いぬもあるけば・・・「映像監督二人」☆
2006年7月11日 阿佐ヶ谷駅南口を出て、パールセンターに入って少し行ったところで左に曲がる。
すると会場のWAOクリエイティブカレッジが見える。
入り口を入ると、係の人達は皆スーツ姿。学生を偽装するためにTシャツ姿で訪れた自分がちょっと惨め。
受付で名簿確認した後に2階の講義室に。
聴講者は20代後半が多いようだけど、40歳以上の人もいる。学生ではなく、既に業界にいる人も来ているようだ。
どうやら、この特別セミナーは監督業や映像作品の演出に興味がある人をターゲットにしている様子。
ますます自分が場違いに・・・
19時半。司会の方の導入に押井監督と高橋監督が入室。プロジェクターのスクリーンを挟む形で座って始まった。
最初に「演出論」をテーマに。
デジタル化によって表現境界がボーダレス化する中、「演出」はどう変わってゆくのか?
まずは『AVALON』の予告映像を観て話が始まる。
実写;
重たい。生きている人間。出来ることと出来ないことがはっきり分かれている。
効率よく現実からかすめ取ってくる。
監督のイメージ。これを重視。いくつもテーブルに並べる。
日本では厳しい。(監督に権利がない・・・とか。日本特有の業界的なもの。
監督に「闘う女性」の具体的なイメージがあっても配役はどっかのタレン(ごにょごにょ
あ○み・・・とか(ごにょごにょ
「アニメーションの手法や組立方は正しいこと」を確かめるためにAVALONを撮る。
ポーランドに行ったことで、配役の柵や矮小なスケール感などを払拭できた。
高橋:押井さんは今の技術(映像)に興味ありますよね〜
押井:AVALONはテクニカル、製作上の事に力点を置いたんだけど・・・
・・・オーディションで主人公役の女性に会ったらパタッと変わった(笑)。
ひたすら主人公の顔を撮ってた(笑)。
そして、『イノセンス』の予告映像を観て・・・
押井:「イノセンス」は身体論。体について考える。犬と暮らした生活が大きい。
「映像」を撮りたい。
今、IGは実力がついてきて、ピークにある。
もう今後は僕もIGも出来ない。
20億を掛けて、「ビジュアル」を作る。
ビジュアルが醸し出す説得力。
思想 ← 街を語ることで立ち上がる。
僕にとっての・・・「ブレードランナー」「2001年宇宙の旅」
< 映像による説得力によって成り立つ作品
> 今後は出来ない 資金、体力など
ここまでやったから今は映像よりドラマに関心が向いている。
実際、ラジオドラマをやっている。
役者とみっちりつき合える。
役者に興味がでてきた。
<それまで制作時には役者とほとんど言葉を交わさなかった。
話は司会の段取りと超越して、セミナーの核心である「監督業」とは・・・に迫って行く・・・
高橋:先走って言ってしまえば、『自分ために』という事。
『映画に関わる動機 モチベーション』
昔は食べて行く術としての職業としてあった。
今は自前で見つけなければならない。<プロデューサー的?
『自分のスタンス』 監督とは? プロデューサーとは?
>外から与えられない。
引きづられてやるようになったらおしまい。
押井:「イノセンス」では監督業としては複数の演出家の組み合せが仕事だった。
今後の大作はアニメじゃなくて実写で。その方が楽。
アニメならフットワークの軽いもの。
ラジオドラマは絵はいらない。絵なしでドラマがやれる。
『システムに使いまわされる人より、システムを作る人に』 = 楽。最大限の効率。
今のアニメ製作現場では手にしたスキルによって固定されたポジションに居続けることはまずない。
全く違う作業班に回される可能性がある。
> 特定のスキルに固執していられない。
ツールによって仕事が変わってしまう。(例:マヤとライトウェーブ 主流ツールが変わったらお手上げ)
例外が2つ。
プロデューサー :お金を集めて、外にでる。
監督 :中を作る
「立喰師列伝」の予告編を上映し・・・
押井:さも新技術を凝らした映画の様だが、ドラマに重きを置いた作品。
「ミニパトの実写版」
最初は連続もののセルビデオの企画だった。
「宣伝」を全部自分で。楽をしようとしたら大変な目に。
高橋:1つ1つはおもしろいけれど・・・これを1つの映画として見せるか?(苦笑)
TVで放映すると丁度いいのだけど・・・
押井:もう一回、まこを撮影できる〜♪
イノセンス後に明確に技術やビジュアルではなくドラマ方面に関心が移っていることを示している。
最後に高橋監督の作品「FLAG」のOP映像を上映。
高橋:自分の立場の『介入』として、OPにカラーの写真(主人公の写真)を入れた。
これは元々、演出コンテにもなかった。
カラー写真:平和なスナップ ⇔ 戦争写真
写真 の 相克 ⇒ ドラマの予感 、 せつなさ
押井監督は日本人の荒魂を鎮める作品を作るつもりのようだ。
