っていたので驚いた。チャイナタウンもあるのに。そんな在ニューヨークの日本人の事を少し放して語る日本人現地従業員。それは観光案内というよりも、ニューヨークに暮らす一日本人の呟きのような‥‥。
 車中での話題は9.11の事に。車はそちらの方向に向かっている。彼がぼつりと言った「アレのお陰で人生が変わりましたよ」が忘れられない。具体的には9.11以降、永住権の取得が難しくなったという。そのため、取得できていてもいいのに未だ取得できないでいると。つまり、彼は未だ異邦人のまま、ここで暮らしているということだ。
 旅行日程表にはなかったが、やはり行ってみたい。というか、行かなければならないだろう。最初は寄るつもりはなかった。なぜなら、見物客が物見遊山気分で訪れるのが許される場所ではないとして。だが、考えが変わった。そこを訪れるのは、ある意味で義務だろう。この目で見なければならない。ニューヨーカーだけでない、世界中の人々の人生を変えたあの『点』を。
 
 
 
 フェンス越しに、ぽっかり開いた空間から見上げた空はとても青かった。
 
 
 

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