今日は風が強かった。しかし、風自体はそれほど冷たくない。
 桜咲く公園では花びらが風に舞っていた。風の精霊が花びらで遊んでいるかのよう。

 大学の「写真部」の後輩からメールが来た。後輩と言っても昨年卒業したOGなのだが。
「今年の10月上旬か中旬にOB/OG展を開きたい」とのこと。参加の可否の問い合わせだった。

 ここの写真部は毎年現役を含めたOB/OG会を開いている。現役はここで学祭の模擬店資金をOB/OGから投資してもらい、これと自己資本によって材料などを買って商売する。経常利益によって打ち上げの宴会が催される。経常利益に相応しい宴会を行うため、出資者(投資したOB/OGと現役)は無料で参加できる。このシステムが長く続いているために、未だに現役とOB/OGとの繋がりは強い。
 私が所属していたときは写真部は男性ばかりで、そんなところに入部する女性は個性的な人ばかりだった。私が大学を離れてから、レンズ付きフィルムの爆発的普及と取り扱いやすいオートフォーカスカメラの発売、そして「写真を撮る」こと自体が知的でおしゃれななものだという認識が広まることにより、女性部員が急激に増えた。中には単なるファンションという認識にしか至らず、写真の面白さを理解する前に消える部員もいた。最もそれは男性でも変わらないが。
 モノクロ写真が主の活動。もちろん、フィルムの現像、キャビネや全紙への引き延ばしなどの暗室活動も。焼きの作業は快楽だ。橙色のランプに照らされた中、現像したフィルムをケースに挟み、引き延ばし機にセットする。印画紙の号数を選び、ピントを合わせ、トリミングしたりフォギーを掛けたりしながら露光する。露光した印画紙を現像液に漬け・・・像がぼんやりと、そして次第にハッキリと浮かび上がってきた瞬間!
 この快楽を知ってしまうと、止められなくなる。偶然と必然がブレンドされた創造の楽しさ。

 しかし、私は二度目の卒展の後、ほとんどカメラを触らなくなっていた。大量に保管しているフィルムの保証期限だけが過ぎ去ってゆく。理由は簡単だ、撮りたいものが何だか判らなくなったのだ。カメラを持って出歩くことが減ったために、ますます撮る意欲がなくなってゆく。
 また、「撮影者」に対して思うことがあった。「撮影者は主体足りえるのか?」 そんな考えが芽生え始めたのは、写真部入部早々のある出来事がきっかけだった。
 写真部OB/OG会に出席したり、学祭に遊びに出掛けたりと繋がりと保ち続けているにも関わらず、以降撮影したものは全紙に引き延ばしたいようなものは1つもなかった。

 が、そのような迷いに浸っているのもそろそろ止めにしたい。”扉を開けて”次の世界に入ろう。
> 1.0B展に参加する意志はありますか?
   現在、まともに撮影したものはないが、参加したい。
> 2.参加するとしたら、何点くらい出せますか?
   大きな事は言えないので、1〜2点ほどとしておきたい。
> 3.今後、写真展・グループ展をするときに参加呼びかけの連絡が欲しいですか?
   是非、連絡をください。
 と、返してみた。ダイスは投げられた。ファンブルするか、クリティカルするか、それとも・・・。


 新年度。久々にスーツを着て出社を試みる。いきなり、トラブル発生。
JR川崎駅についたところ、「8時15分頃、田町駅で人身事故発生」の報を受ける。
急いで京急川崎駅に。9時から社長挨拶。間に合わないのはヤバイ。
大股で歩いたお陰か、まだ横浜方面からの乗り入れが少なかったのか、普通の寿司詰め状態で済んだ。乗り込んだのが特急だったため、京急蒲田駅まで一駅だったので助かった。
 事故による影響で、京浜東北線、山手線、東海道本線までも止まったらしく、山手線で監禁状態となって遅刻せざるを得ない人もいたそうだ。新年度はじめからなんとも。

