ここ最近、実用書以外の本や文章を読むことが減っていた。
いや、積読が増えていたというのが本当のところ。
春の文学フリマ前橋で購入した「天上のアイスクリーム ~宮沢賢治 考~」(サークル はるぱうす)も読み始めたのは7月になってから。
そこで述べられていたのは、私が表面的になぞって得ていた宮沢賢治像を深めるものだった。
「自分の番」や「ほんとうのほんとう」についての解説がまだ頭に残っているときに、京都アニメーションの事件が起こった。
この事件を「自分の番」などに照らし合わせることは余りに高次過ぎる。
もしそれを強要されたなら、躓いてしまっただろう。
いや、積読が増えていたというのが本当のところ。
春の文学フリマ前橋で購入した「天上のアイスクリーム ~宮沢賢治 考~」(サークル はるぱうす)も読み始めたのは7月になってから。
そこで述べられていたのは、私が表面的になぞって得ていた宮沢賢治像を深めるものだった。
「自分の番」や「ほんとうのほんとう」についての解説がまだ頭に残っているときに、京都アニメーションの事件が起こった。
この事件を「自分の番」などに照らし合わせることは余りに高次過ぎる。
もしそれを強要されたなら、躓いてしまっただろう。
明け方、微睡ながら夢を見ていた。
ー - -
平日昼間ののホームセンターで見かける男の子。
アヤシイと思っていたが、他の人の「こんな時間にフラフラして」みたいな非難めいた言葉に嫌気がさし、それへの反発から開店前に並んでいる男の子に声をかけてみた。
すると、「レンガを作るため」という。
ここは埼玉近郊。
もしかしてと「君は深谷から来たの?」
驚く男の子に
「や、レンガと聞いて翁を思い出してね。そして、翁といえば、深谷市。
もしかしら、翁に憧れて、レンガを作ってみようと思ったのかと…」
男の子は顔を赤らめて、軽くうなずいた。
「そうか、それなら、既に読んでいるかもしれないけれど…」
といって、鞄から自分の著書である翁の評伝の本を取り出し、少年にプレゼントした。
少年は何故プレゼントされるのか解らず、困惑している。
「翁風に言えば、これは『投資』だよ」
私は君に1つの『投資』をした。君はこれをきっかけに大きくなって、『次への投資』という様に、他の人たちに沢山『投資』することができたなら、私のこの『投資』は大成功ということになる。」
少年が何故、平日昼間にホームセンターにいるのか、学校で色々あり、事実上の登校拒否にあることが解った。
その上で
「翁に憧れているなら、学ぶためにいつかは学校に行ってみるといい。
別に勉強のためじゃない。勉強だけなら、学校に行かなくても今は可能だ。
学校で学ぶのは『人』だ。
気に食わない先生や、同級生や先輩がいるならば、それはチャンスだ。
何故、その人が気に食わないのか、自分の心の中を分析する。
そして、その人の言動の理由を調べる。
孫子曰く、『敵を知り己を知れば百選(百戦)危うからず』
先生の言動はその人の性格や信念にあるのかもしれない。
家庭や仕事の事情からのストレスからかもしれない。
それが正しい、それが可哀そうとか、そういうのではない。
そのような訳を推察していくなかで、『人』が解ってくる。
副産物として、攻略法が得られるかもしれない。
そんな研究と学習の場として、色々な他人が集まる学校は面白いところだと思うよ。」
そんな、アドバイスもどき、いや、飲み屋のオヤジ語りみたいなことをしながら、孫子の言葉が、兵法だけでなく、広く応用の効く言葉であることを『学』んでいることに気が付いていた。
ー - -
そんな夢を見た。
もちろん、自分は評伝を出したことなどない。
語り手に憑依したような、PBMのプレイヤーのような感じだった。
ー - -
平日昼間ののホームセンターで見かける男の子。
アヤシイと思っていたが、他の人の「こんな時間にフラフラして」みたいな非難めいた言葉に嫌気がさし、それへの反発から開店前に並んでいる男の子に声をかけてみた。
すると、「レンガを作るため」という。
ここは埼玉近郊。
もしかしてと「君は深谷から来たの?」
驚く男の子に
「や、レンガと聞いて翁を思い出してね。そして、翁といえば、深谷市。
もしかしら、翁に憧れて、レンガを作ってみようと思ったのかと…」
男の子は顔を赤らめて、軽くうなずいた。
「そうか、それなら、既に読んでいるかもしれないけれど…」
といって、鞄から自分の著書である翁の評伝の本を取り出し、少年にプレゼントした。
少年は何故プレゼントされるのか解らず、困惑している。
「翁風に言えば、これは『投資』だよ」
私は君に1つの『投資』をした。君はこれをきっかけに大きくなって、『次への投資』という様に、他の人たちに沢山『投資』することができたなら、私のこの『投資』は大成功ということになる。」
少年が何故、平日昼間にホームセンターにいるのか、学校で色々あり、事実上の登校拒否にあることが解った。
その上で
「翁に憧れているなら、学ぶためにいつかは学校に行ってみるといい。
別に勉強のためじゃない。勉強だけなら、学校に行かなくても今は可能だ。
学校で学ぶのは『人』だ。
気に食わない先生や、同級生や先輩がいるならば、それはチャンスだ。
何故、その人が気に食わないのか、自分の心の中を分析する。
そして、その人の言動の理由を調べる。
孫子曰く、『敵を知り己を知れば百選(百戦)危うからず』
先生の言動はその人の性格や信念にあるのかもしれない。
家庭や仕事の事情からのストレスからかもしれない。
それが正しい、それが可哀そうとか、そういうのではない。
そのような訳を推察していくなかで、『人』が解ってくる。
副産物として、攻略法が得られるかもしれない。
そんな研究と学習の場として、色々な他人が集まる学校は面白いところだと思うよ。」
そんな、アドバイスもどき、いや、飲み屋のオヤジ語りみたいなことをしながら、孫子の言葉が、兵法だけでなく、広く応用の効く言葉であることを『学』んでいることに気が付いていた。
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そんな夢を見た。
もちろん、自分は評伝を出したことなどない。
語り手に憑依したような、PBMのプレイヤーのような感じだった。
このブログに書き込むのも何年振りだろう。
よく消えずに残っていて来れたものだと思う。
ここに書くことが減ったのは、SNSへのアクセスが増えたことが切っ掛け。
それと、ブログにアップする文章をきちんと書く時間が掛けられなくなったことが大きい。
今までの文章はアップするのに、それなりに校正していたため、異様に時間を掛けていた。
(おそらく1時間近く)
ここに書き込むならば、きちんとした文章をアップしたいと思っていた。
それが出来ないなら、アップしない方が…となってしまった感じ。
さて、そんなこんなで随分日々が過ぎてしまった。
mixiが一般的には廃れ、FBやtwitterが全盛となって幾年月。
気が付くと、書くこと、発信することを忘れ、読んだり、RTするだけの日々。