「物語でしかできない日本の失敗の姿を描く」
「賭博なら失敗してもいい」:寺山修二
「日本人の危なさ」
実写とアニメではDVDの販売が一桁違う。
同じ企画ならばアニメの方がリスクが低い。
連続ものよりも1発ものの方がリスクが低い。
昔話:二人とも生活費のために絵コンテを描いたことがある。
たまにしかTVアニメを見ないけれど、今の監督はヴィジュアルは良いけど、ドラマの予感がない。
登場人物に奥行きや血の匂いがしない。
アニメの可能性もしくは虚構性
真面目な事を照れずに言える ← アニメ
照れずに言えない ← 実写
(ミリタリー ≠ アクチュアル)
ラジオドラマ
スターリンラード
独ソ戦のifもの
負ける者たちの物語
「キャラがきちんとしていれば、客はついてくる」
「やり得」
商売(金の為の作品)だけだとあきる。
高橋:「何かありませんか?」と言われたら、2、3は何かしらやりたいものがいつも頭にある。
「自分のやりたいものが今、流行っているモノの先にある」のは財産。
そして、話はまとめの方向に・・・
監督の役割
高橋:
△ 演出
◎ 作品の言い出しっぺ。
発想、ひらめき ⇒ コンセプト
↓
スタッフを鼓舞
↓
詐欺師的
押井:
大作の監督 ⇒ サッカーの監督みたいなもの
1.日頃のメンテナンス
2.勝負に出る。決断。
「始める事と終わらせる事」:どこで引導を渡すか?
普通の監督は1か2のどちらかのスキルを持つ
<どちらかかは、監督の人となりよりけり
両方持っている人はまずいない。(宮さん以外)
取り回しの良いものは決断型。
『 監督 ≠ クリエイター 』
「クリエイター」の生き方は監督のそれではない。
(某局の某番組は勘違いしているし、勘違いさせている。)
クリエイターとは?
一人の才覚で全てを行う。個人に寄る。
一人でやるのは良くない
> webアニメの限界?
「誰かと組む」ことで生き延びてきた。
相棒と共に < 自分よりも凄い点を持っている
大事なこと
○ イメージを誰かに伝える事
× イメージを作る事
自分は、
1.人とつきあいたい人
2.人とつきあいたくない人
なのかを見極める。
*監督として
この時、この瞬間に『介入』
有能な「誰か」を見つける事が大事。
如何に頭角を現すかが結構重要。
大きなプロダクションに入ると難しい。
敢えて小さなプロダクションに入る手もある。
− − − − − − − − − −
話を聞きながら、自分が感じた事も付け加えたメモなので、ほとんど謎掛けのようになっている。
内容は演出そのものを論じたものではなかった。
しかし、監督を志す人なら何かを得られる話だったと思う。
そして、誤解を恐れずに言うなら、監督業という話題を越えて得るものがあった。
映画監督をサッカーチームの監督になぞられた辺り。
『介入』は「どのタイミングで選手交代をするか」に似ている。
プロジェクトマネージャーも経営の責任者も似たような気がする。
集団で行うものだから共通部分があるのも当たり前か。
− − − − − − − − − −
セミナー会場は冷房が効きすぎていて、外にでてもまだ寒い。
折角、阿佐ヶ谷に来たのだからと、松っちゃんの店によることにした。
「松下雄二」。
そこそこお客がいる。
冷えた体を温めるために強い酒が欲しいなぁとシェリーを頼む。
食べ物はベーコンサラダとゴーヤ入りカルボナーラ。
サラダは相変わらずマスタードドレッシングが美味しい。
すぐにラストオーダーになり、私が最後の客になった。
松っちゃんの話によると、経営は順調そうだ。
何気に著名人も足を伸ばしてくれているようだし。
たまははきが無くなったあとの空虚感を互いに確かめ合い、いい店を見つけたら教えあうことに。
そう遠くないうちにまた食べに来たい。
− − − − − − − − − −
「クリエイター」という言葉の怪しさ。
「アーティスト」とは違う存在。
言葉そのものからは『サギ師』と似た臭いを私は感じる。
バブルの頃の「空間デザイナー」とかいう肩書きと方向性が似ている。
金の臭いが付きまとう。
呼ばれてしまうのはともかく、自称するのはかなりイタイ。
すると会場のWAOクリエイティブカレッジが見える。
入り口を入ると、係の人達は皆スーツ姿。学生を偽装するためにTシャツ姿で訪れた自分がちょっと惨め。
受付で名簿確認した後に2階の講義室に。
聴講者は20代後半が多いようだけど、40歳以上の人もいる。学生ではなく、既に業界にいる人も来ているようだ。
どうやら、この特別セミナーは監督業や映像作品の演出に興味がある人をターゲットにしている様子。
ますます自分が場違いに・・・
19時半。司会の方の導入に押井監督と高橋監督が入室。プロジェクターのスクリーンを挟む形で座って始まった。
最初に「演出論」をテーマに。
デジタル化によって表現境界がボーダレス化する中、「演出」はどう変わってゆくのか?
