いぬもあるけば・・・「3つのチケット」
2006年5月21日 思えば、随分無茶な一日だった。
計画より1時間遅くの目覚め。
いつもなら予定が狂ったことで嫌気が差して予定変更を考えたりもするのだが、今日はそういう訳にはいかない。
今日中に使わなければならないチケット・・・
自宅を出て、15分ぐらい歩いて西馬込駅に。地下鉄に乗り、大手町駅を出る。
皇居周りはハーフマラソンかなにかのイベントでもあるのか、ゼッケンを付けた大勢が走っていた。
その脇を歩いて、東京国立近代美術館に。10時を少し過ぎていた。
チケット購入の列、入場待ちの列。どうやら入場制限をして分けて入れているようだ。
今日は『藤田嗣治展』の最終日。ある程度予測していたが、それ以上の混み具合に陰鬱に。
考えていたよりも早く入場できたが、最初の「エコール・ド・パリ時代」は観客が団子状に。
まともに観ていたら2時間以上は掛かりそうだ。仕方なく、タッパを活かして人ごみの隙間からチラチラどのような作品があるのかを確認する「目撃モード」に。
前に出られる隙があれば、近づいて線や色合いなどを詳しく観るように。結局、「鑑賞モード」にシフトすることなく終わる。
藤田といえば「エコール・ド・パリ時代」の白い裸婦像だろうが、私にとって印象深かったのはそれ以外の作品だった。
(もちろん「ライオンのいる構図」など面白いものもあったが)
例えば、中南米に移った時の作品である「メキシコの少年」や日本に戻ってからの「猫」など。
こんな作品があったのかと驚いたのは太平洋戦争中に従軍画家として描いた作品。
よく言われる戦争画というものは戦争遂行のためのプロパガンダに満ちたものだと思う。
如何に見事に敵を倒したか。その武勇と勝利を描くもの・・・のはずだ。
しかし、展示されている5作品はそういうものではなかった。
負け戦、全滅、玉砕のシーンを描いている。
戦意昂揚とは逆のベクトルに見える。よく軍に処罰されなかったものだ。
軍の要請という商業的なものを越えたものを感じる。
これらの作品を観て、戦意昂揚は難しい。強烈な悲劇性を感じさせる。
逆に言えば、これらの作品が発表、展覧されることにより、当時の臣民の戦争に対するコードが変わったのかもしれない。
平家物語などに観られるような滅びの美学、タナトスへの眼差しに。
駆け足で見て回った結果、入場してから40分ほどで出てきた。
さて、次の目的地は国際展示場だ。
<つづく>
計画より1時間遅くの目覚め。
いつもなら予定が狂ったことで嫌気が差して予定変更を考えたりもするのだが、今日はそういう訳にはいかない。
今日中に使わなければならないチケット・・・
自宅を出て、15分ぐらい歩いて西馬込駅に。地下鉄に乗り、大手町駅を出る。
皇居周りはハーフマラソンかなにかのイベントでもあるのか、ゼッケンを付けた大勢が走っていた。
その脇を歩いて、東京国立近代美術館に。10時を少し過ぎていた。
チケット購入の列、入場待ちの列。どうやら入場制限をして分けて入れているようだ。
今日は『藤田嗣治展』の最終日。ある程度予測していたが、それ以上の混み具合に陰鬱に。
考えていたよりも早く入場できたが、最初の「エコール・ド・パリ時代」は観客が団子状に。
まともに観ていたら2時間以上は掛かりそうだ。仕方なく、タッパを活かして人ごみの隙間からチラチラどのような作品があるのかを確認する「目撃モード」に。
前に出られる隙があれば、近づいて線や色合いなどを詳しく観るように。結局、「鑑賞モード」にシフトすることなく終わる。
藤田といえば「エコール・ド・パリ時代」の白い裸婦像だろうが、私にとって印象深かったのはそれ以外の作品だった。
(もちろん「ライオンのいる構図」など面白いものもあったが)
例えば、中南米に移った時の作品である「メキシコの少年」や日本に戻ってからの「猫」など。
こんな作品があったのかと驚いたのは太平洋戦争中に従軍画家として描いた作品。
よく言われる戦争画というものは戦争遂行のためのプロパガンダに満ちたものだと思う。
如何に見事に敵を倒したか。その武勇と勝利を描くもの・・・のはずだ。
しかし、展示されている5作品はそういうものではなかった。
負け戦、全滅、玉砕のシーンを描いている。
戦意昂揚とは逆のベクトルに見える。よく軍に処罰されなかったものだ。
軍の要請という商業的なものを越えたものを感じる。
これらの作品を観て、戦意昂揚は難しい。強烈な悲劇性を感じさせる。
逆に言えば、これらの作品が発表、展覧されることにより、当時の臣民の戦争に対するコードが変わったのかもしれない。
平家物語などに観られるような滅びの美学、タナトスへの眼差しに。
駆け足で見て回った結果、入場してから40分ほどで出てきた。
さて、次の目的地は国際展示場だ。
<つづく>
コメント