いぬもあるけば・・・「Remaking」
2004年5月8日 いよいよ今日の夜24:10からNHK総合で「オンエアバトル熱唱編」第3回の放送がある。一昨日あたりから既に番組CMが流れていてオンエアされる挑戦者が判ってしまうのはなんだけれど、ネットではもっと情報が当たり前に流れているのだからそれでも良いか。
何番目に放送されるのか判らないが、『夕暮れ風鈴楽団』の演奏が放送される。歌うは「神様よりも高い場所」。吉祥寺音楽祭のコンテスト2位も嬉しいし、ご褒美ライブとは別に一度も関わりのなかったシルバーエレファントでライブできるというのが嬉しい。シルエレの人達が惹かれるものが有ったということだから。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
というのをアップしてから外出。勿論、LSCを掛けて。
上野公園は今日も人が多い。ダンスの練習をしている一団の脇を通り、芸大に。
美術館脇のテラスで待ち合わせ。既にカルチャースクールの人たちが集まっていた。
集合時間になった。先生がやってきて案内してくれる。今日は今、芸大美術館で展示している「−Remaking Modernism in Japan 1900-2000−「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」」を鑑賞する。
最初にこの企画展について説明を受けた。これを聞くのと聞かないのとでは観えてくるものが違ってくる。もしこれを観る機会がある人は、パンフレットを読むか、ここ[http://www.smma-sap.or.jp/modernism.htm]を読んでおくぐらいしておいた方がいい。
野心的な企画展だ。ある人は「ドン・キホーテ的」だと揶揄するかもしれないが。
企画展の意図は名前に表されている。最初に書いたものは通常の名称とは異なっている。パンフ的には「再考:近代日本の絵画 美意識の形成とその展開 - Remaking modernism in Japan 1900-2000 -」だ。だが、これでは企画者の意図は伝わらない。日本語と英文の訳文のタイトルを比べれば一目瞭然だ。企画者の意図は英文のタイトルにある。『Remaking』に。(*1)
企画意図を知らないで展示を見ていると、明治から現代までの日本における絵画の流れを網羅したものとしか捉えられない。
美術史学や歴史学はなぜ存在するのだろうか?それはただ単に「過去の痕跡」を探っているだけなのだろうか?
この企画は近代日本の側面の1つである「美意識」を「絵画」というパラメータで見つめ直す。そして、問いかける。「なぜ、日本はこんな風になったのだろうか?いや、こんな風になってしまったのだろうか?」。
「美意識」という大時代的な言葉を大上段に構えるのは、それが大時代的になっていまったからこそ。「日本人の美意識」はどうあって、またどう変わり、どうなってしまったのか?「日本人の美意識」はなぜあのような行為を許してしまったのか?そして、今、それを許しているのか?
600点に及ぶ膨大な展示作品は1つの交響詩をなしている。「日本人とは?」。
考えてみれば、「日本語」と同様、「日本人」という概念も明治に作られた。ならば「日本人の美意識」というのも同様に。
美意識が時代のバイアスを受けて作られていったものならば、『Remaking』することも出来る。美意識という言葉だと意図が判りにくいならば「精神」と言い換えてみる。「美」を把握するものが「精神」なのだから。
さて,芸大美術館では全体で15章に分けられたうち、第1部として1〜4章を担当する。第1章は博覧会美術、第2章はアカデミズムの成立、第3章は風景論、第4章は静物論。残念ながら館内ではここの展示作品に対しては「近代日本の絵画」全体から見たところの位置を説明してくれてはいない。ちょっと放り出された感じが不親切な気もする。
全てをゆっくり観る時間はないので、重要なものだけピックアウトして観る事に。印象深かったのは黒田清輝の「婦人像(厨房)」,山本芳翠の「浦島図」、岸田劉生の「切通之写生」など。山本芳翠の「浦島図」は別フロアの「西洋婦人図」からの変容振りに愕然とさせられる。西洋に対する反動のようなものが露骨に出すぎて、グロい。時代精神の移り変わりが確かに垣間見られた。
1時間ほど鑑賞の後、会議室で少し談話。そして、鑑賞会は終わった。この時間で既に6時半をまわっていた。今から渋谷の屋根裏に移動してもグリーンホーンのライブは観られないだろう。諦めて、勉強会の有志と芸大近くの「pepe LE MOKO」という店で会食。先生はまだお仕事があるというので、我々だけ。店内はフランス映画のイラストを飾ってある。コース料理が頂ければよいが、そこまで考えていなかったので手持ちがない。1ディッシュの軽食といった感じ。
会食後、上野駅までの道。国立科学博物館前を通る。妙にくだけた企画(ホテルとかビックサイトみたいな展示会場であるような)を催している。どうやら、客寄せ(子供寄せ)の為のものらしい。
国立の美術館、博物館(、そして大学も)は独立行政法人になり、入場者数が大事なパラメータになっている。企画の内容ではなく、有名な展示品の有無だけの展示が増えそうだ。「芸術」
*1 リーダーズ英和辞典では「remake:作り直す、改造する」とある。再考の英訳としては「reconsider:再考する。考え直す。再び審議する。」がある。(竹田青嗣の「近代哲学再考」が「reconsideration of modern philosophy」となっている。)