本も読まず、タイムラインを追いかけるだけの日々。
インプットもアウトプットもなくなっていた。
以前、ここに書き込んでいたときには見栄半分興味半分、そしてPBMゲーマーとしての矜持としてのキュレーションを踏まえた情報収集と読書、そしてそれのアウトブットを行っていた。
SNSの海で遊ぶのは楽しい。情報収集をしているつもりだが、それはフローの情報で、自分を養生するストックにはなっていない。
それに気が付いたのは、twitterでもキュレイターよろしくRT専になっていることに気付いたから。
これはヤバい。
「自分の言葉」を失っていた。
だから、再びここで何かを書こうと思う。
リハビリとしての書き込みになってしまいそうだが。
書く中で色々考えられればと思う。
(普通はこういうものは元旦に書くものだが、ここ数年、山小屋で年越しをすることもあって、元旦にネットにアクセスできなく、挨拶も出来なくなっている。
だから、今日書き込むことにした。)
よく消えずに残っていて来れたものだと思う。
ここに書くことが減ったのは、SNSへのアクセスが増えたことが切っ掛け。
それと、ブログにアップする文章をきちんと書く時間が掛けられなくなったことが大きい。
今までの文章はアップするのに、それなりに校正していたため、異様に時間を掛けていた。
(おそらく1時間近く)
ここに書き込むならば、きちんとした文章をアップしたいと思っていた。
それが出来ないなら、アップしない方が…となってしまった感じ。
さて、そんなこんなで随分日々が過ぎてしまった。
mixiが一般的には廃れ、FBやtwitterが全盛となって幾年月。
気が付くと、書くこと、発信することを忘れ、読んだり、RTするだけの日々。
本も読まず、タイムラインを追いかけるだけの日々。
インプットもアウトプットもなくなっていた。
以前、ここに書き込んでいたときには見栄半分興味半分、そしてPBMゲーマーとしての矜持としてのキュレーションを踏まえた情報収集と読書、そしてそれのアウトブットを行っていた。
SNSの海で遊ぶのは楽しい。情報収集をしているつもりだが、それはフローの情報で、自分を養生するストックにはなっていない。
それに気が付いたのは、twitterでもキュレイターよろしくRT専になっていることに気付いたから。
これはヤバい。
「自分の言葉」を失っていた。
だから、再びここで何かを書こうと思う。
リハビリとしての書き込みになってしまいそうだが。
書く中で色々考えられればと思う。
(普通はこういうものは元旦に書くものだが、ここ数年、山小屋で年越しをすることもあって、元旦にネットにアクセスできなく、挨拶も出来なくなっている。
だから、今日書き込むことにした。)
今日の“ルノテオとサアカス”展の特別イベント『秘密のお茶会 ルノテオのお茶と手作りお菓子の朗読会』は色々なクラスタのお客が訪れていた。
同人サークル「ルノテオ」の知り合い、提供している紅茶ブランド「フィーユ・ブルー」のファン、朗読された池澤春菜さんのファン、そして会場の「月夜のサアカス」ファン。その中で私は全てのクラスタに引っかかっている。
フィーユ・ブルーはティーブレンダー熊崎俊太郎さんの展開する紅茶ブランド。
熊崎さんはブランドを展開する前から紅茶の野点など面白い催しを企画され、それに参加させて貰った。
同人サークル「ルノテオ」はDarieさんのファン繋がりのとこさんのサークル「我楽多倶楽部」の友好サークルとして知った。確かコミティアでとこさんのところに挨拶に行ったとき、お隣だった。グッズを綺麗に展示していて、偶々手にとった紅茶テーバッグセットがフィーユ・ブルーのアリアで驚いたことを覚えている。とこさんは今日も素敵な服装で参加していた。(知り合いと一緒の様だったので、挨拶は自粛。)
池澤春菜さんは声優としてというより、SF者、そしてお茶好きが高じて高級評茶員検定試験に挑んで合格していまうほどのお茶好きという点にシンパシーを感じていた。
「月夜のサアカス」については、アキバクラスタとして。このイベントを知ったのも、オーナーさんのツイートから。
土曜の10時開宴ということで、寝坊しないことが一番の気がかりだった。
幸い、無事に起きて参加することができた。朝メシ抜きだったけど。
満席だったため、個々のテーブルは相席に。女性2名と。
テーブルには既にスイーツが載ったプレートが置いてあった。私の申し込んだコースのスイーツはキャロのミルクティーババロア、一口チーズケーキ、マドレーヌ、そしてウサギのクッキー。ドリンクは最初に“ペシェベリ”ーのティーソーダと“パヴァーヌ”が出た。スイーツはどっしりしっかりした味で、小さくても満足感があった。また、ティーソーダも力強い味わい。これに比べると、“パヴァーヌ”はスイーツと共に頂くのにちょうど良い感じ。
相席の女性が偶々同じテーブルに座った嘉ということで、私ともう一人の女性の3人で乾杯した。ティーソーダのグラスを軽く音をさせて。
柔らかな香りの“パヴァーヌ”を飲み終えた頃、メインイベントである朗読が始まった。
朗読するのは今回のイベントタイトル「秘密のお茶会」をモチーフにして書かれたショートストーリー、朗読者は池澤春菜さん。ただ文章を読むのではなかった。一人で物語の5役を声色も含めて演じ分けていた。「普通に聞いているが、これは結構とんでもないな」と思った。しっかり準備して望まなければできない。プロの仕事振りを垣間見たゼ…
最後に出てきたドリンクは池澤春菜さんが持ち込まれた台湾産の「蜜香紅茶」。
飲みやすい温度に下がっていたので口に含むまでの香りがそれほど感じられなかったのがちょっと残念だったが、口に含むと味わいと共に力強い香りが広がった。これは聞香杯で味わいたかったな~。それでも、美味しかった。
朗読の合間に池澤さんが中国のお茶について話してくれた事が面白かった。
特に中国でお茶の集中講義を受けに行った時に体験した事や感じた事が。
特に印象深かったのが、色を表す言葉の意味合いの違い。
例えば、「緑」という漢字に対しての印象が中国人と日本人では異なるのだそうだ。
日本人が「緑」という漢字に対して抱く良イメージは、中国語では「翡翠」の色合いに抱くものらしい。
ブルーが英語圏では悪いイメージの言葉なのと同様だが、なまじ同じ漢字を使っているからズレに気づきにくいということがある。
そんな話を聞く事ができた。
イベント終了後、岩本町のスープカレーカムイで8種類の野菜カレー(ジンギスカントッピング)を食した後、秋葉原のcafeハナノキに訪れた。
こちらでもルノテオのイベントを行っている。
入店すると、先ほど相席した片方の女性が。凄い偶然。スルーするのも何だろうと、挨拶したのだが驚かせてしまった。
ルノテオセットを注文。これは先ほどティーゼリーに使われていたペシェベリーと「放課後のお茶菓子セット」ということでマカロンと焼き菓子のセット。今回は桜マカロンで、これが美味しかった。
ポットサービスのペシェベリーを味わっていると、先ほど相席したもう一人の女性が!
