いぬもあるけば・・・「オープニング レセプション」
2003年10月21日 グッケンハイム美術館併設のカフェで昼食を取った後、五番街をまた歩いてホテルに向かった。途中、フラフラと「F.A.O.シュワルツ」に寄って、ぬいぐるみさん達を譲り受ける。
フラフラしつつも予定通り16時にホテルに戻る。着物と袴を着付けてもらった。そんな訳で(?)、生まれて初めて、袴を身に着けた訳で‥‥
自分の部屋に戻って、お辞儀の練習や正座したり、正座から立ったりしてみた。きちんと出来ない(汗)。袴姿で立ち姿から綺麗に正座することすら満足に出来ない。正座から立つ方はまだましだが、それは綺麗に座れていてこそ。これほど大変だったとわ‥‥。オープニングレセプションは記念茶会を催すと聞いている。正座するようなシチュエーション、それどころか一連の所作を求められる場かもしれない。下読みを全然していない論文と資料片手に研究会発表をするような‥‥
な、なんとか‥‥なるよなぁ‥‥(ヒント:ならない)
今日ほど、同行した人達の逞しさを思い知った日はなかった。
まぁ、ともあれ無事にレセプション会場のメトロポリタン美術館正面入り口前に到着。が、先行しているはずの3人の姿が見受けられない。これは先に入場してしまったのかと、階段を上がる。周囲は華やかな雰囲気。ヲタク精神と、招待客をロールプレイしていた為にそれに威圧されずに済んだ。ま、実際招待状を持っている訳で。
招待状を見せ、荷物チェックを受けて中に入ると、顔見知りの人がいた。車椅子などの関係で別の入り口から先に入れて貰ったらしい。3人の姿を見たか尋ねると、先程会場したばかりで見ていないと。外に戻ると、3人の姿が。タクシーの運ちゃんの差が出たようだ。
織部の垂れ幕が見えるように、まるで七五三のような記念撮影(汗)。まぁ、実際彼女達にとって私はほとんど息子の年齢ではあるが。18時を過ぎている。改めて中に入った。
しかし、日本女性の和服姿は多いけど男性の和服姿はほとんどいない。ヤバイ・・・馬子なのに殿様と勘違いされたら(汗)。実際、一部の人は私を「特別」な人だと思っていた節がある。たとえ、先生の関係者だと言っても、どちら関係かは「人は望みたいように物事を了解する」訳で、あちらが勝手に想像してしまう。何しろ数百名の参加者のうち、男性の着物姿は私を含め片手で足りた。伝統芸能や茶道関係者だと勘違いされても仕方ないと言えばそうかもしれない。これはもう、ロールプレイに徹するしかないのかしらん。
閑話休題。
まずはオリベ展の内覧会。途中で順番を逆に見ていた事を先生から指摘されて舞い戻った。正面から入ると利休の時代のものが置かれ、そして織部へと続いてゆく流れ。『大黒』が展示されていた。個人蔵のものなので、滅多にお目に掛かれない。腰を落として下の部分を見た後に、中を覗いた。広い。
いくつかの展示について先生にレクチャーを受けながら見ていったが、全部をゆっくり見られなかった。それにしても、相当色々なところから集めたことが判る。一度にこれだけのものを見ることができるのはまずないんじゃないだろうか。個人蔵の品の多さからも想像された。
内覧会の後、エジプト・ウイングのサックラー館に案内された。
球状や長筒状に作られた和紙の笠を通して放たれる光は間接照明となって周囲を、デンドゥール神殿とナイル川を模した池を照らす。水面に映るその光と会場の雰囲気からヘンデルの「水上の音楽」が連想された。そして、その連想が正しいことが更に判ってくる。例えば、それは岐阜県知事の梶原拓氏や豊田章一郎氏が挨拶をするのを目の当たりにした辺りでも‥‥。[http://news.fs.biglobe.ne.jp/news/photo/jj031021-1506509.html]
神殿の傍らで立食形式で料理が振舞われていた。その対比は中々強烈。
挨拶はオープニングレセプションに記載されていた内容であったが、それぞれが個性的な通訳の使い方を行った。いや、段取りが取れていかなったとも言えるか。豊田氏の挨拶の後半部分全てが愛知万博の宣伝だった。博覧会協会の会長という立場も大変だなぁと感じた瞬間。
大倉正之助さんの太鼓に合わせて矢萩春江さんが屏風に書を書くというイベント。その様子は挨拶と同様、大型プロジェクターで大きな壁に投影しているのだが、これがなんともダメだった。門外漢の私がいうのもなんだが、この投影は茶の湯の精神とずれている。実際の姿と投影された画像に致命的な時差がある。挨拶などはまだ許容できるが、生で聞こえる太鼓の音とのズレは「びみょ〜」を越えている。「その場、その時」という一瞬に対する想いから紡がれたと考えると、これを設置し運用した人達の感性は茶の精神からは遠いのではと思ったり。音の方が光よりも先に達するという状況が耐えられず、最初はこそこそ後に居るつもりだったが奏者が見えるところまで出た。幸い、タッパのお陰で一番前に行かずに済む。ようやく、あの映像を見ずに済んだ。矢萩さんが書のパフォーマンスを追えて暫くして太鼓も止んだ。
