いぬもあるけば・・・「渇き」☆
2006年3月15日 真の喉の渇きの始まりは僅かに水を飲んでしまったときなのかもしれない。
気がつくと中島みゆきの「波の上」を呟いていた。
『壊れる男たち − セクハラはなぜ繰り返されるのか』を読み終えた。
>セクシャルハラスメントという性差別による重大な人権侵害が、依然として戸惑いや揶揄をもって受け止められている現実は深刻である。
>個人の尊厳を相互に尊重し合うという基本的なルールを確立できない社会は不幸な社会でもある。
第1章 「女性相談窓口」に現れる男たち
1 男たちが「女性相談窓口」に
>これまで“女性問題”と言われてきた多くの問題は、実は原因から考えれば、その大半は男性が関わる“男性問題”にほかならない。
>だから見方を変えて言えば、これまでは、被害を受けて困るのが女性だから“女性問題”として取り上げてきたに過ぎないとも言える。
2 労働相談にも“男性問題”
>今、一挙に職場の“男性問題”が浮き彫りにされているのだ。相談現場で、そうした問題に直面している男性たちに接していると、
>男の「我慢強さ」なるものは、単にこれまで優位な立場にあったがために保たれてきただけのもので、
>実はちょっとしたことで一気に崩壊に至るような脆弱なものなのだと思わざるをえない。
3 「こころの相談」にみる男たちの崩壊
4 セクハラで男たちが問われる
5 ”男性問題”とは何か
>急激な環境変化の中で、多くの男性たちは従来の価値観を引きずったまま、戸惑いながら相談窓口に現れる。
>男性優位の職場環境を無意識に利用したセクハラ加害者は、自分がいまだに女性を見下していることに無自覚なまま、逆に怒りを引きずってやってくる。
第2章 男たちのエクスキューズ − 「魔が差した」というウソ
>男性たちにとってセクハラの類のことは、日常的に男と女の間で繰り返される、よくありがちなある種のゲームであると思われている節がある。
>圧倒的に優位な立場から仕掛ける男性たちにとっては、ほとんど駆け引きに似た感覚でなされていることが多い。
>多くの場合は、綿密な計算とシミュレーションのうえで行動が起こされている。
>ほとんどのケースはきわめて安直に、訴えられることのないはずのストーリーとして組み立てられている点が共通しており、罪悪感というブレーキも利いていない。
1 訴えられるはずがない
2 「大人の女」にかける願望
3 都合のいい女たち
4 離婚した女性に向けられる視線
第3章 引き裂かれた性
1 妻には知られたくない
2 夫の見せた別の顔
3 妻にはない性を求めて
第4章 男が壊れる
1 セクハラを”する男”と”しない男”
>セクハラ男たちが示す共通の反応は、これまでは許されてきたことが許されなくなってしまう、既得権喪失への条件反射に似た怒りである。
>そして非難されればされるほど、自らの描いたストーリーが思い通りに運ばなかったり、訴えられたりしたことへの苛立ちとなって、
>男たちの内部にくすぶり続けることになる。
>セクハラ事件の主役たちは、自ら想い描いた妄想の延長線上で自分勝手なストーリーを組み立てている。
>つまり、男性自身が自らに仕掛けてしまった暗示、“女らしさ”(=誘うオンナ)への期待と思い込みのなかで、自縄自縛状態になってしまった結果、セクハラ事件が起こされている。
>性的なトラブルなどに現れる男たちが著しく他者への共感能力を欠いているという問題である。
>相手の苦しみや痛みを、相手の願望や快感に読み替えてしまう身勝手な解釈である。
>そこには、自らの閉塞感を他者に転嫁して痛みを感じない差別的な姿勢が見える。
>離婚経験をもつ女性や独身を続ける女性に、ついつい向けてしまう哀れみや同情の視線は、彼らが深く内面化している男性優位の発想から生まれている。
>自己主張の弱い女性や控えめな女性、そして立場の弱い女性への同情はや過保護な思い入れは、簡単に性的関心に変わる。
>自分は善意の眼差しを向けていたのに、なぜ加害者として非難の対象に暗転したのか、その仕組みが理解できずに立ち尽くしている。
>彼らは、この男性優位の発想からくる同情や哀れみの視線が下心に変わっていることにまったく無自覚であるうえに、それを否定されると逆ギレする。
2 暴走のスプリングボード
>職場で加害者をパワハラやセクハラに駆り立てるものの正体は、男たちが抱えた危機感と閉塞感である。
>言い方を変えれば、男たちが置かれた立場の不安定さや、そこから生まれる将来に向けての不安や苛立ちの裏返しである。
あとがき
>男性から男性に対するセクハラが急速に問題化していることである。
>男性同士での画一的な性的価値観の強要や、そこから外れる者への「からかい」や「いじめ」などである。
読みながら、吐き気を覚えたのは久々だ。
それは“加害者”への嫌悪感。強い者から弱い者へのいじめに対する憎しみ。
そして、その要素が自分の中にも巣食っているであろうことを自覚することで湧き上がる不快感。
男として育てられれ、男の共同体に所属している自分はそれらが自然に染み込んでいる事を否定できない。
結局、全ては「己の弱さを認めたくない」という恐怖からきている。
それが物や行為に向かえば嗜癖(依存症)だし、他者に向かえばハラスメントになる。
DVが最悪なのは、両者を兼ね備えている点にある。