これで相席した3人が再び一同に会した事になる。なんという偶然…。これには吃驚した。
そして、トドメはルノテオ主催のMARCYさんと池澤春菜さん一行が…
同人サークル「ルノテオ」の知り合い、提供している紅茶ブランド「フィーユ・ブルー」のファン、朗読された池澤春菜さんのファン、そして会場の「月夜のサアカス」ファン。その中で私は全てのクラスタに引っかかっている。
フィーユ・ブルーはティーブレンダー熊崎俊太郎さんの展開する紅茶ブランド。
熊崎さんはブランドを展開する前から紅茶の野点など面白い催しを企画され、それに参加させて貰った。
同人サークル「ルノテオ」はDarieさんのファン繋がりのとこさんのサークル「我楽多倶楽部」の友好サークルとして知った。確かコミティアでとこさんのところに挨拶に行ったとき、お隣だった。グッズを綺麗に展示していて、偶々手にとった紅茶テーバッグセットがフィーユ・ブルーのアリアで驚いたことを覚えている。とこさんは今日も素敵な服装で参加していた。(知り合いと一緒の様だったので、挨拶は自粛。)
池澤春菜さんは声優としてというより、SF者、そしてお茶好きが高じて高級評茶員検定試験に挑んで合格していまうほどのお茶好きという点にシンパシーを感じていた。
「月夜のサアカス」については、アキバクラスタとして。このイベントを知ったのも、オーナーさんのツイートから。
土曜の10時開宴ということで、寝坊しないことが一番の気がかりだった。
幸い、無事に起きて参加することができた。朝メシ抜きだったけど。
満席だったため、個々のテーブルは相席に。女性2名と。
テーブルには既にスイーツが載ったプレートが置いてあった。私の申し込んだコースのスイーツはキャロのミルクティーババロア、一口チーズケーキ、マドレーヌ、そしてウサギのクッキー。ドリンクは最初に“ペシェベリ”ーのティーソーダと“パヴァーヌ”が出た。スイーツはどっしりしっかりした味で、小さくても満足感があった。また、ティーソーダも力強い味わい。これに比べると、“パヴァーヌ”はスイーツと共に頂くのにちょうど良い感じ。
相席の女性が偶々同じテーブルに座った嘉ということで、私ともう一人の女性の3人で乾杯した。ティーソーダのグラスを軽く音をさせて。
柔らかな香りの“パヴァーヌ”を飲み終えた頃、メインイベントである朗読が始まった。
朗読するのは今回のイベントタイトル「秘密のお茶会」をモチーフにして書かれたショートストーリー、朗読者は池澤春菜さん。ただ文章を読むのではなかった。一人で物語の5役を声色も含めて演じ分けていた。「普通に聞いているが、これは結構とんでもないな」と思った。しっかり準備して望まなければできない。プロの仕事振りを垣間見たゼ…
最後に出てきたドリンクは池澤春菜さんが持ち込まれた台湾産の「蜜香紅茶」。
飲みやすい温度に下がっていたので口に含むまでの香りがそれほど感じられなかったのがちょっと残念だったが、口に含むと味わいと共に力強い香りが広がった。これは聞香杯で味わいたかったな~。それでも、美味しかった。
朗読の合間に池澤さんが中国のお茶について話してくれた事が面白かった。
特に中国でお茶の集中講義を受けに行った時に体験した事や感じた事が。
特に印象深かったのが、色を表す言葉の意味合いの違い。
例えば、「緑」という漢字に対しての印象が中国人と日本人では異なるのだそうだ。
日本人が「緑」という漢字に対して抱く良イメージは、中国語では「翡翠」の色合いに抱くものらしい。
ブルーが英語圏では悪いイメージの言葉なのと同様だが、なまじ同じ漢字を使っているからズレに気づきにくいということがある。
そんな話を聞く事ができた。
イベント終了後、岩本町のスープカレーカムイで8種類の野菜カレー(ジンギスカントッピング)を食した後、秋葉原のcafeハナノキに訪れた。
こちらでもルノテオのイベントを行っている。
入店すると、先ほど相席した片方の女性が。凄い偶然。スルーするのも何だろうと、挨拶したのだが驚かせてしまった。
ルノテオセットを注文。これは先ほどティーゼリーに使われていたペシェベリーと「放課後のお茶菓子セット」ということでマカロンと焼き菓子のセット。今回は桜マカロンで、これが美味しかった。
ポットサービスのペシェベリーを味わっていると、先ほど相席したもう一人の女性が!
これで相席した3人が再び一同に会した事になる。なんという偶然…。これには吃驚した。
そして、トドメはルノテオ主催のMARCYさんと池澤春菜さん一行が…
明日の輪番停電に自宅のある大田区久が原(グループ3)が含まれていた。
住宅地を優先しての停電かな。
今日は午後に体調を崩して夕方まで寝ていた。
幸い、今は回復したので大丈夫。恐らく疲れが出たのだろう。
状況はまだまだ安全というまでは程遠いが、それでも次に向かって進まなければならない。
先日の日記『名誉ある戦い』にも記したように、これは戦いだ。
しかし、その戦いは怒りや武力で行うものではない。
平安と理性の力で行うものだ。
辛くなったら下記の「平安の祈り」[http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm]を唱えよう。
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
非常時ではあるけれど、『日常を取り戻すための戦い』もまた重要。
自粛を唱えたり、何かにつけて不寛容な言動や当てこすりをしたり、
非難のための非難ばかりする人は恐らく恐怖心から動いているのだろう。
感情を押さえつける事が良くないように、時に上記のような言動にも
在る程度の心理的な理解が必要だと考える。
戦いは長期戦となるだろう。
しかし、我々は前に進まなければ。
住宅地を優先しての停電かな。
今日は午後に体調を崩して夕方まで寝ていた。
幸い、今は回復したので大丈夫。恐らく疲れが出たのだろう。
状況はまだまだ安全というまでは程遠いが、それでも次に向かって進まなければならない。
先日の日記『名誉ある戦い』にも記したように、これは戦いだ。
しかし、その戦いは怒りや武力で行うものではない。
平安と理性の力で行うものだ。
辛くなったら下記の「平安の祈り」[http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm]を唱えよう。
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
非常時ではあるけれど、『日常を取り戻すための戦い』もまた重要。
自粛を唱えたり、何かにつけて不寛容な言動や当てこすりをしたり、
非難のための非難ばかりする人は恐らく恐怖心から動いているのだろう。
感情を押さえつける事が良くないように、時に上記のような言動にも
在る程度の心理的な理解が必要だと考える。
戦いは長期戦となるだろう。
しかし、我々は前に進まなければ。
我々は名誉ある戦いの中にある。
大震災というと直ぐに思い起こされる小説がある。
小川一水『復活の地』http://www.amazon.co.jp/dp/415030761X だ。
“大震災”により壊滅的な被害を被ったレンカ帝国。主人公セイオ・ランカベリーは帝国に対する怒りを内に秘めながら託された使命と理不尽な破壊に対する怒りを胸に復興に勤しむ。そんな中、再び同規模の“大震災”が起こることが判り…レンカ帝国民は迫り来る“大震災”と戦い、防衛することを決めた。
レンカ帝国民は“大震災”の物理的な被害を防ぐという戦いだった。官僚組織、軍、警察、消防、自警団、篤志者たちが繋がりあって戦う姿が描かれる
今、我々も同様に戦いの中にある。
それは小説そのままの東北地方太平洋沖地震の被害を防ぐという戦いではない。
無知に付け込むデマや不安から湧き出る恐怖による“パニック”との戦いだ。
“大震災”との戦いは耐震補強など物理的な戦いだった、今回は情報戦だ。
我々は“パニック”に対し大きな武器を手に入れた。ネットだ。
ランカ帝国で次第に存在感を示す篤志者たちと同じように
マスコミの偏った記事やそれに誘発されるデマに対し、個々人がツイッターなどネットで得た正しい現状認識と知識によってデマや自らの不安を封じる戦い。
それに勝利して齎される粛々とした行動。
これは偉大で名誉ある戦いだ。
大震災というと直ぐに思い起こされる小説がある。
小川一水『復活の地』http://www.amazon.co.jp/dp/415030761X だ。
“大震災”により壊滅的な被害を被ったレンカ帝国。主人公セイオ・ランカベリーは帝国に対する怒りを内に秘めながら託された使命と理不尽な破壊に対する怒りを胸に復興に勤しむ。そんな中、再び同規模の“大震災”が起こることが判り…レンカ帝国民は迫り来る“大震災”と戦い、防衛することを決めた。
レンカ帝国民は“大震災”の物理的な被害を防ぐという戦いだった。官僚組織、軍、警察、消防、自警団、篤志者たちが繋がりあって戦う姿が描かれる
今、我々も同様に戦いの中にある。
それは小説そのままの東北地方太平洋沖地震の被害を防ぐという戦いではない。
無知に付け込むデマや不安から湧き出る恐怖による“パニック”との戦いだ。
“大震災”との戦いは耐震補強など物理的な戦いだった、今回は情報戦だ。
我々は“パニック”に対し大きな武器を手に入れた。ネットだ。
ランカ帝国で次第に存在感を示す篤志者たちと同じように
マスコミの偏った記事やそれに誘発されるデマに対し、個々人がツイッターなどネットで得た正しい現状認識と知識によってデマや自らの不安を封じる戦い。
それに勝利して齎される粛々とした行動。
これは偉大で名誉ある戦いだ。
Twitter:始めて1Wの感想
2010年1月9日 趣味年明けに書いたmixi日記で
>より情報発信型に、よりPBM的(相互干渉的)なツールとして。
>Twitter参加者の人は判っているだろうけど、参加者は台的に言えば皆『デュエリスト』の資格を持つ。
>その140文字のプレイングが《世界》を変え得る。
と書いたtwitterだが、
まだルールを把握しきれていないので、知人以外にはレスを返したりコメントしたりするのは避け、様子見モードが続いている。