茶の用意。野点を志向したものなので、椅子が用意される。梶原氏、副館長、豊田氏そして高橋秀行氏(ノムラ・ホールディング・アメリカInc.社長兼CEO(この展示会は野村證券も協賛している。))という順番。
手前はデュアン・L・フィーゼルさんという裏千家ニューヨーク出張所の方。客人に対し、それぞれ異なる茶碗で立てて差し上げる。客人の個性が伺えて面白かった。終わりに指導をした裏千家ニューヨーク出張所長の山田尚さんが挨拶に出て終了。
これでセレモニーとしての茶会は終わった。その後、参加者の全員に薄茶を振舞われるのだが、これは随分とラフなもの。素直に美味しいお茶を頂いた。女性陣は周囲にいる日本女性と会話を楽しんでいる。現地の情報を仕入れる目論見もありそうだ。近くにいたご婦人二人のうち一人はソーホーのアート事情に詳しい海老原嘉子さん[http://www.japandesign.ne.jp/HTM/NY/]だった。
21時半過ぎぐらいだろうか。そろそろ閉会ということで、帰ることに。出口で今回の展覧会の図録を頂き、外に出た。
そのままタクシーでも拾って真っ直ぐ我々のホテルに向かうのかと思ったら、そうではなかった。事情で1ヶ月ほど前からニューヨークに滞在している二人が住んでいるホテル[ http://www.nylovesyou.com/hotel/surrey.htm]に。そこは私が考えていたホテルとは違った。最初案内されたときにはアパートだと思っていた。人数貸しではなく部屋貸し。システムとしては日本のマンスリーマンションみたいなものなのだが、内装といい広さといい全然違う。ゆったりとしたソファーに座って人心地がつく。照明は間接照明か、橙色の照明なので和む。もっとも、本を読んだりモノを書いたりするのには合わない。だからデスクライトのある机があるということ。机の上にはノートパソコンと‥‥私が先日勝ってきた通信用キットが。部屋によってはLANが繋がっているところもあるらしいが、この部屋は電話回線しかなかったらしい。通信用キットはアメリカでは入手が難しいだろう。どうしたのか尋ねたら、万が一と持ってきたらしい。賢明だ。
すっかり足に根が生えた感じだったが、ホテルに戻らないと。私は帰国の準備がある。帰りにお土産として、松茸ご飯のお握りを頂いた。ニューヨークで松茸ご飯を食べられるとは。しかも、お手製の。朝食を買いにデリに行かずに済む。
タクシーに乗って、ホテルに戻った。
フラフラしつつも予定通り16時にホテルに戻る。着物と袴を着付けてもらった。そんな訳で(?)、生まれて初めて、袴を身に着けた訳で‥‥
自分の部屋に戻って、お辞儀の練習や正座したり、正座から立ったりしてみた。きちんと出来ない(汗)。袴姿で立ち姿から綺麗に正座することすら満足に出来ない。正座から立つ方はまだましだが、それは綺麗に座れていてこそ。これほど大変だったとわ‥‥。オープニングレセプションは記念茶会を催すと聞いている。正座するようなシチュエーション、それどころか一連の所作を求められる場かもしれない。下読みを全然していない論文と資料片手に研究会発表をするような‥‥
な、なんとか‥‥なるよなぁ‥‥(ヒント:ならない)
今日ほど、同行した人達の逞しさを思い知った日はなかった。
まぁ、ともあれ無事にレセプション会場のメトロポリタン美術館正面入り口前に到着。が、先行しているはずの3人の姿が見受けられない。これは先に入場してしまったのかと、階段を上がる。周囲は華やかな雰囲気。ヲタク精神と、招待客をロールプレイしていた為にそれに威圧されずに済んだ。ま、実際招待状を持っている訳で。
招待状を見せ、荷物チェックを受けて中に入ると、顔見知りの人がいた。車椅子などの関係で別の入り口から先に入れて貰ったらしい。3人の姿を見たか尋ねると、先程会場したばかりで見ていないと。外に戻ると、3人の姿が。タクシーの運ちゃんの差が出たようだ。
織部の垂れ幕が見えるように、まるで七五三のような記念撮影(汗)。まぁ、実際彼女達にとって私はほとんど息子の年齢ではあるが。18時を過ぎている。改めて中に入った。
しかし、日本女性の和服姿は多いけど男性の和服姿はほとんどいない。ヤバイ・・・馬子なのに殿様と勘違いされたら(汗)。実際、一部の人は私を「特別」な人だと思っていた節がある。たとえ、先生の関係者だと言っても、どちら関係かは「人は望みたいように物事を了解する」訳で、あちらが勝手に想像してしまう。何しろ数百名の参加者のうち、男性の着物姿は私を含め片手で足りた。伝統芸能や茶道関係者だと勘違いされても仕方ないと言えばそうかもしれない。これはもう、ロールプレイに徹するしかないのかしらん。
閑話休題。
