いぬもあるけば・・・「れびゅ〜」
2003年12月28日 私のサークルは情報系サークルなので紹介するバンドやユニットなどの情報を確認しなければならない。今後予定されているライブやCD発売など。今では大抵のところではオフィシャルサイトを持っている。アマチュアバンドも例外ではない。なので、本当ならばサイトのURLだけ紹介しておけばいいのだろうが、それだけで自分でそのサイトに行ってくれる人だけを相手にしているわけではない。例えば昨日の日記の「東京百歌」を知らない人が、知らないからと言ってすぐにGoogleなどの検索エンジンで調べるかといえば調べないだろう。自分に一見関係ない単語は実際にはその先にあるものが本人にとって重要だったとしても読み飛ばしてしまう。
そんな訳で各サイトにアップされている情報を集め、纏めて掲載するという趣旨の雑誌やうちのようなサークルの冊子の形態の存在理由がある訳で。
情報収集は私にとっても為になる。自分で紹介しているくせに、ほとんどチェックしないサイトもあったりする。そのためにCD購入のチャンスを逃したこともある。例えばカズンだが、5年ぶりのオリジナルアルバム
「おかえりなさい」 ZGRCA-2001が1月15日(木)に一般発売されるが、すでに11月からコンサートなどのイベント会場で入手可能だったらしい。劇団キャラメルボックスの公演会場のみで先行入手できる某ユニットのアルバムの如く。(尤も、あちらはファンであっても劇団には興味ない某ユニットのファンは入手できないという点で同じとは言えないが) とまれ、もし情報をチェックしていたら手に入れて先行レビューも可能だったろう。
昼過ぎに情報収集の方は終り、それいがいのページ埋め‥‥じゃなかった、レビューもどきを作成に入る。実はついこのあいだまでレビューできるような新しいCDを購入していなかった。夕暮れ風鈴楽団は余りにマイナーで入手性が悪い。奥井亜紀さんのセルフカバーアルバムも、聴く分には申し分ないが、それについて文章を書くとなると既存の解説文を超えるようなものはなかなか難しい。最悪、ここの日記の過去ログに手を加えて逃げようかとも思っていた。
そんな時に入手したのが、中島みゆきのアルバム「恋文」と坂本真綾のアルバム「少年アリス」。
中島みゆきは「チジョウノホシ」が余りにもヒットしすぎて、20年来チェックしつづけてきたのに引いてしまっていた。「恋文」も店で見かけなければ購入は更に先になっていただろう。久々に聴いて驚いたのは、あまり変わっていないこと。昔と似たような設定の女性の歌があった。今では生存数がどれだけあるのだろうと思うぐらい。それで判った。この人は変わっていないのだと。月がそこにあるように。
アルバム「恋文」の中から、敢えてドラマに関わりのない<寄り添う風>と<ナイトキャップ・スペシャル>をレビューする事にした。
「少年アリス」も入手が遅れ、きちんと聴き込む時間がなかった。ここでいう聴き込むというのは最低20回ぐらい聴くということ。私は先に曲を受容し、しばらくしてから詩を受容するという聴き方をしてしまうため、それぐらい聴かないと《世界》を受容することが出来ない。聴き込んでいたつもりだった歌が、知ってから5年近く経って始めて詩を受容するということもある。そういう点では理解する能力が低いのだろう。あの人に対しての事と同様に。
それでも、ざっと聴いた限り、2曲が頭に引っかかった。そこで、その2曲<スクラップ 〜別れの詩>と<ちびっこフォーク>をレビューする事にした。
<スクラップ 〜別れの詩>は初めて聴いたとき、アップテンポな曲しか頭に入ってこなかった。それはポータブルCDプレイヤーに入れて、移動しながら聴いていたという事もあるが。歌詞カードを読んだとき、別の歌の歌詞かと思った。それぐらい前半の歌詞は敗北感と失墜感の強いものだった。それだけだったら、自虐ソングだ。うわ〜と思いながら続きを聴くと、最後に転回が生じる。歌詞が曲に追いつきシンクロした。ああ、やっぱり菅野ようこは凄いなぁと思った。
不幸だったのが何かをきっかけに救済されたのではない。不幸だったとき、既に救済されていたのだ。
それをこの歌詞と曲そして歌声の組み合わせが表現している。「歌でしかいえない」‥‥そんな感じの作品。
<ちびっこフォーク>は初めて聴いたとき、すぐに気に入った。その哀愁に満ちた曲が心地よかった。歌詞をおぼろげに聴いていて浮かんだイメージは寂しさだった。歌詞カードを読むと、疑問が沸いてきた。そこに書かれているのは悲しい世の中の描写。そしてそれに抗う《ちびっこ》の姿。残念ながら、この《ちびっこ》は私ではない。私はこれほど《つよさ》を持っていない。
哀愁に満ちたフォークギターの音が気になった。そこで歌詞カードを調べると、どうやらUK録音らしくギタリストはあちらの人だった。翻って、歌詞カードには
>憎みあう国や 傷つけあう 街に暮らす
>幼い者たちの 眠れない夜に そっと毛布を
と書かれている。アルバムタイトルにあるアリスからUK録音という発想だったのかも知れないが、UKで「傷つけあう街」と言えば、あの「問題」がどうしても連想されてしまう。ただのファンタジーとしては聞き流せない、リアルの影が立ち上がってきた。
それを足がかりに改めて歌詞カードを見る。タイトルの<ちびっこフォーク>。フォークがフォークソングのfolkであることは曲から推測される。が、fork(突き刺すもの)という意味は全くないだろうか?