1W様子見して感じたのは、上記で書いたときに思っていた以上にtwitterがPBM的(PBMをやったことのない人にわかりやすく言えばソーシャルゲーム的)なものだということ。
このゲーム性の強さはmixiのような掲示板型SNSの比じゃない。
ゲームという言葉が示すのは、参加者において勝者と敗者がいるという点。
そのパラメータは発言量とフォロー数だ。
ゲームで使われる手札は参加者の人生。有限な時間。
書き込む時間、フォローしている人のつぶやきを読む時間。
おそらくフォロー数がある一定数を超えると、その人にとって情報爆発が生じる。
他人のつぶやきを読むだけで一日が終わってしまう。
それを避けるには、取捨選択しなければならない。
何を。フォローする人を。
今は参加者が少ないから問題ないが、ゲームの進捗によって、そのうち発信者(勝者)と受信者(敗者)に分かれてしまうのではないだろうか。
つまり、双方向を売りにしてきたものが、情報爆発により一方向性メディアに堕してしまう可能性。
そんなインフラにならなければいいんだけど。
とりあえず、今のところ読むのが面白い。
「有名人と無名な人のフォロー数の『格差』の問題」「つぶやきの内容の信憑性の担保」など、社会学的にも面白い。
既に色々研究されているかもしれない。
書籍を探してみよう。
>より情報発信型に、よりPBM的(相互干渉的)なツールとして。
>Twitter参加者の人は判っているだろうけど、参加者は台的に言えば皆『デュエリスト』の資格を持つ。
>その140文字のプレイングが《世界》を変え得る。
と書いたtwitterだが、
まだルールを把握しきれていないので、知人以外にはレスを返したりコメントしたりするのは避け、様子見モードが続いている。
1W様子見して感じたのは、上記で書いたときに思っていた以上にtwitterがPBM的(PBMをやったことのない人にわかりやすく言えばソーシャルゲーム的)なものだということ。
このゲーム性の強さはmixiのような掲示板型SNSの比じゃない。
ゲームという言葉が示すのは、参加者において勝者と敗者がいるという点。
そのパラメータは発言量とフォロー数だ。
ゲームで使われる手札は参加者の人生。有限な時間。
書き込む時間、フォローしている人のつぶやきを読む時間。
おそらくフォロー数がある一定数を超えると、その人にとって情報爆発が生じる。
他人のつぶやきを読むだけで一日が終わってしまう。
それを避けるには、取捨選択しなければならない。
何を。フォローする人を。
今は参加者が少ないから問題ないが、ゲームの進捗によって、そのうち発信者(勝者)と受信者(敗者)に分かれてしまうのではないだろうか。
つまり、双方向を売りにしてきたものが、情報爆発により一方向性メディアに堕してしまう可能性。
そんなインフラにならなければいいんだけど。
とりあえず、今のところ読むのが面白い。
「有名人と無名な人のフォロー数の『格差』の問題」「つぶやきの内容の信憑性の担保」など、社会学的にも面白い。
既に色々研究されているかもしれない。
書籍を探してみよう。
白金高輪の日経BP社で催された「速習! 学びなおしの経済学」に参加した。
http://kazuyaserizawa.com/event/index.htm
講師は駒澤大学経済学部准教授の飯田泰之氏。
90分の講義4コマで、ミクロ経済学とマクロ経済学の概要を把握することが目的。
10時半開始で終了は18時半。
12K円はイベント参加費としてはちょっと高いが、大学の授業4コマならこれの倍以上の授業料なのだから安いものだと思う。
自分の経済学の知識が大雑把でびみょうだったことが判った。
マスコミで経済的な話において、コメンテーターが言っている事がピントがずれていることが多いことも。
「経済学と経営学の違い」も判っていたつもりだけど、改めて説明されてよく判った。
経済学は企業の利潤と個人の利益の両者の増大を追い求める、つまり全体最適を目指す。
競争市場において全体最適が可能になる。その公正性と効率性によって。
これが「自由競争市場の優越」が意味するところ。
経営学は一企業の利潤の増大を追い求める、つまり部分最適を目指す。
競争市場ではめちゃくちゃ儲け続けることは難しい。
利潤最大の経営努力を重ねる行為が、自然に競争市場から逃げて価格支配力を持つ<独占>の方向に進ませる。
ミクロ経済学の主体均衡の理論から
「(物価一定で)賃金が上がると労働供給量は増えるか減るか?」くだいて言えば、「最賃が上がると労働市場はどうなるか?」という問いの答えが導き出される。
マクロ経済学の有効需要の原理から
「乗数効果(消費連鎖を喚起する度合い)の高い政策を採ることが景気対策になる。」という観点で、民主党の政策を捉えることができる。
フィリップス曲線から物価指数と失業率の関係が導き出され、
デフレ領域ではデフレの増減に対し失業率が激しく変化することが判る。<デフレがヤバイ理由
講義終了後、質問会。
「国債増発したら長期金利が上がってしまうのではないか?」
「小泉政権の経済対策について」
「最低賃金及び労働法制について」
「国の借金の実質はいくらなのか?」
「人口成長率と日本の将来」
「効果のある公共事業は?」
「10年後の日本はどうなると見ているか?」
などがあった。
質問会終了後、サイン会。
会場料金で売っていた「脱貧困の経済学」雨宮処凜×飯田泰之(自由国民社)を講義前に購入していたので、せっかくだからサインを貰う。
http://www.amazon.co.jp/dp/4426104610
会社に戻る車中に読んだが、講義で言っていたいくつかがここで対話形式で述べられている。
経済学を知らない雨宮氏との対話という形なので、経済学の門外漢でも理解しやすい。
http://kazuyaserizawa.com/event/index.htm
講師は駒澤大学経済学部准教授の飯田泰之氏。
90分の講義4コマで、ミクロ経済学とマクロ経済学の概要を把握することが目的。
10時半開始で終了は18時半。
12K円はイベント参加費としてはちょっと高いが、大学の授業4コマならこれの倍以上の授業料なのだから安いものだと思う。
自分の経済学の知識が大雑把でびみょうだったことが判った。
マスコミで経済的な話において、コメンテーターが言っている事がピントがずれていることが多いことも。
「経済学と経営学の違い」も判っていたつもりだけど、改めて説明されてよく判った。
経済学は企業の利潤と個人の利益の両者の増大を追い求める、つまり全体最適を目指す。
競争市場において全体最適が可能になる。その公正性と効率性によって。
これが「自由競争市場の優越」が意味するところ。
経営学は一企業の利潤の増大を追い求める、つまり部分最適を目指す。
競争市場ではめちゃくちゃ儲け続けることは難しい。
利潤最大の経営努力を重ねる行為が、自然に競争市場から逃げて価格支配力を持つ<独占>の方向に進ませる。
ミクロ経済学の主体均衡の理論から
「(物価一定で)賃金が上がると労働供給量は増えるか減るか?」くだいて言えば、「最賃が上がると労働市場はどうなるか?」という問いの答えが導き出される。
マクロ経済学の有効需要の原理から
「乗数効果(消費連鎖を喚起する度合い)の高い政策を採ることが景気対策になる。」という観点で、民主党の政策を捉えることができる。
フィリップス曲線から物価指数と失業率の関係が導き出され、
デフレ領域ではデフレの増減に対し失業率が激しく変化することが判る。<デフレがヤバイ理由
講義終了後、質問会。
「国債増発したら長期金利が上がってしまうのではないか?」
「小泉政権の経済対策について」
「最低賃金及び労働法制について」
「国の借金の実質はいくらなのか?」
「人口成長率と日本の将来」
「効果のある公共事業は?」
「10年後の日本はどうなると見ているか?」
などがあった。
質問会終了後、サイン会。
会場料金で売っていた「脱貧困の経済学」雨宮処凜×飯田泰之(自由国民社)を講義前に購入していたので、せっかくだからサインを貰う。
http://www.amazon.co.jp/dp/4426104610
会社に戻る車中に読んだが、講義で言っていたいくつかがここで対話形式で述べられている。
経済学を知らない雨宮氏との対話という形なので、経済学の門外漢でも理解しやすい。
歌劇『ファウスト』 ~ 幸福と不幸のあいだの弁証法
2009年6月21日 演劇 友人のてっこさんがヴァイオリン奏者として参加しているアマチュア歌劇団ガレリア座の歌劇「ファウスト」を観た。
アマチュアで全5幕全て上演するというのは日本ではかなり珍しいことらしい。4時間弱の長丁場、舞台に立つ歌手はもちろん音楽を奏で続ける楽団は大変だ。てっこさん曰く、初めてのゲネプロでは疲れ果てたという。
しかし、観ている方はそれほど長時間に感じなかった。初見であることもあるだろうが、舞台を見終わり、腕時計を見て驚くという感じだった。
歌劇「ファウスト」だが、基本的には悲劇・・・なのだろう。
引き篭もってヲタクな趣味に明け暮れ、人との関わりを避け、『青春』の素晴らしさを無視してきた孤独な老人ファウストが、外から聞こえてきた《リア充》達の笑い声を耳にして己の今までの人生に絶望し、「お前も《リア充》になれる」とうまい話を持ちかける浅黒い肌の美丈夫と契約してしまう。
浅黒い肌の男の魔法で魅力的なイケメンになったファウストは、まだまともに恋をしたことすらない美しい村娘マルガリーテを誘惑する。
マルガリーテに思いを寄せる幼馴染シーベルの素朴なアプローチは千の貌をもつ男の力を借りた勝ち組男ファウストのプレゼント攻勢に藻屑と消える。
すっかりファウストに魅了され、初めて本当の恋に落ちたマルガリーテ。
それを認めない、許さないシスコンのヴァランタン。
大勢の部下の犠牲や敵の屍の山によって成り上がった男。
ヴァランタンはオレのモノである大事な妹を奪ったファウストが許せず、決闘を仕掛けるが返り討ちにあってしまう。
認めない、認めないぞ~と、シスコンのヴァランタンは死の間際に駆けつけたマルガリーテに呪詛を吐く。
オレの許しもなく、オレの知らない男と結ばれ、あろうことか身篭りやがった、オレのモノだったマルガリーテよ、呪われよ!
