WT4のメインプレイング。
【プレイング概略】
愛の伝道師(司?)として行動。
【プレイング概略】
人柱に参加しつつ、いつものように行動。

しかし、まさかWT3のために読んだ本がWT4のプレイングに大きな影響を与えるとは‥‥(苦笑)。
以下、引用。
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キルケゴールがキリスト教の逆説と言った神人の背理である。しかも、神が人間になると言っても、衣食にこと欠くホームレス、浮浪者、病人、犯罪者になる、と言われているのである。次から次へと積み重ねられる惨めさの極限に、神の姿がある、と言われているのである。(中略) しかし、この逆説のうちには、もしかしたら、なにか神の秘密が隠されているのではなかろうか。神がもっとも惨めな人間として現れることにはなにか必然性があるのではないか。それは、一言で言えば、神が愛であるからである。愛は一切の力と矛盾する。力を用いた瞬間に、愛は破壊される。一切の強制は愛の死滅へと行き着く。愛は恩を与えることとも違う。愛は弱者の救いを求めての叫びであり、それに対する応答なのである。それ故、愛に訴え、愛を求める者は無力でなければならないのである。(中略)レヴィナスは、「殺すな」という倫理的命令についてこう言っている。「この命令は正に力から出てくるのではない。それは、他者の顔の姿をとって、強制を放棄し、力を放棄し、全能を放棄する限りにおいて、到来する」。「無限の権威にふさわしく、いわば、それを証明する命令は、正に、それが強制の極限的な拒否であり、強いることを拒む非暴力である点にある。超越という徹底的な退去によって、それは暴力を拒むのである。……この無限の権威は不服従さえをも妨げないが、われわれに時間を残しているのである」。こうして、愛は他者の底知れない善意を持つために、自分はあらゆる力を放棄して底知れない善意を他者に捧げつづけるのである。(略)
 権力なき者、力なき者、弱い者、小さい者、それが愛しうる者、愛されうる者の条件である。なぜなら、権力を持つ者、力のある者、強い者、大きい者は、支配する者であるからである。その力が、体力であれ、知力であれ、財力であれ、魅力であれ、暴力であれ、すべて力は支配するものであるからである。そして、愛は支配と本質的に矛盾するからである。それ故、神が愛であるならば、神は力のない弱い者でなければならない。(中略)もしも奴隷が権力の零地点に立つ極限の弱者であるならば、それは、まことに、愛そのものであると言われる神にふさわしい姿ではなかろうか。(中略)レヴィナスは「主体(sujet)」であるとは「下僕(sujet)」であるということを意味する、と言っている。まことに、奴隷としての神は、この暴力の支配する神なき時代に、レヴィナスが甦らせようとした神に他ならない。
 「神なき時代の神」岩田靖夫 岩波書店
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 名は体を表す/現す。コーリス・デュナミスというPCの名前はギリシャ風でかつカッコいい響きの言葉をつなげて作った。コーリスはPN1の時のPC名から、デュナミスはギリシャ語で
もともとは、それに意味はなかったはずだった‥‥軽い気持ちでネット検索するまでは。

以下、様々なサイトからかき集めた情報の断片。

コーリス(Koryis);平和、幸福

CORES NOMES コーリス・ノーミス

希/χωριs《コーリス》
英/without
和/〜なしで、〜を離れて

21節 【律法とは無関係に】 ここで用いられている前置詞は《コーリス》。
「律法なしに」、「律法とは別に」、「律法の外で」とも訳しうる。
前節までの「律法の実行によっては、だれ一人神の前に義とされることはない」という結論を受けて、義とされるのにまったく別の道が始まったことを宣言する句。

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 さて、あの世界にそんなものを持ち込むことは、可能だろうか?とまれ、彼の名前を覚えて貰おう。 

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