いぬもあるけば・・・「寝坊」
2004年2月2日 いや、まいった。寝坊というより、時刻表の記憶違い。自分では余裕があると思っていたのに‥‥。
東京駅の売店でAERAを購入。最初の特集の「負け犬の幸福論」という記事を読む。どうやら、このあいだかんたさんが教えてくれた酒井順子氏の「負け犬の遠吠え」という本が引き金になっての特集らしい。階級内差別の話?
問題の本を読んでいないのでなんとも言えないが、勝ちだ負けだという比較の価値観に取り込まれた時点で、著者も編集者も読者も「絶望へまっしぐら」なのは判る。
「負け犬」という言葉は愚痴話のネタとして扱うのが一番当たり障りがないだろう。まともに扱えば危険すぎる話だ。何もかもが見えてしまう。
読んでる雑誌で読者を分類する記事で小倉千加子氏の「結婚の条件」を思い出した。あれも読んでいる雑誌から読者の生き方を分類している。危険といえば、この本も危険だ。視野が広い分、こちらの方がヤバイかもしれない。
話題になっているという現象を見るとき、見過ごしてならないのはこれに対抗する男性を対象にした本が見当たらないことだ。おそらく、男性を対象にした本は女性よりももっと『シャレにならない』から出せないのだろう。もしくは、もっと別の評価関数によって比較される「絶望へまっしぐら」の別の本があるのだろう。
『
ああ、もしもいつか砂時計が、人生の砂時計がめぐりおわるときが来るとしたら、−−そしてこの世の喧騒が沈黙し、せわしない暇つぶしの営なみが終りを告げ、君の周囲にあるものすべてがあたかも永遠におけるが如くに静まりかえるときが来るとしたら、−−そのとき君が男であったか女であったか、金持ちであったか貧乏であったか、人の世話になっていたか独立していたか、幸福であったか不幸であったかというようなことはすべて問題ではない。君が王位にあって冠の輝きを帯びていたか、それとも人目につかぬみすぼらしい人間としてその日その日の労苦と暑熱とを忍んでいるにすぎなかったか、君の名前が世界の存続している限り人々の記憶に止まっていたか、それとも君は数知れぬ群集のなかの一人にすぎぬものとして名前もなしに一緒に駆けずりまわっていたか、或いはまた君を包んでいた栄光はあらゆる人間的描写を凌駕するほどのものであったかそれともまた君はこの上もなく苛酷で不名誉な人間的判決によって罪人の烙印を押されていたか、そういうことは問題ではない。永遠が君に問うこと、これらの数知れぬ幾百万の人々の一人一人に問うことはただ一つである、−−君は絶望して生きていたかどうか、君は君の絶望に少しも気づいていないような状態で絶望していたか、それとも君の病を君を咬む秘密として君の心の奥底に秘めて生きてきたか、罪深い愛慾の果実としてそれを君の胸の下に抱いて生きてきたか、それともまた絶望にたえかねて狂暴となり他人の恐怖のたねとなるような仕方で生きてきたか。もしそうだとしたら、もし君が絶望のまま生きてきたとしたら、よしその他の点で君が何を獲得しないし喪失したとしても一切が君には喪失されてしまっているのである。永遠は君を受け付けない、永遠は君を知らないというのだ! 或いはもっと怖しいことには、永遠は君を知っている、君の知られている通りに君を知っている、−−永遠は君の自己を通じて君を絶望の中に釘づけにするのである!
』
夕食は楼蘭で海老チリソースかけご飯。airH"の圏内なのでメールチェック。逢魔PCのOMCシングルピンナップが納品されていた。早速確認。ピンナップ?う〜ん、商品でいうところの「ウエストアップ」にしか見えない。私の指定が悪かったのか。一番怖ろしい予想は「間違ってピンナップ系の枠を開けていた。背景は描けない。」というもの。このままだと、この新人絵師さんの評判が悪くなる。滅多にファンレターは出さないのだが、今回は指摘するために出してみようか。
その後、出張先に戻って作業。気が付くと24時過ぎ。ああ、OMCのバレピンを頼み損ねた〜!