兄の呪詛に対するSANチェックにファンブルし、(20d6)ポイント正気度を失ったマルガリーテは発狂する。
狂気は伝播し、ヴァランタンの部下だったシーベルも人であることを止めてしまう。
千の貌を持つ男に導かれ、魔宴の快楽に身をゆだねていたファウストは、己が我侭が齎した様々な破滅に気づいて恐怖する。
狂気の末、ファウストとの甘い恋の思い出の世界に住むマルガリーテは、ファウストが消えてから産み落としたわが子の存在を認められない。彼女はわが子をネグレクトにより死に至らしめたことすら理解できない。
己が子殺しの罪を理解できないまま、処刑の日を迎えるマルガリーテの前に今更ながらファウストが現れるが、幸せな狂気の住人であるマルガリーテには彼の声が届かない。
千の貌をもつ男の出現により、その幸せが奪われるのではと怯えたマルガリーテは旧支配者ではない神に救いを求め、息絶える。
そして、老人ファウストも破滅する。息絶えたマルガリーテに近づこうと足掻き、ようやっと彼女の傍らで息絶える。
さて、“籠の中の鳥”マルガリーテは幸福だったろうか?不幸だったろうか?
そして、“ひっきー”ファウストは幸福だったろうか?不幸だったろうか?
私はデンマークの映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を想起した。
悲劇ではある。が、決してただただ不幸だったとは言えない。
光あるところに影があり、影があるところに光がある。
恐るべきは、のっぺりとなにもない、光でも影でもなく《無》であること。
・・・そして、肌が浅黒い、《夢》であり、《幻》であり、《無》である男は二人の最期を見届けた後、小さく肩をすくめて歩き去っていった。
次の興味深い人間に出会うために・・・
アマチュアで全5幕全て上演するというのは日本ではかなり珍しいことらしい。4時間弱の長丁場、舞台に立つ歌手はもちろん音楽を奏で続ける楽団は大変だ。てっこさん曰く、初めてのゲネプロでは疲れ果てたという。
しかし、観ている方はそれほど長時間に感じなかった。初見であることもあるだろうが、舞台を見終わり、腕時計を見て驚くという感じだった。
歌劇「ファウスト」だが、基本的には悲劇・・・なのだろう。
引き篭もってヲタクな趣味に明け暮れ、人との関わりを避け、『青春』の素晴らしさを無視してきた孤独な老人ファウストが、外から聞こえてきた《リア充》達の笑い声を耳にして己の今までの人生に絶望し、「お前も《リア充》になれる」とうまい話を持ちかける浅黒い肌の美丈夫と契約してしまう。
浅黒い肌の男の魔法で魅力的なイケメンになったファウストは、まだまともに恋をしたことすらない美しい村娘マルガリーテを誘惑する。
マルガリーテに思いを寄せる幼馴染シーベルの素朴なアプローチは千の貌をもつ男の力を借りた勝ち組男ファウストのプレゼント攻勢に藻屑と消える。
すっかりファウストに魅了され、初めて本当の恋に落ちたマルガリーテ。
それを認めない、許さないシスコンのヴァランタン。
大勢の部下の犠牲や敵の屍の山によって成り上がった男。
ヴァランタンはオレのモノである大事な妹を奪ったファウストが許せず、決闘を仕掛けるが返り討ちにあってしまう。
認めない、認めないぞ~と、シスコンのヴァランタンは死の間際に駆けつけたマルガリーテに呪詛を吐く。
オレの許しもなく、オレの知らない男と結ばれ、あろうことか身篭りやがった、オレのモノだったマルガリーテよ、呪われよ!
兄の呪詛に対するSANチェックにファンブルし、(20d6)ポイント正気度を失ったマルガリーテは発狂する。
狂気は伝播し、ヴァランタンの部下だったシーベルも人であることを止めてしまう。
千の貌を持つ男に導かれ、魔宴の快楽に身をゆだねていたファウストは、己が我侭が齎した様々な破滅に気づいて恐怖する。
狂気の末、ファウストとの甘い恋の思い出の世界に住むマルガリーテは、ファウストが消えてから産み落としたわが子の存在を認められない。彼女はわが子をネグレクトにより死に至らしめたことすら理解できない。
己が子殺しの罪を理解できないまま、処刑の日を迎えるマルガリーテの前に今更ながらファウストが現れるが、幸せな狂気の住人であるマルガリーテには彼の声が届かない。
千の貌をもつ男の出現により、その幸せが奪われるのではと怯えたマルガリーテは旧支配者ではない神に救いを求め、息絶える。
そして、老人ファウストも破滅する。息絶えたマルガリーテに近づこうと足掻き、ようやっと彼女の傍らで息絶える。
さて、“籠の中の鳥”マルガリーテは幸福だったろうか?不幸だったろうか?
そして、“ひっきー”ファウストは幸福だったろうか?不幸だったろうか?
私はデンマークの映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を想起した。
悲劇ではある。が、決してただただ不幸だったとは言えない。
光あるところに影があり、影があるところに光がある。
恐るべきは、のっぺりとなにもない、光でも影でもなく《無》であること。
・・・そして、肌が浅黒い、《夢》であり、《幻》であり、《無》である男は二人の最期を見届けた後、小さく肩をすくめて歩き去っていった。
次の興味深い人間に出会うために・・・
そして、ローンだけが残った
2009年5月28日 TV コメント (3)録画しておいたNHKのクローズアップ現代を見ている。
>5月27日(水)放送
>そして、ローンだけが残った
>~相次ぐ住宅メーカーの破たん~
>
>富士ハウス(静岡)、アーバンエステート(埼玉)など、全国で住宅メーカーの経営破綻が相次ぎ、マイホーム建築中の人々に被害が拡大している。注文住宅の建築では多くの場合、建築主が多額の建築費を前払いしているが、建売住宅やマンションなどのように前払い金を救済する法律が整っていない。このため、払った金は戻らず、残されるのはローンと家の土台や骨組み、まだ更地というケースも続出しているのだ。幸せの象徴であり、人生最大の買い物であるマイホーム。その安心を守る手だてを考える
運転資金を得るために「前払いしたら値引きする」と前払いさせた上で倒産って、どんな計画倒産だ。
こんな話を聞いたら、注文住宅なんて作る人いなくなるな~
「住宅減税で景気てこ入れ」なんて吹っ飛んでしまう(*_*)
下手な景気対策をするより「前払い金を救済する法律」を作った方がいいのでは?