 ・・・と書くのが普通の日記。
 遅れた、遅刻した、酷い寿司詰めにあった人にとって、当事者のことなど迷惑の元凶でしかない。残念ながら、そこに想像力はない。「全くよぉ」「またかよ」
 警察署にある「今日の交通事故 死者 1名」の掲示板。「あ、今日は一人しか死んでないんだぁ」
 そんなのよくあること。気にしたって仕方ない。気にしてなんかいられないよ。そういうものなんだから。もう慣れたよ。
 そういう雰囲気に包み込まれた時、ボクはそっとある歌を口ずさむ。
 「『仕方ない』 『仕方ない』 そんな言葉を 覚えるために 産まれてきたの?」
そんな風に口ずさむ資格など無いくせに。京急川崎駅に向かいながら「これはネタになるな」と思う矮小さ。

 駅員さん、一度くらい言ってみて、「お客様に置かれましては・・・黙祷をお願い致します」と。



 予定では、午前中に引っ越し作業の続きをする・・・はずだった・・・(涙)。

 昨日の寒さはなんだったのだろう。知人の話では八王子周辺では雪が降ったという。もっと南の方でも降ったらしい。そのころ、こちらは雨だった。夜は晴れ渡り、東京らしからぬほど月が綺麗だった。
 ともかく、今日は絶好のお花見日和。絶好のお花見日和に井の頭公園なんぞに行ったらどうなるか判るだろう。めちゃくちゃな人混みだった。少なくとも吉祥寺駅から公園までの道のりは神宮の初詣の如きの人混み。這々の体で集合場所の野外ステージ前に出るも、そこは歩く場所がない程シートが張られ、酔っぱらいが跋扈している。ここでストリートライブはできないだろう。
 ここまで来たのは、キルシェというユニットのストリートライブを見るためだった。お花見もできるかと思い、種ともこMLの人に呼びかけたり、「ぱぶりか」関係の人にも声を掛けておいていた。だが、これでは・・・。
 16時集合であったが、キルシェのメンバーは現れない。まあ、そうだよなぁ。この人混みではなぁ。彼らが現れたが、結局ここで行うのは断念。約束の地を求めて一旦公園を出る40名弱(驚!)。このとき種ともこMLの人達とは合流していたのだけれど、ぱぶりか関係の人達とは合流できていなかった。携帯で連絡するが、彼女達も知人のバンドが17:30からあり、それを見るために時間がないらしい。ちょっと聴いてみてもらいたかったが無理強いはできない。今回は諦めた。
 キルシェのみとせさんに連れられて、流浪の民は管理センター(だったよな)よりも奥、桜も何も無いところにやってきた。流石に人はいない。ここは彼らにとって思い出の地らしい。以前も回りに迷惑にならないから、ここで歌っていたとのこと。
 いそいそと準備が進められる。途中で合流した、サポートメンバーも含め、このストリートライブの参加者(演奏者+観客)は40名を越えていた。すでに地面にシートを敷いて、席を確保している人も。私も花見用に持ってきていたシートを取り出して敷いた。一人では広いので、左右のお隣さんにも座席を勧める。準備完了。
 今回の編成はキルシェの二人(ギターとボーカル)、ヴァイオリン、アコーディオンそしてパーカッション。フルメンバーとは言えないが、ほとんどいつものメンバー構成だ。
 歌は武蔵野の森の面影が残る木々に吸い込まれていった。少し寒かったが、幸福な時間だった。それはあの場にいた全ての人が共有した思いだろう。

 キルシェのサイトはこちら->[リンク]

 終演は18:00。嬉しいことに第二部も行うという。第二部は場所を変えて、吉祥寺駅南口バスロータリー(駅前広場というのか)周辺。時間は20時から。
 私は悩んでいた。行きたいところが3つあることに気がついたからだ。