気がつくと中島みゆきの「波の上」を呟いていた。
『壊れる男たち − セクハラはなぜ繰り返されるのか』を読み終えた。
>セクシャルハラスメントという性差別による重大な人権侵害が、依然として戸惑いや揶揄をもって受け止められている現実は深刻である。
>個人の尊厳を相互に尊重し合うという基本的なルールを確立できない社会は不幸な社会でもある。
第1章 「女性相談窓口」に現れる男たち
1 男たちが「女性相談窓口」に
>これまで“女性問題”と言われてきた多くの問題は、実は原因から考えれば、その大半は男性が関わる“男性問題”にほかならない。
>だから見方を変えて言えば、これまでは、被害を受けて困るのが女性だから“女性問題”として取り上げてきたに過ぎないとも言える。
2 労働相談にも“男性問題”
>今、一挙に職場の“男性問題”が浮き彫りにされているのだ。相談現場で、そうした問題に直面している男性たちに接していると、
>男の「我慢強さ」なるものは、単にこれまで優位な立場にあったがために保たれてきただけのもので、
>実はちょっとしたことで一気に崩壊に至るような脆弱なものなのだと思わざるをえない。
3 「こころの相談」にみる男たちの崩壊
4 セクハラで男たちが問われる
5 ”男性問題”とは何か
>急激な環境変化の中で、多くの男性たちは従来の価値観を引きずったまま、戸惑いながら相談窓口に現れる。
>男性優位の職場環境を無意識に利用したセクハラ加害者は、自分がいまだに女性を見下していることに無自覚なまま、逆に怒りを引きずってやってくる。
第2章 男たちのエクスキューズ − 「魔が差した」というウソ
>男性たちにとってセクハラの類のことは、日常的に男と女の間で繰り返される、よくありがちなある種のゲームであると思われている節がある。
>圧倒的に優位な立場から仕掛ける男性たちにとっては、ほとんど駆け引きに似た感覚でなされていることが多い。
>多くの場合は、綿密な計算とシミュレーションのうえで行動が起こされている。
>ほとんどのケースはきわめて安直に、訴えられることのないはずのストーリーとして組み立てられている点が共通しており、罪悪感というブレーキも利いていない。
1 訴えられるはずがない
2 「大人の女」にかける願望
3 都合のいい女たち
4 離婚した女性に向けられる視線
第3章 引き裂かれた性
1 妻には知られたくない
2 夫の見せた別の顔
3 妻にはない性を求めて
第4章 男が壊れる
1 セクハラを”する男”と”しない男”
>セクハラ男たちが示す共通の反応は、これまでは許されてきたことが許されなくなってしまう、既得権喪失への条件反射に似た怒りである。
>そして非難されればされるほど、自らの描いたストーリーが思い通りに運ばなかったり、訴えられたりしたことへの苛立ちとなって、
>男たちの内部にくすぶり続けることになる。
>セクハラ事件の主役たちは、自ら想い描いた妄想の延長線上で自分勝手なストーリーを組み立てている。
>つまり、男性自身が自らに仕掛けてしまった暗示、“女らしさ”(=誘うオンナ)への期待と思い込みのなかで、自縄自縛状態になってしまった結果、セクハラ事件が起こされている。
>性的なトラブルなどに現れる男たちが著しく他者への共感能力を欠いているという問題である。
>相手の苦しみや痛みを、相手の願望や快感に読み替えてしまう身勝手な解釈である。
>そこには、自らの閉塞感を他者に転嫁して痛みを感じない差別的な姿勢が見える。
>離婚経験をもつ女性や独身を続ける女性に、ついつい向けてしまう哀れみや同情の視線は、彼らが深く内面化している男性優位の発想から生まれている。
>自己主張の弱い女性や控えめな女性、そして立場の弱い女性への同情はや過保護な思い入れは、簡単に性的関心に変わる。
>自分は善意の眼差しを向けていたのに、なぜ加害者として非難の対象に暗転したのか、その仕組みが理解できずに立ち尽くしている。
>彼らは、この男性優位の発想からくる同情や哀れみの視線が下心に変わっていることにまったく無自覚であるうえに、それを否定されると逆ギレする。
2 暴走のスプリングボード
>職場で加害者をパワハラやセクハラに駆り立てるものの正体は、男たちが抱えた危機感と閉塞感である。
>言い方を変えれば、男たちが置かれた立場の不安定さや、そこから生まれる将来に向けての不安や苛立ちの裏返しである。
あとがき
>男性から男性に対するセクハラが急速に問題化していることである。
>男性同士での画一的な性的価値観の強要や、そこから外れる者への「からかい」や「いじめ」などである。
読みながら、吐き気を覚えたのは久々だ。
それは“加害者”への嫌悪感。強い者から弱い者へのいじめに対する憎しみ。
そして、その要素が自分の中にも巣食っているであろうことを自覚することで湧き上がる不快感。
男として育てられれ、男の共同体に所属している自分はそれらが自然に染み込んでいる事を否定できない。
結局、全ては「己の弱さを認めたくない」という恐怖からきている。
それが物や行為に向かえば嗜癖(依存症)だし、他者に向かえばハラスメントになる。
DVが最悪なのは、両者を兼ね備えている点にある。
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