この事態を喜ぶこと1つを取っても、色々な相からの喜びがある。
1つは、メジャーが認めた。世間が認める。・・・という「認知」。
更に有名に、チャートを駆け上れ・・・のような所謂「成功」に対するもの。
 私はどちらかというとそれとは違う2つの相で喜んでいる。
多分に自己満足的なものかもしれないが。
 「安堵」と「確信」

 何故「安堵」するのか?私は思う。「これで華ちゃんは歌を続けてゆく道が開けた。」と。
ここで言っている道というのは生業としての歌うたいの道を示している。
趣味で歌を歌うだけならば、別に今までの形でも問題ないように見えるだろう。
けれども実際は違う。生業と趣味の違いは継続性と責任性について考えてみれば解る。

 しかし、改めてどうしてメジャーデビューすることにしたのか。
路上ライブを通じて1年間で自主制作CD−Rを1枚500円で手にする人がのべ2万人以上いた。
今年はそこまでは行かないだろう。が、それでも路上でライブをする度にコンスタントに売れ続けている。
小遣い稼ぎを兼ねた趣味ならば十分な活動だ。単に歌を歌うだけでいいならば。
私は、彼女の志向する歌が趣味の歌から別の歌に変わっていったと考えている。
路上で歌うことで彼女の中で何かが変わったのだ。
モノローグの歌からダイアローグの歌へと。
ダイアローグであるためには、受け手に自分の言葉を理解してもらわなければならない。
歌を歌うのではなく、歌を伝える。ライブ空間は次第に演劇空間に近づいて行く。
歌声に足が止まった人は彼女の歌を聴くためでなく、彼女から立ち現われる『何か』を観るために足を止め続ける。
彼女がメジャーデビューしても路上ライブを続けてゆくのは、舞台俳優が儲かるTVの仕事が押し寄せても舞台に出演するのと似ている。

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