まずは『AVALON』の予告映像を観て話が始まる。
実写;
重たい。生きている人間。出来ることと出来ないことがはっきり分かれている。
効率よく現実からかすめ取ってくる。
監督のイメージ。これを重視。いくつもテーブルに並べる。
日本では厳しい。(監督に権利がない・・・とか。日本特有の業界的なもの。
監督に「闘う女性」の具体的なイメージがあっても配役はどっかのタレン(ごにょごにょ
あ○み・・・とか(ごにょごにょ
「アニメーションの手法や組立方は正しいこと」を確かめるためにAVALONを撮る。
ポーランドに行ったことで、配役の柵や矮小なスケール感などを払拭できた。
高橋:押井さんは今の技術(映像)に興味ありますよね〜
押井:AVALONはテクニカル、製作上の事に力点を置いたんだけど・・・
・・・オーディションで主人公役の女性に会ったらパタッと変わった(笑)。
ひたすら主人公の顔を撮ってた(笑)。
そして、『イノセンス』の予告映像を観て・・・
押井:「イノセンス」は身体論。体について考える。犬と暮らした生活が大きい。
「映像」を撮りたい。
今、IGは実力がついてきて、ピークにある。
もう今後は僕もIGも出来ない。
20億を掛けて、「ビジュアル」を作る。
ビジュアルが醸し出す説得力。
思想 ← 街を語ることで立ち上がる。
僕にとっての・・・「ブレードランナー」「2001年宇宙の旅」
< 映像による説得力によって成り立つ作品
> 今後は出来ない 資金、体力など
ここまでやったから今は映像よりドラマに関心が向いている。
実際、ラジオドラマをやっている。
役者とみっちりつき合える。
役者に興味がでてきた。
<それまで制作時には役者とほとんど言葉を交わさなかった。
話は司会の段取りと超越して、セミナーの核心である「監督業」とは・・・に迫って行く・・・
高橋:先走って言ってしまえば、『自分ために』という事。
『映画に関わる動機 モチベーション』
昔は食べて行く術としての職業としてあった。
今は自前で見つけなければならない。<プロデューサー的?
『自分のスタンス』 監督とは? プロデューサーとは?
>外から与えられない。
引きづられてやるようになったらおしまい。
押井:「イノセンス」では監督業としては複数の演出家の組み合せが仕事だった。
今後の大作はアニメじゃなくて実写で。その方が楽。
アニメならフットワークの軽いもの。
ラジオドラマは絵はいらない。絵なしでドラマがやれる。
『システムに使いまわされる人より、システムを作る人に』 = 楽。最大限の効率。
今のアニメ製作現場では手にしたスキルによって固定されたポジションに居続けることはまずない。
全く違う作業班に回される可能性がある。
> 特定のスキルに固執していられない。
ツールによって仕事が変わってしまう。(例:マヤとライトウェーブ 主流ツールが変わったらお手上げ)
例外が2つ。
プロデューサー :お金を集めて、外にでる。
監督 :中を作る
「立喰師列伝」の予告編を上映し・・・
押井:さも新技術を凝らした映画の様だが、ドラマに重きを置いた作品。
「ミニパトの実写版」
最初は連続もののセルビデオの企画だった。
「宣伝」を全部自分で。楽をしようとしたら大変な目に。
高橋:1つ1つはおもしろいけれど・・・これを1つの映画として見せるか?(苦笑)
TVで放映すると丁度いいのだけど・・・
押井:もう一回、まこを撮影できる〜♪
イノセンス後に明確に技術やビジュアルではなくドラマ方面に関心が移っていることを示している。
最後に高橋監督の作品「FLAG」のOP映像を上映。
高橋:自分の立場の『介入』として、OPにカラーの写真(主人公の写真)を入れた。
これは元々、演出コンテにもなかった。
カラー写真:平和なスナップ ⇔ 戦争写真
写真 の 相克 ⇒ ドラマの予感 、 せつなさ
押井監督は日本人の荒魂を鎮める作品を作るつもりのようだ。
「物語でしかできない日本の失敗の姿を描く」
「賭博なら失敗してもいい」:寺山修二
「日本人の危なさ」