それよりも謎なのは《ちびっこ》だ。眠れない幼い者たちに毛布を掛け、眠らずに見張って「ここにいるから大丈夫」と囁く《ちびっこ》。
>ぼくともし世界が 戦うのなら そのときは
>ぼくはぼくの敵の 世界に味方するだろう
>
>すべてを捨てて 戦うだろう
>銃を捨てて 戦うだろう
そう宣言する《ちびっこ》。もはや、歌を歌う者とも歌を聴く者とも違う。自分の敵に味方して戦うなんて事はできない。それは自分の破滅しか意味しないはずだ。それは矛盾だ。そんな事ができるのは‥‥
そこで視界が晴れ渡った。そう、「そんな事ができるのは‥‥」だ。ただ、そこまでしたら、ト学会的な解釈になってしまうだろう。ただ、降りてきたそれを捨てることはできなかった。
>[コメント]
>
> タイトルの意味を考えた。なぜ「ちびっこ」なのか。対するのは「大人」。世界は大人によって作られている。その中にちびっこ本人も含まれている。大人を、世界を否定するということは自分を否定することにも繋がる。それを判った上でなお戦う。そんな事を人はできるのだろうか?そんな事をできるのは、あの『子』しかできないのではないだろうか。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ・・・」
このレビューが書けて、今回の冊子の完成に目処が付いた。
時計を見ると15時。そろそろ出掛けないと。このシーズン初めて袖を通したダッフルコートの温もりを感じながら、銀座「もとじ」に。長着と羽織を受け取りに。どうせならばと長じゅばんや足袋なども持って行った。完成したものを着合わせて様子を確認するだろうからと。
さて、着た感想としてはちょっとびみょ〜。柳染めの色が淡いので少しフラフラした感じがする。尤も着慣れていなく、その姿を見慣れていないというのもあるが。さて、これを明日着られるだろうか。う〜む、色々な意味で無理そうだ。
店を出て、築地に向かった。冬コミ初日を参加した一食会メンバーと合流して食事会という趣向。もっとも食事会なんていう風な大人しいものではない。夏にも行った寿司屋「すしざんまい」。今日はいくら飛ぶのだろうか?(汗
合流して、店に並ぶ。久々の克弘さんからお土産を頂いた。魚沼産コシヒカリ。最近は長岡駅でもお土産として1Kgパックのものが売っているらしい。最初、中身が判らなかったのと、いきなりだったので驚いた。新年最初の自炊のときに頂こう。
さて、店が混んでいるので女性と男性で分かれることにした。同じ会計ではそもそもヤバイだろうから妥当だろう。そう考える時点でダメだよなぁ。そして我々は予想通りの展開に。だから回転寿司でないところでお腹一杯になってどうするんだ〜!支払いの事を考えろ〜!!結局、我々の方の支払いは一人8.5K円也。勢いに流されたとはいえ‥‥(あぅぅ)。
それから上野のぱせらに移動。2時間のカラオケ。昼間、中島みゆきのレビューを書いていたこともあって、曲名リストを見てみた。驚いた。これほど沢山の曲がカラオケになっているとは。1曲がヒットするとこうも変わるものなのか。マイナーでカラオケに入ることはないと諦めていた曲が沢山あった。リストの中に「肩に降る雨」を発見!うわ〜!歌いたくても入ってなくて歌えない歌の俺リスト上位曲がある〜〜! 周りの雰囲気も弁えずに歌ってしまった‥‥(とおいめ)。
そんな訳で各サイトにアップされている情報を集め、纏めて掲載するという趣旨の雑誌やうちのようなサークルの冊子の形態の存在理由がある訳で。
情報収集は私にとっても為になる。自分で紹介しているくせに、ほとんどチェックしないサイトもあったりする。そのためにCD購入のチャンスを逃したこともある。例えばカズンだが、5年ぶりのオリジナルアルバム
「おかえりなさい」 ZGRCA-2001が1月15日(木)に一般発売されるが、すでに11月からコンサートなどのイベント会場で入手可能だったらしい。劇団キャラメルボックスの公演会場のみで先行入手できる某ユニットのアルバムの如く。(尤も、あちらはファンであっても劇団には興味ない某ユニットのファンは入手できないという点で同じとは言えないが) とまれ、もし情報をチェックしていたら手に入れて先行レビューも可能だったろう。