まずはオリベ展の内覧会。途中で順番を逆に見ていた事を先生から指摘されて舞い戻った。正面から入ると利休の時代のものが置かれ、そして織部へと続いてゆく流れ。『大黒』が展示されていた。個人蔵のものなので、滅多にお目に掛かれない。腰を落として下の部分を見た後に、中を覗いた。広い。
いくつかの展示について先生にレクチャーを受けながら見ていったが、全部をゆっくり見られなかった。それにしても、相当色々なところから集めたことが判る。一度にこれだけのものを見ることができるのはまずないんじゃないだろうか。個人蔵の品の多さからも想像された。
内覧会の後、エジプト・ウイングのサックラー館に案内された。
球状や長筒状に作られた和紙の笠を通して放たれる光は間接照明となって周囲を、デンドゥール神殿とナイル川を模した池を照らす。水面に映るその光と会場の雰囲気からヘンデルの「水上の音楽」が連想された。そして、その連想が正しいことが更に判ってくる。例えば、それは岐阜県知事の梶原拓氏や豊田章一郎氏が挨拶をするのを目の当たりにした辺りでも‥‥。[http://news.fs.biglobe.ne.jp/news/photo/jj031021-1506509.html]
神殿の傍らで立食形式で料理が振舞われていた。その対比は中々強烈。
挨拶はオープニングレセプションに記載されていた内容であったが、それぞれが個性的な通訳の使い方を行った。いや、段取りが取れていかなったとも言えるか。豊田氏の挨拶の後半部分全てが愛知万博の宣伝だった。博覧会協会の会長という立場も大変だなぁと感じた瞬間。
大倉正之助さんの太鼓に合わせて矢萩春江さんが屏風に書を書くというイベント。その様子は挨拶と同様、大型プロジェクターで大きな壁に投影しているのだが、これがなんともダメだった。門外漢の私がいうのもなんだが、この投影は茶の湯の精神とずれている。実際の姿と投影された画像に致命的な時差がある。挨拶などはまだ許容できるが、生で聞こえる太鼓の音とのズレは「びみょ〜」を越えている。「その場、その時」という一瞬に対する想いから紡がれたと考えると、これを設置し運用した人達の感性は茶の精神からは遠いのではと思ったり。音の方が光よりも先に達するという状況が耐えられず、最初はこそこそ後に居るつもりだったが奏者が見えるところまで出た。幸い、タッパのお陰で一番前に行かずに済む。ようやく、あの映像を見ずに済んだ。矢萩さんが書のパフォーマンスを追えて暫くして太鼓も止んだ。
茶の用意。野点を志向したものなので、椅子が用意される。梶原氏、副館長、豊田氏そして高橋秀行氏(ノムラ・ホールディング・アメリカInc.社長兼CEO(この展示会は野村證券も協賛している。))という順番。
手前はデュアン・L・フィーゼルさんという裏千家ニューヨーク出張所の方。客人に対し、それぞれ異なる茶碗で立てて差し上げる。客人の個性が伺えて面白かった。終わりに指導をした裏千家ニューヨーク出張所長の山田尚さんが挨拶に出て終了。
これでセレモニーとしての茶会は終わった。その後、参加者の全員に薄茶を振舞われるのだが、これは随分とラフなもの。素直に美味しいお茶を頂いた。女性陣は周囲にいる日本女性と会話を楽しんでいる。現地の情報を仕入れる目論見もありそうだ。近くにいたご婦人二人のうち一人はソーホーのアート事情に詳しい海老原嘉子さん[http://www.japandesign.ne.jp/HTM/NY/]だった。
21時半過ぎぐらいだろうか。そろそろ閉会ということで、帰ることに。出口で今回の展覧会の図録を頂き、外に出た。
そのままタクシーでも拾って真っ直ぐ我々のホテルに向かうのかと思ったら、そうではなかった。事情で1ヶ月ほど前からニューヨークに滞在している二人が住んでいるホテル[ http://www.nylovesyou.com/hotel/surrey.htm]に。そこは私が考えていたホテルとは違った。最初案内されたときにはアパートだと思っていた。人数貸しではなく部屋貸し。システムとしては日本のマンスリーマンションみたいなものなのだが、内装といい広さといい全然違う。ゆったりとしたソファーに座って人心地がつく。照明は間接照明か、橙色の照明なので和む。もっとも、本を読んだりモノを書いたりするのには合わない。だからデスクライトのある机があるということ。机の上にはノートパソコンと‥‥私が先日勝ってきた通信用キットが。部屋によってはLANが繋がっているところもあるらしいが、この部屋は電話回線しかなかったらしい。通信用キットはアメリカでは入手が難しいだろう。どうしたのか尋ねたら、万が一と持ってきたらしい。賢明だ。
すっかり足に根が生えた感じだったが、ホテルに戻らないと。私は帰国の準備がある。帰りにお土産として、松茸ご飯のお握りを頂いた。ニューヨークで松茸ご飯を食べられるとは。しかも、お手製の。朝食を買いにデリに行かずに済む。
タクシーに乗って、ホテルに戻った。
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