>5月27日(水)放送
>そして、ローンだけが残った
>~相次ぐ住宅メーカーの破たん~
>
>富士ハウス(静岡)、アーバンエステート(埼玉)など、全国で住宅メーカーの経営破綻が相次ぎ、マイホーム建築中の人々に被害が拡大している。注文住宅の建築では多くの場合、建築主が多額の建築費を前払いしているが、建売住宅やマンションなどのように前払い金を救済する法律が整っていない。このため、払った金は戻らず、残されるのはローンと家の土台や骨組み、まだ更地というケースも続出しているのだ。幸せの象徴であり、人生最大の買い物であるマイホーム。その安心を守る手だてを考える
運転資金を得るために「前払いしたら値引きする」と前払いさせた上で倒産って、どんな計画倒産だ。
こんな話を聞いたら、注文住宅なんて作る人いなくなるな~
「住宅減税で景気てこ入れ」なんて吹っ飛んでしまう(*_*)
下手な景気対策をするより「前払い金を救済する法律」を作った方がいいのでは?
とらドラ!:テーマソング by 奥華子
2009年2月5日 アニメ・マンガ奥華子さんの歌でとらドラ!のキャラのテーマソングを選んでみた。
亜美
あなたに好きと言われたい
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5987146
大河
僕のクリスマス
http://www.youtube.com/watch?v=LBayxPtnBiQ&feature=related
↓
透明傘
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4127551
みのりん
迷路
http://www.youtube.com/watch?v=qqzQfrVepLU
雲よりも遠く
http://www.youtube.com/watch?v=L9MKJKHoLP8
とらドラ!の全ての子供たちへ
ta.la.la
http://www.youtube.com/watch?v=3aivoD39ffU&feature=related
亜美
あなたに好きと言われたい
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5987146
大河
僕のクリスマス
http://www.youtube.com/watch?v=LBayxPtnBiQ&feature=related
↓
透明傘
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4127551
みのりん
迷路
http://www.youtube.com/watch?v=qqzQfrVepLU
雲よりも遠く
http://www.youtube.com/watch?v=L9MKJKHoLP8
とらドラ!の全ての子供たちへ
ta.la.la
http://www.youtube.com/watch?v=3aivoD39ffU&feature=related
とらドラ!:Knock
2009年1月25日 アニメ・マンガ しょせんオレたちは どちらへ転んでも ひきょう者になる
「とらドラ!」16話を観て、想起した。
『すくらっぷブック』
中学3年生である春ぼんとカナちゃんの台詞(かなりうろ覚え)
「自分の夢のために他人の夢を犠牲にするか、他人の夢のために自分の夢を諦めるか、どちらにしてもひきょう者だよね・・・」
「・・・まっすぐ夢に向かう者に、ひきょう者という言葉はありません」
「とらドラ!」16話を観て、想起した。
『すくらっぷブック』
中学3年生である春ぼんとカナちゃんの台詞(かなりうろ覚え)
「自分の夢のために他人の夢を犠牲にするか、他人の夢のために自分の夢を諦めるか、どちらにしてもひきょう者だよね・・・」
「・・・まっすぐ夢に向かう者に、ひきょう者という言葉はありません」
スーパーなファンド?
2009年1月20日 趣味キャピタルパートナーズ証券の担当営業さんから電話があった。
てっきりファンドの取扱店変更の件の確認の電話だと思った。
そうではなく、06年に購入したスーパーファンドの追加購入のお誘いだった。
なる。
トレンドフォロー型はこの状況でもいい成績を上げているし、
件のスーパーファンドはテレビ東京の「E morning」でもCM打ってる様子から
一人勝ちの「行け行けガンガン!」な状態なのだろう。
尤も、これから先はどうなるか判らない。
これからも同じトレンドで下がり続けるか、それともトレンドが見えなくなる位不安定になるか・・・
それを予想し、コストを考えた上で検討しないとね。
世界景気的にはこの一方的な下落トレンドは収まった方がいいのだけど。
てっきりファンドの取扱店変更の件の確認の電話だと思った。
そうではなく、06年に購入したスーパーファンドの追加購入のお誘いだった。
なる。
トレンドフォロー型はこの状況でもいい成績を上げているし、
件のスーパーファンドはテレビ東京の「E morning」でもCM打ってる様子から
一人勝ちの「行け行けガンガン!」な状態なのだろう。
尤も、これから先はどうなるか判らない。
これからも同じトレンドで下がり続けるか、それともトレンドが見えなくなる位不安定になるか・・・
それを予想し、コストを考えた上で検討しないとね。
世界景気的にはこの一方的な下落トレンドは収まった方がいいのだけど。
とらドラ!:悲劇の構造
2009年1月9日 アニメ・マンガアニメ版「とらドラ!」14話の魔術的演出を考察してみる。
1.囁く『言葉』
教室で実乃梨が複雑な感情に耽っているとき、亜美が不意に背後から近づいて意味深な『言葉』を口にするシーンがある。
ここで実乃梨は亜美の『言葉』に同意して受け入れてしまう。
この事そのものは友達同士の会話であるが、全体構成からみると、この状況は伏線であり、かつ罠である。
この承認行為によって、実乃梨は亜美の『言葉』に対する心理障壁が弱まってしまった。
「彼女の言うことは信頼に足る。私の事を考えて言ってくれた。」
そのため、以降、似た状況下で亜美が不注意にも、あるいは意図を隠して、口にしてしまう『言葉』はより深く、よりダイレクトに実乃梨の心まで届き、彼女の思考を束縛する。
《ギアス》として・・・
2.類似の法則
原作を読んでない人が「亜美と兄貴が似てて区別が付かない」と言っていた。
最初は、「目つきなどで判るのにな~」と思っていたのだが、改めて考えてみると少し変な気がした。
個々のキャラ立ちを考えると、それぞれの外見は一目で判るくらい差を付けるのが普通だ。
それが初見の人には勘違いしてしまうぐらい似ている。
もしかしたら、故意に行われたキャラクターデザインなのではないだろうか?
つまり、意識的に亜美と兄貴のシルエットを似せた。
ここで《類似の法則》が発動する。
『似ているものは本質も似る』
例えば、学校での立場を考えると両者共、能力(学力、モデル)が学校を飛び越えて認められるアウトサイダーな面を持っている。
ところで、亜美と兄貴の両者と縁がある登場人物がいる。北村だ。
北村は兄貴の本質の中に幼馴染である亜美と似たものを無意識的に認識してはいないだろうか?
『似ているものは互いに関係する』
物語中、両者が《類似の法則》に寄って関係付けられると、両者は似た立場、似た運命を歩む事になる。
また、彼女のどちらかが他者から投げ掛けられる『言葉』や『罵倒』はそのまま彼女達両者を指すものとなり、思い余って刳り出す『台詞』は彼女達両者の思いとなる。
こうして、悲劇の構造が1つ完成する。
悲劇 Tragodie(tragedy)の語源となったギリシア語は「トラゴイディア」というものらしい。
《類似の法則》が発動しませんように・・・
1.囁く『言葉』
教室で実乃梨が複雑な感情に耽っているとき、亜美が不意に背後から近づいて意味深な『言葉』を口にするシーンがある。
ここで実乃梨は亜美の『言葉』に同意して受け入れてしまう。
この事そのものは友達同士の会話であるが、全体構成からみると、この状況は伏線であり、かつ罠である。
この承認行為によって、実乃梨は亜美の『言葉』に対する心理障壁が弱まってしまった。
「彼女の言うことは信頼に足る。私の事を考えて言ってくれた。」
そのため、以降、似た状況下で亜美が不注意にも、あるいは意図を隠して、口にしてしまう『言葉』はより深く、よりダイレクトに実乃梨の心まで届き、彼女の思考を束縛する。
《ギアス》として・・・
2.類似の法則
原作を読んでない人が「亜美と兄貴が似てて区別が付かない」と言っていた。
最初は、「目つきなどで判るのにな~」と思っていたのだが、改めて考えてみると少し変な気がした。
個々のキャラ立ちを考えると、それぞれの外見は一目で判るくらい差を付けるのが普通だ。
それが初見の人には勘違いしてしまうぐらい似ている。
もしかしたら、故意に行われたキャラクターデザインなのではないだろうか?