昼過ぎに情報収集の方は終り、それいがいのページ埋め‥‥じゃなかった、レビューもどきを作成に入る。実はついこのあいだまでレビューできるような新しいCDを購入していなかった。夕暮れ風鈴楽団は余りにマイナーで入手性が悪い。奥井亜紀さんのセルフカバーアルバムも、聴く分には申し分ないが、それについて文章を書くとなると既存の解説文を超えるようなものはなかなか難しい。最悪、ここの日記の過去ログに手を加えて逃げようかとも思っていた。
そんな時に入手したのが、中島みゆきのアルバム「恋文」と坂本真綾のアルバム「少年アリス」。
中島みゆきは「チジョウノホシ」が余りにもヒットしすぎて、20年来チェックしつづけてきたのに引いてしまっていた。「恋文」も店で見かけなければ購入は更に先になっていただろう。久々に聴いて驚いたのは、あまり変わっていないこと。昔と似たような設定の女性の歌があった。今では生存数がどれだけあるのだろうと思うぐらい。それで判った。この人は変わっていないのだと。月がそこにあるように。
アルバム「恋文」の中から、敢えてドラマに関わりのない<寄り添う風>と<ナイトキャップ・スペシャル>をレビューする事にした。
「少年アリス」も入手が遅れ、きちんと聴き込む時間がなかった。ここでいう聴き込むというのは最低20回ぐらい聴くということ。私は先に曲を受容し、しばらくしてから詩を受容するという聴き方をしてしまうため、それぐらい聴かないと《世界》を受容することが出来ない。聴き込んでいたつもりだった歌が、知ってから5年近く経って始めて詩を受容するということもある。そういう点では理解する能力が低いのだろう。あの人に対しての事と同様に。
それでも、ざっと聴いた限り、2曲が頭に引っかかった。そこで、その2曲<スクラップ 〜別れの詩>と<ちびっこフォーク>をレビューする事にした。
<スクラップ 〜別れの詩>は初めて聴いたとき、アップテンポな曲しか頭に入ってこなかった。それはポータブルCDプレイヤーに入れて、移動しながら聴いていたという事もあるが。歌詞カードを読んだとき、別の歌の歌詞かと思った。それぐらい前半の歌詞は敗北感と失墜感の強いものだった。それだけだったら、自虐ソングだ。うわ〜と思いながら続きを聴くと、最後に転回が生じる。歌詞が曲に追いつきシンクロした。ああ、やっぱり菅野ようこは凄いなぁと思った。
不幸だったのが何かをきっかけに救済されたのではない。不幸だったとき、既に救済されていたのだ。
それをこの歌詞と曲そして歌声の組み合わせが表現している。「歌でしかいえない」‥‥そんな感じの作品。
<ちびっこフォーク>は初めて聴いたとき、すぐに気に入った。その哀愁に満ちた曲が心地よかった。歌詞をおぼろげに聴いていて浮かんだイメージは寂しさだった。歌詞カードを読むと、疑問が沸いてきた。そこに書かれているのは悲しい世の中の描写。そしてそれに抗う《ちびっこ》の姿。残念ながら、この《ちびっこ》は私ではない。私はこれほど《つよさ》を持っていない。
哀愁に満ちたフォークギターの音が気になった。そこで歌詞カードを調べると、どうやらUK録音らしくギタリストはあちらの人だった。翻って、歌詞カードには
>憎みあう国や 傷つけあう 街に暮らす
>幼い者たちの 眠れない夜に そっと毛布を
と書かれている。アルバムタイトルにあるアリスからUK録音という発想だったのかも知れないが、UKで「傷つけあう街」と言えば、あの「問題」がどうしても連想されてしまう。ただのファンタジーとしては聞き流せない、リアルの影が立ち上がってきた。
それを足がかりに改めて歌詞カードを見る。タイトルの<ちびっこフォーク>。フォークがフォークソングのfolkであることは曲から推測される。が、fork(突き刺すもの)という意味は全くないだろうか?