実写とアニメではDVDの販売が一桁違う。
同じ企画ならばアニメの方がリスクが低い。
連続ものよりも1発ものの方がリスクが低い。
昔話:二人とも生活費のために絵コンテを描いたことがある。
たまにしかTVアニメを見ないけれど、今の監督はヴィジュアルは良いけど、ドラマの予感がない。
登場人物に奥行きや血の匂いがしない。
アニメの可能性もしくは虚構性
真面目な事を照れずに言える ← アニメ
照れずに言えない ← 実写
(ミリタリー ≠ アクチュアル)
ラジオドラマ
スターリンラード
独ソ戦のifもの
負ける者たちの物語
「キャラがきちんとしていれば、客はついてくる」
「やり得」
商売(金の為の作品)だけだとあきる。
高橋:「何かありませんか?」と言われたら、2、3は何かしらやりたいものがいつも頭にある。
「自分のやりたいものが今、流行っているモノの先にある」のは財産。
そして、話はまとめの方向に・・・
監督の役割
高橋:
△ 演出
◎ 作品の言い出しっぺ。
発想、ひらめき ⇒ コンセプト
↓
スタッフを鼓舞
↓
詐欺師的
押井:
大作の監督 ⇒ サッカーの監督みたいなもの
1.日頃のメンテナンス
2.勝負に出る。決断。
「始める事と終わらせる事」:どこで引導を渡すか?
普通の監督は1か2のどちらかのスキルを持つ
<どちらかかは、監督の人となりよりけり
両方持っている人はまずいない。(宮さん以外)
取り回しの良いものは決断型。
『 監督 ≠ クリエイター 』
「クリエイター」の生き方は監督のそれではない。
(某局の某番組は勘違いしているし、勘違いさせている。)
クリエイターとは?
一人の才覚で全てを行う。個人に寄る。
一人でやるのは良くない
> webアニメの限界?
「誰かと組む」ことで生き延びてきた。
相棒と共に < 自分よりも凄い点を持っている
大事なこと
○ イメージを誰かに伝える事
× イメージを作る事
自分は、
1.人とつきあいたい人
2.人とつきあいたくない人
なのかを見極める。
*監督として
この時、この瞬間に『介入』
有能な「誰か」を見つける事が大事。
如何に頭角を現すかが結構重要。
大きなプロダクションに入ると難しい。
敢えて小さなプロダクションに入る手もある。
− − − − − − − − − −
話を聞きながら、自分が感じた事も付け加えたメモなので、ほとんど謎掛けのようになっている。
内容は演出そのものを論じたものではなかった。
しかし、監督を志す人なら何かを得られる話だったと思う。
そして、誤解を恐れずに言うなら、監督業という話題を越えて得るものがあった。
映画監督をサッカーチームの監督になぞられた辺り。
『介入』は「どのタイミングで選手交代をするか」に似ている。
プロジェクトマネージャーも経営の責任者も似たような気がする。
集団で行うものだから共通部分があるのも当たり前か。
− − − − − − − − − −
セミナー会場は冷房が効きすぎていて、外にでてもまだ寒い。
折角、阿佐ヶ谷に来たのだからと、松っちゃんの店によることにした。
「松下雄二」。
そこそこお客がいる。
冷えた体を温めるために強い酒が欲しいなぁとシェリーを頼む。
食べ物はベーコンサラダとゴーヤ入りカルボナーラ。
サラダは相変わらずマスタードドレッシングが美味しい。
すぐにラストオーダーになり、私が最後の客になった。
松っちゃんの話によると、経営は順調そうだ。
何気に著名人も足を伸ばしてくれているようだし。
たまははきが無くなったあとの空虚感を互いに確かめ合い、いい店を見つけたら教えあうことに。
そう遠くないうちにまた食べに来たい。
− − − − − − − − − −
「クリエイター」という言葉の怪しさ。
「アーティスト」とは違う存在。
言葉そのものからは『サギ師』と似た臭いを私は感じる。
バブルの頃の「空間デザイナー」とかいう肩書きと方向性が似ている。
金の臭いが付きまとう。
呼ばれてしまうのはともかく、自称するのはかなりイタイ。
コメント