いぬもあるけば・・・「帰省」
2003年12月31日 早起きして酷い状態になっている部屋を片付けるつもりだったが(以下略)。
荷物になるので迷ったが、背中を押されて先日受け取った着物一式を持って行くことにした。
そんな訳で大荷物に。昨日、「いざかや」に行く途中の和菓子屋でかったトラ焼きを土産に。
上野駅から高崎線に乗る。途中、赤羽駅で町田さんと乗り合わせる。昨日、帰省するなら一緒に帰りましょうという話になったのだ。
車中でキエフの話を聞いた。あちらの郷土料理は地政学的に判りやすく、少しフランスの影響のあるロシア料理という感じだったらしい。いつか銀座の「ダリエ」に行って食べてみよう。
キエフ料理の話から、日食旅行の話を絡めてトルコ料理の話に。トルコ料理は美味しいという点で一致して、後日渋谷かどこかの店に行くことを約束。
町田さんと高崎駅で別れて、国際色豊かな両毛線に。親と連絡が取れなかったので迎え無し。上毛電鉄の中央前橋駅までの寂しい道のりを、荷物を引き摺りながら歩く。駅の待合室にあった県の「県央地域交通連携推進の考え方」を伝えるチラシと市の温泉のチラシを手にとってみた。
地方にとって、公共的な交通網を財政破綻なく営業していく事は今後更に重要な事になるだろう。安全なロボットカーの開発が進めばともかく、もうすぐ訪れる未曾有の高齢化社会を考えると、今の自家用車だけに頼った交通は破綻する気がする。自動車の運転手の半分が60歳以上、80歳以上の老人の大部分も買い物や通院に自動車を使うという状況は相当危なっかしい。群馬のように余りに発達した自動車社会では、何かの事情で家族全員が車を運転できなくなると、日常の買い物すら不便になってしまう。また、中心市街地は自動車利用者にとって混んでいたり、駐車場がなかったりで利用しずらく、勢い郊外店に流れてゆく。郊外に分散される事事態は悪いことではないが、それによって「中央」が無くなり人が集まる場であるから成立している雑多な店が存在できなくなってゆく。商業地というものがなくなれば、雇用にも影響が出てくる。
県のチラシはそのような危機意識を元にして、打開策を模索するものだった。交通網は人間で言えば血管みたいなもので、血の巡りを良くする事によって活力を蘇らせる事が可能だろう。ちょっと安心した。少なくともそれぐらいの事を考えている人がいるのだということが判ったからだ。すでに相当血栓が出来ているが来る脳溢血は出来れば避けて欲しいものだ。
市のチラシは温泉のチラシだった。はて、どこに温泉が出来たのやら‥‥え゛?実家の近くじゃないか‥‥一体。
循環器センター駅を降りて、薄暗い道を歩く。地元に住んでいたときには駅から実家まで歩くのはとても面倒に感じていた。「自転車かそうでなければ、自動車。徒歩なんてありえない」という塩梅に。東京圏で暮らす事で徒歩に抵抗が無くなったというのはなんとも皮肉な話だ。
そんな事を考えながら、「開発」によってコンクリートで固められた「小川」の脇道を通って、実家に辿り着いた。
荷物になるので迷ったが、背中を押されて先日受け取った着物一式を持って行くことにした。
そんな訳で大荷物に。昨日、「いざかや」に行く途中の和菓子屋でかったトラ焼きを土産に。
上野駅から高崎線に乗る。途中、赤羽駅で町田さんと乗り合わせる。昨日、帰省するなら一緒に帰りましょうという話になったのだ。
車中でキエフの話を聞いた。あちらの郷土料理は地政学的に判りやすく、少しフランスの影響のあるロシア料理という感じだったらしい。いつか銀座の「ダリエ」に行って食べてみよう。
キエフ料理の話から、日食旅行の話を絡めてトルコ料理の話に。トルコ料理は美味しいという点で一致して、後日渋谷かどこかの店に行くことを約束。
町田さんと高崎駅で別れて、国際色豊かな両毛線に。親と連絡が取れなかったので迎え無し。上毛電鉄の中央前橋駅までの寂しい道のりを、荷物を引き摺りながら歩く。駅の待合室にあった県の「県央地域交通連携推進の考え方」を伝えるチラシと市の温泉のチラシを手にとってみた。
地方にとって、公共的な交通網を財政破綻なく営業していく事は今後更に重要な事になるだろう。安全なロボットカーの開発が進めばともかく、もうすぐ訪れる未曾有の高齢化社会を考えると、今の自家用車だけに頼った交通は破綻する気がする。自動車の運転手の半分が60歳以上、80歳以上の老人の大部分も買い物や通院に自動車を使うという状況は相当危なっかしい。群馬のように余りに発達した自動車社会では、何かの事情で家族全員が車を運転できなくなると、日常の買い物すら不便になってしまう。また、中心市街地は自動車利用者にとって混んでいたり、駐車場がなかったりで利用しずらく、勢い郊外店に流れてゆく。郊外に分散される事事態は悪いことではないが、それによって「中央」が無くなり人が集まる場であるから成立している雑多な店が存在できなくなってゆく。商業地というものがなくなれば、雇用にも影響が出てくる。
県のチラシはそのような危機意識を元にして、打開策を模索するものだった。交通網は人間で言えば血管みたいなもので、血の巡りを良くする事によって活力を蘇らせる事が可能だろう。ちょっと安心した。少なくともそれぐらいの事を考えている人がいるのだということが判ったからだ。すでに相当血栓が出来ているが来る脳溢血は出来れば避けて欲しいものだ。
市のチラシは温泉のチラシだった。はて、どこに温泉が出来たのやら‥‥え゛?実家の近くじゃないか‥‥一体。
循環器センター駅を降りて、薄暗い道を歩く。地元に住んでいたときには駅から実家まで歩くのはとても面倒に感じていた。「自転車かそうでなければ、自動車。徒歩なんてありえない」という塩梅に。東京圏で暮らす事で徒歩に抵抗が無くなったというのはなんとも皮肉な話だ。
そんな事を考えながら、「開発」によってコンクリートで固められた「小川」の脇道を通って、実家に辿り着いた。
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