久々のカルチャースクール。
 今日はいつもと違って焼き物ではなく硯の話。
 
 丁度、東京国立博物館の平成館で催されている『特別展「書の至宝−日本と中国」』に掛けてとのこと。
中世中国の支配層は文人であったため硯を、対して同時代の中世日本の支配層は武人であったため剣を権威の象徴としていた。
つまり、硯は文人の世界のもの。
 そんな文人にとっての望ましい生活は世の雑事を避けて隠遁し、静かに清潔な環境で書や詩に親しむ生活だった。<『明窓浄机』
 そのような理想的な生活のアイテム且つ象徴として筆墨硯紙を「文房四宝」といい、これらに対する愛着が文房を見て愉しむ「文房清玩」という趣向を生み出した。
 古くて曰くのある硯は残っていないが、硯譜という硯の拓本(宋代の文人から始まる)が伝えられている。
 
 「鋒鋩が立つ」ものがよい硯だと言われる。硯は墨を磨る墨堂(陸・岡・丘)と墨液を溜める墨地に機能的に分かれるが、墨堂が触って判らないけれど下ろし金のようになっているものを意味しているようだ。その墨の磨りやすさは「熱釜熔蝋」と比喩される。
 有名な硯としては、広東省の端州の石で作られた「端渓硯」があり、特に蛍色に光る「眼」と呼ばれるものがある硯が奇岩観賞の意味でも珍重された。
他にも中国のものでは「とうが緑石硯」、「澄泥硯」、「きゅう州硯」がある。日本では赤間石や雨端石で作られている。
 
 日本の硯は勿論、古代中国から伝来されたものだが、伝来された当初は円形の円面硯だったようだ。
後に風の字の形をした「風字硯」が使用される。熊野速玉神社には国宝として奈良時代の風字硯が伝わっている。
源氏物語絵巻に描かれている硯も風字硯のようだ。
古くから伝わる絵巻物に描かれている硯の形で作者の考証などが判るのかもしれないが、そういう研究はまだ誰もしていない様子だ。
 
 この硯の全国一のコレクションが富山は井波八幡宮宮司の綿貫家のものだと聞いてもピンと来なかった。
あの国民新党の綿貫民輔氏だと知ってビックリだ。
本人自身がコレクターなのか、家伝のコレクションなのか確認しなかったので不明だが、それよりも当人が現役の神職だという事にビックリした自分がいた。
 主権者のくせに、国会議員についてほとんど知らない自分。
詳細を知らずに生命保険に入っているのと同じぐらい危ういな。
 
 先生が帰られた後に会場で軽く飲食。
依存症について軽く語らう。

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