いぬもあるけば・・・「さばいばる」
2003年11月6日『愛しすぎる家族が壊れるとき』読了。
この人の著作もずっとチェックしている。なぜならば、彼ら/彼女らの探索と戦いはずっと続いているから。
今回驚いたのは、上野千鶴子さんのゼミを受講したという話。てっきり構築主義的な視点は既に持っていると思っていたからだ。感じているのと、それを自分で言葉にするのとは違うと言う事を、他人事ながらも再認識。
最後の「被害者からサバイバーへ」は最初、『新現実』という大塚英志さんが責任編集する雑誌に掲載されたもので、焦点は北朝鮮から戻って来た人達。他の人が使う「被害者」という政治的な肩書きではなく、過酷な状況下でともかくも生き抜いてきた「サバイバー」としてその人の過去も含めて受け取る必要があるのではという問いかけ。
被害者は対概念であるため、必ず加害者の影が立ち上る。そして一般的に被害者とは力弱き者というイメージがあるから、被害者という烙印はそのまま弱くて可哀想な人という枠に押し込められる。
彼ら自身が今はそういう戦略的立場に立っているのかもしれないが、彼ら自身でない人が彼らを「被害者」と呼びつづけるならば、頭に置いておいたほうがいい。下手をすれば、彼らの自立の意識を突き崩すという本末転倒にもなりかねないことを。
このような一見専門外と思われる事柄に対して発言したのは、家族の中で必死に生き延びてきた人達を見てきた体験と考察から、マスコミ人や研究者などのアッパーとされる人達がタブーとばかりに口を噤んでいる状況を鑑みて‥‥というのもあるようだ。
『反対意見は自粛せよ』という見えない『壁』。
語ることを許さない。否認。
それこそ、サバイバー達が生き延びてきた状況であり、彼らに援助者として関わってきた人は同心円として展開しているそれに対して「異議有り」と申し立てざるを得ない。最もおぞましい暴力が否認である故に。
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