「負け犬の遠吠え」購入。
 いきなり「本書を読まれる前に」で笑わせてもらった。ある意味、これだけでもう十分だ。イタイ。
 何故、この章があるのだろう。『負け犬』という言葉の定義をしているように見えるが実は違う。論じる前に、逃げ道を確保しているのだ。そういう意味で確かに、ここには「負け犬」根性がある。
 そもそも、定義があいまいだ。「子供の有無」と「結婚している、していない」は別の話だし、「普通の家庭」というものについても何も説明がない。どうにか読み解いた上で類推される定義は「著者の親世代の常識でいうところの『普通の人生』を生きていない半端者」だと考える。
 
 著者は別の言い方として次のように説明する。

 「既婚子持ち女に勝とうなどと思わず、とりあえず『負けました〜』と、自らの弱さを認めた犬のようにお腹を見せておいた方が、生き易いのではなかろうか?」という意識から来る、一種の処世術と見ていただいてもいいでしょう。

 さて、この処世術で得られる人生とは何なのだろう。ルサンチマン的な域を出ない気がするのだが。この説明には「自分の弱さを認めた犬のように」とあるが、実際は自分の弱さを認めていない。認めた『振り』をしているだけ。自分の弱さを認めざるを得なくなった末、本当に、真剣に、強度を持って「自分の弱さを認めた」訳ではない。
 この説明文を読んで連想されたのが、「AC概念」だ。「負け犬概念」は「AC概念」の上っ面を掠めて発想された印象を与える。それも悲しいかな誤解したものの上っ面を。決定的な誤解。「ベクトルの向きが逆」という事。本当の「AC概念」は内向きなのに対し「負け犬概念」は、誤解されている「AC概念」と同様に、外向きなのだ。
 
 ‥‥と、読み始めからかなり辛口な感想で始まったが、それなりの期待もしている。1400円もしたのだ。それを覆してくれる何か、読んだ人に希望を与える何かかあるはずだ。
 ‥‥でなければ、可哀想じゃないか。

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