いぬもあるけば・・・「四月のおバカさん」
2006年4月1日 まさか今回の旅行がここまで『バカ旅行』になるとは‥‥
先日の23時に黒磯駅到着。
白河在住のK先輩と合流し、国道4号線を下る。途中、事故渋滞仕掛けて嵌りかけたが、警察が上手く迂回路を使って片側通行にしたので大渋滞にならずに済んだ。
矢板から西に塩谷を経由して日光街道に。勢いで中禅寺湖まで登ったが、沼田に抜けるルートはまだ閉鎖中だったため、いろは坂を下り、足尾から大間々に抜けるルートに。
このルート、思い入れがある懐かしい道だった。那須での研修期間中、車で実家に帰るときに使っていたルート。
振り返るスパンの長さもあってロックウィンドウも広く、研修前後の事まで思い出す。
まだこの頃はMT5より前の自分なので、相当青臭い。一打を享けたけれど、その意味に気付きもしていなかった頃。
その頃の自分を思い出させるルートだった。
大間々から大胡、前橋、渋川という感じで赤城山の麓を横断。実家のすぐ上の道を通ったが、まさか寄る訳にも行かない。国道17号に入って三国峠に。
三国峠の記憶がない・・・恐らく助手席で気を失っていたと思われる。
新潟に入ると雪が残っている。先輩はスタッドレスタイヤから実家に置いてあるノーマルタイヤに履き替えるための旅だったのだが、現時点でその目的は潰えた。
帰りもスタッドレスじゃないと恐すぎる。
空が明るくなってきた。しかし先輩も大分スイマーの襲撃がきつくなったという事で、車を止めて1時間仮眠を取った。
車どおりの少なかった17号も1時間経ったら大分車が増えている。そろそろお腹が減ってきたので国道沿いに朝食が取れる店が無いかと物色し始めたのだが、これが全然ない。
長岡を過ぎ、17号を降りてから見つけた「すき屋」でようやくまともなものにありつけた。
「牛丼イタリアーノ」 は個別はそれなりだったけれど、どうもまとまりがない感じだった。
116号経由で内野に到着。市が立っていてちあきさんが住んでいた家に辿り着けない。結局、内野駅前からグルッと回って樋木酒造の脇を通り過ぎて終了。
一文銭前の踏み切りを渡り、新川がまだある事を確認し、西門方向に。ブルーリッジも様子が変わっている。清フは別系列のスーパーに。
3年時から4年間住んでいた工学部坂上のアパート「トーラス21」は壁が塗り直されていた。
定食屋?「ちゃんぽん」の存在を確認。まだ、あのチキンライス大盛は健在なのだろうか。
美味小町を右に見ながら402号を西に進む。リカーズGENも健在。往来橋脇のたばこ屋も。往来橋を渡り、3の町に入る。リカーズわかすぎも健在か。
Oが昔住んでいたアパート前を通って3の町探索は終了。
漁港に出てから2の町迷路に入って貰いたかったが、軽自動車ならともかく普通車であの迷路に入りたくないとスルー。しかたないねー。
402号を東に進み、砂地の畑を見つつ、1の町に。この道はかつて・・・深夜によく歩いた。自動車はもちろん自転車もない時に。
大学周辺は開発が進んでいるが、この道は変わっていなかった。あの日々を思い出し、胸が疼く。
116号に出て、新潟島方向に。116号界隈は寺尾からずっとそれなりに店が並んでいる。
住んでいるときは普通の光景だと思っていたのだが、考えてみるとかなり特殊な気がしてきた。
8kmに渡って商店街が続いているようなもの。ここを走っていて、標識なしに町の境を感じるのは難しいかもしれない。
これもバス路線が健在だからだろう。車を運転出来なくなるほど年を取ったときでも、この通り沿いなら暮しやすいだろう。
そんな感想を持っていると今回の旅の主目的の1つ、『早福酒食品店』に到着した。
親父さんと少し話をしながら鶴の友純米の四合瓶を4本購入。
先輩に古町の大和前で降ろしてもらい、4時間ほど自由行動。
洗顔のために『大和』の6階の洗面所を利用。帰り際、美術サロンで催されている「鍛金・彫金 岡本國雄・秀雄兄弟展」を覗いた。
焼き物ゼミの講義の一環で芸大美術館で収蔵品展を見て、金工にもちょっと興味があったため。
デイバッグにパーカー姿は如何にも場違いなのだけど、岡本國雄さんに壷などの作り方を尋ねたところ懇切丁寧に教えて貰えた。
想像以上に手を加えて色々なことが出来ることを知った。何かに似ていると思ったら金太郎飴みたいな飴細工かしらん。
『北光社』でマリみて最新刊と奥さんの譜面が載っている月刊ピアノを入手。川崎の有隣堂でも見つからなかったのに。
本町通りを歩いて出店を冷やかし、本町市場の『信吉屋』でワンタンメンを食す。
さて、この辺りに前回訪れたときに知った『ピュア・ウーロン』のお店があるはずなのだけど・・・とあった。