つまり、意識的に亜美と兄貴のシルエットを似せた。
ここで《類似の法則》が発動する。
『似ているものは本質も似る』
例えば、学校での立場を考えると両者共、能力(学力、モデル)が学校を飛び越えて認められるアウトサイダーな面を持っている。
ところで、亜美と兄貴の両者と縁がある登場人物がいる。北村だ。
北村は兄貴の本質の中に幼馴染である亜美と似たものを無意識的に認識してはいないだろうか?
『似ているものは互いに関係する』
物語中、両者が《類似の法則》に寄って関係付けられると、両者は似た立場、似た運命を歩む事になる。
また、彼女のどちらかが他者から投げ掛けられる『言葉』や『罵倒』はそのまま彼女達両者を指すものとなり、思い余って刳り出す『台詞』は彼女達両者の思いとなる。
こうして、悲劇の構造が1つ完成する。
悲劇 Tragodie(tragedy)の語源となったギリシア語は「トラゴイディア」というものらしい。
《類似の法則》が発動しませんように・・・
触ると願いが叶う『幸福の手乗りタイガー』を触った手。
その手を見つめながら離れた親と電話。
「もうちょっと・・・」と口に。
その人を見つけて、思わず「ラッキー!」と握りこぶし。
その人からの気遣いを受け取る両手。
その手を見つめながら離れた親と電話。
「友達も増えたし、それに・・・」と口に。
彼女は何を願うのだろう・・・
その手を見つめながら離れた親と電話。
「もうちょっと・・・」と口に。
その人を見つけて、思わず「ラッキー!」と握りこぶし。
その人からの気遣いを受け取る両手。
その手を見つめながら離れた親と電話。
「友達も増えたし、それに・・・」と口に。
彼女は何を願うのだろう・・・
原作5巻を追った11~13話は見事だった。
ここに至って、JCスタッフ側の構成の意図が見えてきた。
彼らは原作を解体して再構成している。
その再構成の基準は物語全体を見通しての適切な配置だ。
また台詞で語らず、登場人物の表情で色々語らせようとしている。
なので、ある段階では判らない、もしくは判りにくいようになっている。
いや、あえてそうしているように見受けられる。
何故そう思ったかというと、話数が進んでから以前の話を再視聴することで全く違う見方が出来てしまったからだ。
初見では見過ごしていた瞳孔の広がり(勿論アニメ的な表現であるが)や不思議な視線の意味が『判る』。
『語られないもの』、つまり『秘密』であり『真実』であるものが見えてくる。
客観的に指摘できる《伏線》ではなく、受け手の主観で認識されるものであるため、それを『語る』ことは難しい。
そんな仕掛けを施した構成は視聴者を選ぶ。
なるほどゴールデンタイムではなく大人向けの深夜に放送するはずだ。
しかし・・・こんな事をするはよほど表情の作画に自信がなければできない。
製作スタッフは演出サイドから酷い目にあっているんじゃないだろうか(あせ。
今夜の14話は原作ではメインストーリーから外れたショートショート(スピンオフ)を元にしたものらしい。
少ない尺の中で全体構成から意味のないものを入れる余裕はないはず。
なので全体構成的に意味のある話に再構成されていると思う。
手がかりは前回の予告の台詞「ずっと俺のターン」。
この手の遊戯王ネタは原作6巻でも使用されている。
私はここから今夜の放送では6巻の一部を組み込んでくるのではと推測している。
さて結果は如何に?
ここに至って、JCスタッフ側の構成の意図が見えてきた。
彼らは原作を解体して再構成している。
その再構成の基準は物語全体を見通しての適切な配置だ。
また台詞で語らず、登場人物の表情で色々語らせようとしている。
なので、ある段階では判らない、もしくは判りにくいようになっている。
いや、あえてそうしているように見受けられる。
何故そう思ったかというと、話数が進んでから以前の話を再視聴することで全く違う見方が出来てしまったからだ。
初見では見過ごしていた瞳孔の広がり(勿論アニメ的な表現であるが)や不思議な視線の意味が『判る』。
『語られないもの』、つまり『秘密』であり『真実』であるものが見えてくる。
客観的に指摘できる《伏線》ではなく、受け手の主観で認識されるものであるため、それを『語る』ことは難しい。
そんな仕掛けを施した構成は視聴者を選ぶ。
なるほどゴールデンタイムではなく大人向けの深夜に放送するはずだ。
しかし・・・こんな事をするはよほど表情の作画に自信がなければできない。
製作スタッフは演出サイドから酷い目にあっているんじゃないだろうか(あせ。
今夜の14話は原作ではメインストーリーから外れたショートショート(スピンオフ)を元にしたものらしい。
少ない尺の中で全体構成から意味のないものを入れる余裕はないはず。
なので全体構成的に意味のある話に再構成されていると思う。
手がかりは前回の予告の台詞「ずっと俺のターン」。
この手の遊戯王ネタは原作6巻でも使用されている。
私はここから今夜の放送では6巻の一部を組み込んでくるのではと推測している。
さて結果は如何に?
2008年の大晦日は奥華子さんのカウントダウンライブはなさそうなのでゆったりとした大晦日を迎えた。
とはいえ、色々細々したことをしたり、読みかけの本を読んだり、撮り溜め処理をしていたりしていたら、あっと言う間に23時を過ぎていた。
風呂を沸かす。
年を越して風呂に入る。
湯船に使っていると池上本門寺のだろうか?鐘の音が聞こえる。
トンツクトンツクという音は初詣の門徒衆が鳴らす音?
昼過ぎ。帰省の準備。
少し頭痛がするが、熱はない。
ここで挫けると帰る気を失う。
今回の帰省は今日帰らないと意味がない。
15時に家を出て池上駅に。
初詣客で駅はにぎわっていた。
上野駅で手土産のお菓子を買って高崎線に。
小林めぐみの「回帰祭」を読みながら。
高崎駅についてmixiを覗くと日記に沢山のレスが。
2回に分けてお返事することに。
1つ目は前橋駅に着く前に送れた。
前橋駅からけやき通りを通って中央前橋駅に。
道の途中にあった昔お世話になったカメラ屋が無くなり、飲み屋になっていた。
上毛電鉄の車両の中は桐生第一高校美術部の作品が展示されていた。
う~む、見事にアレなイラストばかり・・・
心臓血管センター駅に着く前に2つ目のレスを送れた。
失敗した。手袋を持ってこなかった。
子供の頃はオオバコが植える野道だった舗装道を歩く。
人は良い生活を求め、壊し、造ってゆく。
村の鎮守様である神社にちょっと寄って初詣。
19時に実家に到着。
既に4人揃っていた。
弟夫婦揃って初めて5人での正月。
ケンミン番組を観ながら、食卓を囲む。
NHKの携帯大喜利を観る。
この深夜ラジオ乗りはどうだろう。
常連「ライチンゲール」ネタで大笑い。
部屋に戻り、「回帰祭」を読み終えた。
う~ん、なんだこのオチは。
ハヤカワJA、やばいかも。
眼精疲労の為か、目が痛い。
そろそろ眼鏡の度が合わなくなってきたのか。
眼鏡の換え時かも。
18時20分前橋発、快速アーバン上野行に乗っている。
荷物棚には前橋駅の前橋物産館広瀬川で購入した福袋が。
とはいえ、色々細々したことをしたり、読みかけの本を読んだり、撮り溜め処理をしていたりしていたら、あっと言う間に23時を過ぎていた。
風呂を沸かす。
年を越して風呂に入る。
湯船に使っていると池上本門寺のだろうか?鐘の音が聞こえる。
トンツクトンツクという音は初詣の門徒衆が鳴らす音?