東京駅の売店でAERAを購入。最初の特集の「負け犬の幸福論」という記事を読む。どうやら、このあいだかんたさんが教えてくれた酒井順子氏の「負け犬の遠吠え」という本が引き金になっての特集らしい。階級内差別の話?
問題の本を読んでいないのでなんとも言えないが、勝ちだ負けだという比較の価値観に取り込まれた時点で、著者も編集者も読者も「絶望へまっしぐら」なのは判る。
「負け犬」という言葉は愚痴話のネタとして扱うのが一番当たり障りがないだろう。まともに扱えば危険すぎる話だ。何もかもが見えてしまう。
読んでる雑誌で読者を分類する記事で小倉千加子氏の「結婚の条件」を思い出した。あれも読んでいる雑誌から読者の生き方を分類している。危険といえば、この本も危険だ。視野が広い分、こちらの方がヤバイかもしれない。
話題になっているという現象を見るとき、見過ごしてならないのはこれに対抗する男性を対象にした本が見当たらないことだ。おそらく、男性を対象にした本は女性よりももっと『シャレにならない』から出せないのだろう。もしくは、もっと別の評価関数によって比較される「絶望へまっしぐら」の別の本があるのだろう。
『
ああ、もしもいつか砂時計が、人生の砂時計がめぐりおわるときが来るとしたら、−−そしてこの世の喧騒が沈黙し、せわしない暇つぶしの営なみが終りを告げ、君の周囲にあるものすべてがあたかも永遠におけるが如くに静まりかえるときが来るとしたら、−−そのとき君が男であったか女であったか、金持ちであったか貧乏であったか、人の世話になっていたか独立していたか、幸福であったか不幸であったかというようなことはすべて問題ではない。君が王位にあって冠の輝きを帯びていたか、それとも人目につかぬみすぼらしい人間としてその日その日の労苦と暑熱とを忍んでいるにすぎなかったか、君の名前が世界の存続している限り人々の記憶に止まっていたか、それとも君は数知れぬ群集のなかの一人にすぎぬものとして名前もなしに一緒に駆けずりまわっていたか、或いはまた君を包んでいた栄光はあらゆる人間的描写を凌駕するほどのものであったかそれともまた君はこの上もなく苛酷で不名誉な人間的判決によって罪人の烙印を押されていたか、そういうことは問題ではない。永遠が君に問うこと、これらの数知れぬ幾百万の人々の一人一人に問うことはただ一つである、−−君は絶望して生きていたかどうか、君は君の絶望に少しも気づいていないような状態で絶望していたか、それとも君の病を君を咬む秘密として君の心の奥底に秘めて生きてきたか、罪深い愛慾の果実としてそれを君の胸の下に抱いて生きてきたか、それともまた絶望にたえかねて狂暴となり他人の恐怖のたねとなるような仕方で生きてきたか。もしそうだとしたら、もし君が絶望のまま生きてきたとしたら、よしその他の点で君が何を獲得しないし喪失したとしても一切が君には喪失されてしまっているのである。永遠は君を受け付けない、永遠は君を知らないというのだ! 或いはもっと怖しいことには、永遠は君を知っている、君の知られている通りに君を知っている、−−永遠は君の自己を通じて君を絶望の中に釘づけにするのである!
』
夕食は楼蘭で海老チリソースかけご飯。airH"の圏内なのでメールチェック。逢魔PCのOMCシングルピンナップが納品されていた。早速確認。ピンナップ?う〜ん、商品でいうところの「ウエストアップ」にしか見えない。私の指定が悪かったのか。一番怖ろしい予想は「間違ってピンナップ系の枠を開けていた。背景は描けない。」というもの。このままだと、この新人絵師さんの評判が悪くなる。滅多にファンレターは出さないのだが、今回は指摘するために出してみようか。
その後、出張先に戻って作業。気が付くと24時過ぎ。ああ、OMCのバレピンを頼み損ねた〜!
コメント