アランの「幸福論」を読み終えた。
 
しかし、このタイトルはほんと誤解を生むなァ。
「幸福について」もしくは「幸福について考えてみた(ニコ的に)」というのが適切なタイトルだろう。
 
アランが各掌編で語っているのをニュギュ~ッと抽出すれば、
 
・「正しい姿勢が真っ当な精神を生む」
・「顎を引き、遠くを見て歩め」
・「笑門来福」
・「幸福であらねばならない」
 
という感じだろうか。
 
最後の「幸福であらねばならない」というのが胸を打つ。
「他人に幸福を与えるためには、まず自分自身が幸福であらねばならない」
自らが幸福でないものが、他人を幸福にすることができるだろうか?
 
これから以下のような指針が演繹される。
「すべからく援助職に従事する者は幸福であるべし」
サービス業から始まり医療・看護・介護従事者、心理職そして教育や宗教など魂の育成や救済を図る人達。
逆に言えば、幸福でない者がそれらに従事する時、無意識的な闇を撒き散らしてしまったり、行いが真の幸福の代償行為(対人関係依存)と化してしまったりする恐れがある。
 
もちろん、その範囲は職業のみならず、あらゆる他人と接する場面で当てはまる。
だからこそ、アランは「礼儀作法を大事にし、上機嫌であるべし」と言う。

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