それよりも謎なのは《ちびっこ》だ。眠れない幼い者たちに毛布を掛け、眠らずに見張って「ここにいるから大丈夫」と囁く《ちびっこ》。
>ぼくともし世界が 戦うのなら そのときは
>ぼくはぼくの敵の 世界に味方するだろう
>
>すべてを捨てて 戦うだろう
>銃を捨てて 戦うだろう
そう宣言する《ちびっこ》。もはや、歌を歌う者とも歌を聴く者とも違う。自分の敵に味方して戦うなんて事はできない。それは自分の破滅しか意味しないはずだ。それは矛盾だ。そんな事ができるのは‥‥
そこで視界が晴れ渡った。そう、「そんな事ができるのは‥‥」だ。ただ、そこまでしたら、ト学会的な解釈になってしまうだろう。ただ、降りてきたそれを捨てることはできなかった。
>[コメント]
>
> タイトルの意味を考えた。なぜ「ちびっこ」なのか。対するのは「大人」。世界は大人によって作られている。その中にちびっこ本人も含まれている。大人を、世界を否定するということは自分を否定することにも繋がる。それを判った上でなお戦う。そんな事を人はできるのだろうか?そんな事をできるのは、あの『子』しかできないのではないだろうか。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ・・・」
このレビューが書けて、今回の冊子の完成に目処が付いた。
時計を見ると15時。そろそろ出掛けないと。このシーズン初めて袖を通したダッフルコートの温もりを感じながら、銀座「もとじ」に。長着と羽織を受け取りに。どうせならばと長じゅばんや足袋なども持って行った。完成したものを着合わせて様子を確認するだろうからと。
さて、着た感想としてはちょっとびみょ〜。柳染めの色が淡いので少しフラフラした感じがする。尤も着慣れていなく、その姿を見慣れていないというのもあるが。さて、これを明日着られるだろうか。う〜む、色々な意味で無理そうだ。
店を出て、築地に向かった。冬コミ初日を参加した一食会メンバーと合流して食事会という趣向。もっとも食事会なんていう風な大人しいものではない。夏にも行った寿司屋「すしざんまい」。今日はいくら飛ぶのだろうか?(汗
合流して、店に並ぶ。久々の克弘さんからお土産を頂いた。魚沼産コシヒカリ。最近は長岡駅でもお土産として1Kgパックのものが売っているらしい。最初、中身が判らなかったのと、いきなりだったので驚いた。新年最初の自炊のときに頂こう。
さて、店が混んでいるので女性と男性で分かれることにした。同じ会計ではそもそもヤバイだろうから妥当だろう。そう考える時点でダメだよなぁ。そして我々は予想通りの展開に。だから回転寿司でないところでお腹一杯になってどうするんだ〜!支払いの事を考えろ〜!!結局、我々の方の支払いは一人8.5K円也。勢いに流されたとはいえ‥‥(あぅぅ)。
それから上野のぱせらに移動。2時間のカラオケ。昼間、中島みゆきのレビューを書いていたこともあって、曲名リストを見てみた。驚いた。これほど沢山の曲がカラオケになっているとは。1曲がヒットするとこうも変わるものなのか。マイナーでカラオケに入ることはないと諦めていた曲が沢山あった。リストの中に「肩に降る雨」を発見!うわ〜!歌いたくても入ってなくて歌えない歌の俺リスト上位曲がある〜〜! 周りの雰囲気も弁えずに歌ってしまった‥‥(とおいめ)。
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