昼過ぎ。帰省の準備。
少し頭痛がするが、熱はない。
ここで挫けると帰る気を失う。
今回の帰省は今日帰らないと意味がない。
15時に家を出て池上駅に。
初詣客で駅はにぎわっていた。
上野駅で手土産のお菓子を買って高崎線に。
小林めぐみの「回帰祭」を読みながら。
高崎駅についてmixiを覗くと日記に沢山のレスが。
2回に分けてお返事することに。
1つ目は前橋駅に着く前に送れた。
前橋駅からけやき通りを通って中央前橋駅に。
道の途中にあった昔お世話になったカメラ屋が無くなり、飲み屋になっていた。
上毛電鉄の車両の中は桐生第一高校美術部の作品が展示されていた。
う~む、見事にアレなイラストばかり・・・
心臓血管センター駅に着く前に2つ目のレスを送れた。
失敗した。手袋を持ってこなかった。
子供の頃はオオバコが植える野道だった舗装道を歩く。
人は良い生活を求め、壊し、造ってゆく。
村の鎮守様である神社にちょっと寄って初詣。
19時に実家に到着。
既に4人揃っていた。
弟夫婦揃って初めて5人での正月。
ケンミン番組を観ながら、食卓を囲む。
NHKの携帯大喜利を観る。
この深夜ラジオ乗りはどうだろう。
常連「ライチンゲール」ネタで大笑い。
部屋に戻り、「回帰祭」を読み終えた。
う~ん、なんだこのオチは。
ハヤカワJA、やばいかも。
眼精疲労の為か、目が痛い。
そろそろ眼鏡の度が合わなくなってきたのか。
眼鏡の換え時かも。
18時20分前橋発、快速アーバン上野行に乗っている。
荷物棚には前橋駅の前橋物産館広瀬川で購入した福袋が。
これからUSIT研究会に出席するためにソニー本社に赴くのだが、入場するにあたり事前登録してセキュリティナンバーを発行してもらう必要があった。
そこに、同姓同名とまでは行かないが漢字4文字のうち最後の1文字しか違わないという人が参加申し込みメールを研究会メンバー全員に送付してしまった。
研修会開催通知のメールに単純に返信してしまったらしいが、個人情報も送るので幹事役に直接参加申し込みメールを送る手はずだった。
実際、その人以外からは返信メールは届いていない。
後日、MLで回ってきたリストには私の名前しかなかった。
はて?似た名前の人はキャンセルしたのだろうか?
・・・でもやっぱり、幹事側が勘違いしている可能性が高いよな~
ということで事前登録役の方に確認依頼のメールを送ってみた。
やはり同一人物だと勘違いされていたようだ。
これで参加希望者全員が入室できる。
今回は似た名前の人が全員送付のメールを間違って送ってしまったから気がついた。
もし幹事役のみに直接送っていたら・・・受付で一悶着起きていたかも。
逆に自分の名前がなくて、似た人の名前のみリストに載っていて「名前の打ち間違えだな」と思っていたかも・・・と思うとちょっと冷や汗。
その後・・・
無事に約束に時間前に到着。
コクヨからソニー本社に向かう道を歩くと、真正面にタイトアップされた東京タワーが見えてとてもキレイだった。
そこに、同姓同名とまでは行かないが漢字4文字のうち最後の1文字しか違わないという人が参加申し込みメールを研究会メンバー全員に送付してしまった。
研修会開催通知のメールに単純に返信してしまったらしいが、個人情報も送るので幹事役に直接参加申し込みメールを送る手はずだった。
実際、その人以外からは返信メールは届いていない。
後日、MLで回ってきたリストには私の名前しかなかった。
はて?似た名前の人はキャンセルしたのだろうか?
・・・でもやっぱり、幹事側が勘違いしている可能性が高いよな~
ということで事前登録役の方に確認依頼のメールを送ってみた。
やはり同一人物だと勘違いされていたようだ。
これで参加希望者全員が入室できる。
今回は似た名前の人が全員送付のメールを間違って送ってしまったから気がついた。
もし幹事役のみに直接送っていたら・・・受付で一悶着起きていたかも。
逆に自分の名前がなくて、似た人の名前のみリストに載っていて「名前の打ち間違えだな」と思っていたかも・・・と思うとちょっと冷や汗。
その後・・・
無事に約束に時間前に到着。
コクヨからソニー本社に向かう道を歩くと、真正面にタイトアップされた東京タワーが見えてとてもキレイだった。
とらドラ!:オブラートに包まれているのこと。
2008年12月18日 アニメ・マンガ惹句には「超弩級のドタバタ学園ラブコメ! 凶悪!わがまま!・・・だけどドジ。」とある。
私にはこの惹句そのものがオブラート、もしくは手品のトリックのような気がしてならない。
惹句が表す<設定>は苦い薬を飲ませるもの、注意を逸らさせるもの、本質を覆い隠すもの。
同じようなアクセントを意図的につけるトリックは彼らの描写にも用いられている。
だからパッと見、竜児を「目つきが凶悪。でも家事全般が得意。」なだけのキャラ、大河を「見た目は妖精のような美少女。でも性格が横暴、行動がドジ。」なだけのキャラだと受け止められる。
確かにそれだけ取り上げれば、両者共によく見るドタバタラブコメに相応しいキャラだろう。
しかし1巻の内容をきちんと読み取ると別の面が浮き上がる。
竜児:
母子家庭に育つ。
家庭内では家事全般を受け持ち、家族間では精神的母親役を受け持つ。
見た目と違い、『いいこ』。
まるで言葉が判るような(逆に言えば、決して会話が成立しない)インコを家族とする。
大河:
両親に精神的に捨てられている。
家事全般が何も出来ない子供。
「凶悪さ」の『ペルソナ』を付けている。
「人形の家」のような部屋に独り住む。
つまり、二人とも機能不全な家庭の日々を生き延びてきている。
そんな彼らの関係は一見すぐに良好になっても、関係が深まれば深まるほど難しいものになるだろう。
「竜と虎」という関係を維持発展させるために、互いに個々が抱える問題を解決していかなければならない。
解決のその先で、竜は竜であることをやめ、虎は虎であることをやめ、人間として出会えるのではないだろうか。
私にはこの惹句そのものがオブラート、もしくは手品のトリックのような気がしてならない。
惹句が表す<設定>は苦い薬を飲ませるもの、注意を逸らさせるもの、本質を覆い隠すもの。
同じようなアクセントを意図的につけるトリックは彼らの描写にも用いられている。
だからパッと見、竜児を「目つきが凶悪。でも家事全般が得意。」なだけのキャラ、大河を「見た目は妖精のような美少女。でも性格が横暴、行動がドジ。」なだけのキャラだと受け止められる。
確かにそれだけ取り上げれば、両者共によく見るドタバタラブコメに相応しいキャラだろう。
しかし1巻の内容をきちんと読み取ると別の面が浮き上がる。
竜児:
母子家庭に育つ。
家庭内では家事全般を受け持ち、家族間では精神的母親役を受け持つ。
見た目と違い、『いいこ』。
まるで言葉が判るような(逆に言えば、決して会話が成立しない)インコを家族とする。
大河:
両親に精神的に捨てられている。
家事全般が何も出来ない子供。
「凶悪さ」の『ペルソナ』を付けている。
「人形の家」のような部屋に独り住む。
つまり、二人とも機能不全な家庭の日々を生き延びてきている。
そんな彼らの関係は一見すぐに良好になっても、関係が深まれば深まるほど難しいものになるだろう。
「竜と虎」という関係を維持発展させるために、互いに個々が抱える問題を解決していかなければならない。
解決のその先で、竜は竜であることをやめ、虎は虎であることをやめ、人間として出会えるのではないだろうか。