何番目に放送されるのか判らないが、『夕暮れ風鈴楽団』の演奏が放送される。歌うは「神様よりも高い場所」。吉祥寺音楽祭のコンテスト2位も嬉しいし、ご褒美ライブとは別に一度も関わりのなかったシルバーエレファントでライブできるというのが嬉しい。シルエレの人達が惹かれるものが有ったということだから。
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というのをアップしてから外出。勿論、LSCを掛けて。
上野公園は今日も人が多い。ダンスの練習をしている一団の脇を通り、芸大に。
美術館脇のテラスで待ち合わせ。既にカルチャースクールの人たちが集まっていた。
集合時間になった。先生がやってきて案内してくれる。今日は今、芸大美術館で展示している「−Remaking Modernism in Japan 1900-2000−「再考:近代日本の絵画 美意識の形成と展開」」を鑑賞する。
最初にこの企画展について説明を受けた。これを聞くのと聞かないのとでは観えてくるものが違ってくる。もしこれを観る機会がある人は、パンフレットを読むか、ここ[http://www.smma-sap.or.jp/modernism.htm]を読んでおくぐらいしておいた方がいい。
野心的な企画展だ。ある人は「ドン・キホーテ的」だと揶揄するかもしれないが。
企画展の意図は名前に表されている。最初に書いたものは通常の名称とは異なっている。パンフ的には「再考:近代日本の絵画 美意識の形成とその展開 - Remaking modernism in Japan 1900-2000 -」だ。だが、これでは企画者の意図は伝わらない。日本語と英文の訳文のタイトルを比べれば一目瞭然だ。企画者の意図は英文のタイトルにある。『Remaking』に。(*1)
企画意図を知らないで展示を見ていると、明治から現代までの日本における絵画の流れを網羅したものとしか捉えられない。
美術史学や歴史学はなぜ存在するのだろうか?それはただ単に「過去の痕跡」を探っているだけなのだろうか?
この企画は近代日本の側面の1つである「美意識」を「絵画」というパラメータで見つめ直す。そして、問いかける。「なぜ、日本はこんな風になったのだろうか?いや、こんな風になってしまったのだろうか?」。
「美意識」という大時代的な言葉を大上段に構えるのは、それが大時代的になっていまったからこそ。「日本人の美意識」はどうあって、またどう変わり、どうなってしまったのか?「日本人の美意識」はなぜあのような行為を許してしまったのか?そして、今、それを許しているのか?
600点に及ぶ膨大な展示作品は1つの交響詩をなしている。「日本人とは?」。
考えてみれば、「日本語」と同様、「日本人」という概念も明治に作られた。ならば「日本人の美意識」というのも同様に。
美意識が時代のバイアスを受けて作られていったものならば、『Remaking』することも出来る。美意識という言葉だと意図が判りにくいならば「精神」と言い換えてみる。「美」を把握するものが「精神」なのだから。
さて,芸大美術館では全体で15章に分けられたうち、第1部として1〜4章を担当する。第1章は博覧会美術、第2章はアカデミズムの成立、第3章は風景論、第4章は静物論。残念ながら館内ではここの展示作品に対しては「近代日本の絵画」全体から見たところの位置を説明してくれてはいない。ちょっと放り出された感じが不親切な気もする。
全てをゆっくり観る時間はないので、重要なものだけピックアウトして観る事に。印象深かったのは黒田清輝の「婦人像(厨房)」,山本芳翠の「浦島図」、岸田劉生の「切通之写生」など。山本芳翠の「浦島図」は別フロアの「西洋婦人図」からの変容振りに愕然とさせられる。西洋に対する反動のようなものが露骨に出すぎて、グロい。時代精神の移り変わりが確かに垣間見られた。
1時間ほど鑑賞の後、会議室で少し談話。そして、鑑賞会は終わった。この時間で既に6時半をまわっていた。今から渋谷の屋根裏に移動してもグリーンホーンのライブは観られないだろう。諦めて、勉強会の有志と芸大近くの「pepe LE MOKO」という店で会食。先生はまだお仕事があるというので、我々だけ。店内はフランス映画のイラストを飾ってある。コース料理が頂ければよいが、そこまで考えていなかったので手持ちがない。1ディッシュの軽食といった感じ。
会食後、上野駅までの道。国立科学博物館前を通る。妙にくだけた企画(ホテルとかビックサイトみたいな展示会場であるような)を催している。どうやら、客寄せ(子供寄せ)の為のものらしい。
国立の美術館、博物館(、そして大学も)は独立行政法人になり、入場者数が大事なパラメータになっている。企画の内容ではなく、有名な展示品の有無だけの展示が増えそうだ。「芸術」
*1 リーダーズ英和辞典では「remake:作り直す、改造する」とある。再考の英訳としては「reconsider:再考する。考え直す。再び審議する。」がある。(竹田青嗣の「近代哲学再考」が「reconsideration of modern philosophy」となっている。)
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