本町通りにあると思っていたのだが、本町市場にあったとは。信吉屋に寄らなければ見つけられなかったかも。
小さな店に入ると目の前に女性が。店長のKさんだ。嬉しい事に顔を覚えていてくれた。
まぁ、こんなむさい野郎は一目見たら忘れないか。しかし「また追っかけ?」は無いだろう(沈。
美味しい烏龍茶を頂き、しばし歓談。広くない店内に何故かカメラケースがある。中にはコンタックスのカメラとカメラの模型らしきものが。
模型ではなくオルゴールだった。特別配布品らしく手の込んだ作り。レアな品だ。
話は新潟に対する愛着や信吉屋が美味しいといった話など。
内野駅から見える内野小学校の桜の素晴らしさを伝えたので機会があれば観に行って貰えるだろう。
今日、ここを尋ねたのは運が良かったようだ。昨日まで新潟駅地下街の食品売り場に臨時出店していたという。
帰りがけに頂いたお茶の茶葉「台湾烏龍茶」を購入。ライブドアデパートに出店しているので通販も出来るようだ。
西堀通りに移動し、『シュガー・コート』に。
入った途端「今日はジンジャーケーキはないわよ」と。
ちょっと残念だけど、問題なし。ガトーショコラとミルクティーを注文。
ミルクティーの茶葉も色々あるが、カルダモンと聞いて藤野さん達を思い浮かべ、それを頼んだ。
こちらの店長のOさんも昨日まで英国に買出しに行っていたという。
ここでシグマリオンが活躍。
店長の友人数名と古町通にある雑貨屋『アンプチヴォヤ』[>http://www.unpetitvoya.com]のサイトが観たいという話が持ち上がった。
いつもここで日記を書いていたり、チャットで実況中継していたりしていたのを覚えていて、「観られる?」と。
ボタンのアンティークものの展示を観たいのだという。ただのボタンだと思ったら飾りボタンだった。
色々あって確かに面白い。ボタンの社会史や服飾史っぽい話を耳にしたような気がしたけれど失念。
とりあえず面目が立って良かった。
帰りがけに昨日入手した奥華子さんのアルバムを贈呈。
店長はセンスも購買力もある女性の知り合いが多そうなので口コミで広まれば・・・というヨコシマな考えから。
先輩と合流し新潟を離れることに。てっきり来た道を戻るのだと思っていた。しかし・・・
30分後、国道49号線を車は走っていた。な〜ぜ〜っ!(声無き悲鳴
<つづく>
先日の23時に黒磯駅到着。
白河在住のK先輩と合流し、国道4号線を下る。途中、事故渋滞仕掛けて嵌りかけたが、警察が上手く迂回路を使って片側通行にしたので大渋滞にならずに済んだ。
矢板から西に塩谷を経由して日光街道に。勢いで中禅寺湖まで登ったが、沼田に抜けるルートはまだ閉鎖中だったため、いろは坂を下り、足尾から大間々に抜けるルートに。
このルート、思い入れがある懐かしい道だった。那須での研修期間中、車で実家に帰るときに使っていたルート。
振り返るスパンの長さもあってロックウィンドウも広く、研修前後の事まで思い出す。
まだこの頃はMT5より前の自分なので、相当青臭い。一打を享けたけれど、その意味に気付きもしていなかった頃。
その頃の自分を思い出させるルートだった。
大間々から大胡、前橋、渋川という感じで赤城山の麓を横断。実家のすぐ上の道を通ったが、まさか寄る訳にも行かない。国道17号に入って三国峠に。
三国峠の記憶がない・・・恐らく助手席で気を失っていたと思われる。
新潟に入ると雪が残っている。先輩はスタッドレスタイヤから実家に置いてあるノーマルタイヤに履き替えるための旅だったのだが、現時点でその目的は潰えた。
帰りもスタッドレスじゃないと恐すぎる。
空が明るくなってきた。しかし先輩も大分スイマーの襲撃がきつくなったという事で、車を止めて1時間仮眠を取った。
車どおりの少なかった17号も1時間経ったら大分車が増えている。そろそろお腹が減ってきたので国道沿いに朝食が取れる店が無いかと物色し始めたのだが、これが全然ない。
長岡を過ぎ、17号を降りてから見つけた「すき屋」でようやくまともなものにありつけた。
「牛丼イタリアーノ」 は個別はそれなりだったけれど、どうもまとまりがない感じだった。
116号経由で内野に到着。市が立っていてちあきさんが住んでいた家に辿り着けない。結局、内野駅前からグルッと回って樋木酒造の脇を通り過ぎて終了。
一文銭前の踏み切りを渡り、新川がまだある事を確認し、西門方向に。ブルーリッジも様子が変わっている。清フは別系列のスーパーに。
3年時から4年間住んでいた工学部坂上のアパート「トーラス21」は壁が塗り直されていた。
定食屋?「ちゃんぽん」の存在を確認。まだ、あのチキンライス大盛は健在なのだろうか。
