いぬもあるけば・・・「月謝」
2005年10月19日 青花堂での講座。
「茶陶の展開と遠州好み」と題し、福岡市美術館で行われている「大名茶陶 高取焼展」に関連させた内容。
今日も遅刻したため、途中から聞いたのでこれを講義することになった経緯はわからない。
小堀遠州は天正7年から天保4年(1579-1647)に生きた茶人。
公としては作事奉行として活躍している。作事奉行とは城作りなど土木系の官僚。国土交通省の高級官僚みたいな〜
多才な人だったらしく、建築家だけでなく茶人として影響を与えた。
遠州が執り行った茶会が「松屋会記」に記されている。
客人に石州流の流祖 片桐石見守の名がある。ちなみに江戸時代の大名の茶道はほとんど石州流だったそうで。
(江戸時代に記された茶の古文書の半分ぐらいが石州流のものだったらしい)
時代によって嗜む人の集団が変化し、流行も変わるという事かしらん。
石州流が流行っていた中で松平不昧が発掘したのが遠州流だった。
:遠州蔵帳は資料を恣意的に編集したものと言われる。
講義の後、東博で展示が始まった伊万里焼と京焼の展覧会の話題が。
展示に工夫がされているらしい。第一印象をよくするよう配慮されているとのこと。
先生は九州国立博物館の開館記念特別展『美の国 日本』(2005年10月16日〜11月27日)で展示されている新田肩付を鑑賞しに行くとのこと。
解散後、溜まっていた月謝を払う。・・・来月、厳しい・・・
「茶陶の展開と遠州好み」と題し、福岡市美術館で行われている「大名茶陶 高取焼展」に関連させた内容。
今日も遅刻したため、途中から聞いたのでこれを講義することになった経緯はわからない。
小堀遠州は天正7年から天保4年(1579-1647)に生きた茶人。
公としては作事奉行として活躍している。作事奉行とは城作りなど土木系の官僚。国土交通省の高級官僚みたいな〜
多才な人だったらしく、建築家だけでなく茶人として影響を与えた。
遠州が執り行った茶会が「松屋会記」に記されている。
客人に石州流の流祖 片桐石見守の名がある。ちなみに江戸時代の大名の茶道はほとんど石州流だったそうで。
(江戸時代に記された茶の古文書の半分ぐらいが石州流のものだったらしい)
時代によって嗜む人の集団が変化し、流行も変わるという事かしらん。
石州流が流行っていた中で松平不昧が発掘したのが遠州流だった。
:遠州蔵帳は資料を恣意的に編集したものと言われる。
講義の後、東博で展示が始まった伊万里焼と京焼の展覧会の話題が。
展示に工夫がされているらしい。第一印象をよくするよう配慮されているとのこと。
先生は九州国立博物館の開館記念特別展『美の国 日本』(2005年10月16日〜11月27日)で展示されている新田肩付を鑑賞しに行くとのこと。
解散後、溜まっていた月謝を払う。・・・来月、厳しい・・・
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