美味小町を右に見ながら402号を西に進む。リカーズGENも健在。往来橋脇のたばこ屋も。往来橋を渡り、3の町に入る。リカーズわかすぎも健在か。
Oが昔住んでいたアパート前を通って3の町探索は終了。
漁港に出てから2の町迷路に入って貰いたかったが、軽自動車ならともかく普通車であの迷路に入りたくないとスルー。しかたないねー。
402号を東に進み、砂地の畑を見つつ、1の町に。この道はかつて・・・深夜によく歩いた。自動車はもちろん自転車もない時に。
大学周辺は開発が進んでいるが、この道は変わっていなかった。あの日々を思い出し、胸が疼く。
116号に出て、新潟島方向に。116号界隈は寺尾からずっとそれなりに店が並んでいる。
住んでいるときは普通の光景だと思っていたのだが、考えてみるとかなり特殊な気がしてきた。
8kmに渡って商店街が続いているようなもの。ここを走っていて、標識なしに町の境を感じるのは難しいかもしれない。
これもバス路線が健在だからだろう。車を運転出来なくなるほど年を取ったときでも、この通り沿いなら暮しやすいだろう。
そんな感想を持っていると今回の旅の主目的の1つ、『早福酒食品店』に到着した。
親父さんと少し話をしながら鶴の友純米の四合瓶を4本購入。
先輩に古町の大和前で降ろしてもらい、4時間ほど自由行動。
洗顔のために『大和』の6階の洗面所を利用。帰り際、美術サロンで催されている「鍛金・彫金 岡本國雄・秀雄兄弟展」を覗いた。
焼き物ゼミの講義の一環で芸大美術館で収蔵品展を見て、金工にもちょっと興味があったため。
デイバッグにパーカー姿は如何にも場違いなのだけど、岡本國雄さんに壷などの作り方を尋ねたところ懇切丁寧に教えて貰えた。
想像以上に手を加えて色々なことが出来ることを知った。何かに似ていると思ったら金太郎飴みたいな飴細工かしらん。
『北光社』でマリみて最新刊と奥さんの譜面が載っている月刊ピアノを入手。川崎の有隣堂でも見つからなかったのに。
本町通りを歩いて出店を冷やかし、本町市場の『信吉屋』でワンタンメンを食す。
さて、この辺りに前回訪れたときに知った『ピュア・ウーロン』のお店があるはずなのだけど・・・とあった。
本町通りにあると思っていたのだが、本町市場にあったとは。信吉屋に寄らなければ見つけられなかったかも。
小さな店に入ると目の前に女性が。店長のKさんだ。嬉しい事に顔を覚えていてくれた。
まぁ、こんなむさい野郎は一目見たら忘れないか。しかし「また追っかけ?」は無いだろう(沈。
美味しい烏龍茶を頂き、しばし歓談。広くない店内に何故かカメラケースがある。中にはコンタックスのカメラとカメラの模型らしきものが。
模型ではなくオルゴールだった。特別配布品らしく手の込んだ作り。レアな品だ。
話は新潟に対する愛着や信吉屋が美味しいといった話など。
内野駅から見える内野小学校の桜の素晴らしさを伝えたので機会があれば観に行って貰えるだろう。
今日、ここを尋ねたのは運が良かったようだ。昨日まで新潟駅地下街の食品売り場に臨時出店していたという。
帰りがけに頂いたお茶の茶葉「台湾烏龍茶」を購入。ライブドアデパートに出店しているので通販も出来るようだ。
西堀通りに移動し、『シュガー・コート』に。
入った途端「今日はジンジャーケーキはないわよ」と。
ちょっと残念だけど、問題なし。ガトーショコラとミルクティーを注文。
ミルクティーの茶葉も色々あるが、カルダモンと聞いて藤野さん達を思い浮かべ、それを頼んだ。
こちらの店長のOさんも昨日まで英国に買出しに行っていたという。
ここでシグマリオンが活躍。
店長の友人数名と古町通にある雑貨屋『アンプチヴォヤ』[>http://www.unpetitvoya.com]のサイトが観たいという話が持ち上がった。
いつもここで日記を書いていたり、チャットで実況中継していたりしていたのを覚えていて、「観られる?」と。
ボタンのアンティークものの展示を観たいのだという。ただのボタンだと思ったら飾りボタンだった。
色々あって確かに面白い。ボタンの社会史や服飾史っぽい話を耳にしたような気がしたけれど失念。
とりあえず面目が立って良かった。
帰りがけに昨日入手した奥華子さんのアルバムを贈呈。
店長はセンスも購買力もある女性の知り合いが多そうなので口コミで広まれば・・・というヨコシマな考えから。
先輩と合流し新潟を離れることに。てっきり来た道を戻るのだと思っていた。しかし・・・
30分後、国道49号線を車は走っていた。な〜ぜ〜っ!(声無き悲鳴
<つづく>
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