 1つは幡ヶ谷にある馴染みの居酒屋で行われる「純米酒呑み比べライブ」。非常に魅力的だ。問題は、そんなところに行ったら潰れるのが決まっているということだ。翌日は年度始め、やばいだろう。
 もう1つはぱぷりか関係がすでに行っているライブ。合流できていれば、先日お世話になった人に挨拶したり、髪を金に染めた人の頭を拝んでみたりできたのだが・・・というのもあるが、そのライブイベント自体面白そう。
 最後はキルシェの第二部。当分、ライブハウスでライブを行う予定のない彼ら。これを聞き逃すと次に生音が聞けるのはいつのことやら。私にとって価値のある機会。

 冷えすぎた体が選択してくれた。体調芳しくない。こんなときに深酒はやばかろう。缶コーヒーで必死に体を温めながら決定を下した。
 ライブ会場はシルバーエレファント。イベントで一番聞きたいバンドはプリティ・エンヂェルス。え、もう終わってる?ぐふぅ・・・。まあいいや。ドリンクバーでメニューを見る。アルコール系はビール、カクテルあとは水割り。あまり水物を飲みたくなかったので、「I・W・ハーパー。水割りじゃなくて(水なしでいいという意味で)、ストレートで」と注文。水割りで入れる量だから、ショットグラスに1フィンガー程度だろうと踏んでいた。出てきたのは・・・ショットグラスになみなみと琥珀色の液体が。「!!!」
 明らかに勘違いしている。「多すぎるんじゃないの?」と言ってやってもいいが、覆水盆に帰らず、戻しても瓶に入れられるわけもないから捨てるだけだろう。勿体無い(ォ。
 数分後、グラス片手に「戦っている」私がいた。ライブの盛りあがりとは関係無く。
ライブそのものは充実していた。私が聞けたのは2バンドだったが、客を惹きつけ楽しませる実力はあった。これで1000円(ドリンク代別)は安い。ドリンク代はもっと安い(爆)。結局、イベントが終わるまで、1時間の間に呑みきることは出来なかった。1/3は残したのではないだろうか。無念。呑みやすいようにと氷を頂いたのに・・・だから嵩が増えたという話もあり。
 打ち上げにも参加したかったが、その場を離れた。次の目的地は・・・そう、駅前ロータリー。時間は20:30。もう始まっている。「呑んでの小走りは危ないよ」と自分に突っ込みつつ、小走りした。
 ロータリーに近づくと、駅ビル向かいの商店街へ向かう信号を渡ったすぐ、富士銀行近くの角に人だかりがあった。五月蠅いカラオケボックスの呼び込みの声の脇で彼らは唄っていた。昼間の静かな場所でのボリュームのままなのか、それとも周囲に配慮してなのか、アンプを通してもみとせさんの声はここでは大きくはない。それはまるで街中では精霊力が少ないことを示すよう・・・というのは無理矢理か。
 昼間の観客が20名近く残っていた。座り込んで浸っているもの、立ちながら曲に身体を揺らしているもの。思い思いに楽しんでいる。私も先程の試練のお陰か、自然に体を揺らし、手を叩きながら、この空間を楽しんだ。街角ライブは21:30に終了した。


 引越し作業中。
よく「本棚」を見れば、そのひとが判るという。引越し作業のついでに本棚に入っていた書籍名を羅列してみる。漫画や小説、そして一部の実用書以外はPBMのために漁ったものだ。

西平直喜「シリーズ人間の発達4 成人になること 成育史心理学から」東京大学出版会
杉田峰康「人生ドラマの自己分析 交流分析の実際」創元社
日本ユングクラブ「プシケー 特集 攻撃性」新曜社
アンソニー・ストー「孤独 自己への回帰」創元社
河合隼雄「人の心はどこまでわかるか」講談社
別冊宝島編集部 編「精神病を知る本」宝島社
春日武彦「不幸になりたがる人達 自虐指向と破滅願望」文藝春秋
香山リカ・町澤静夫・大澤真幸「心はどこへ行こうとしているか クロス・トーク!社会学vs精神医学」マガジンハウス
岩崎正人「ラブ・アディクション 恋愛依存症」五月書房
山田昌弘「パラサイト・シングルの時代」筑摩書房
斎藤学 編「現代のエスプリ トラウマとアダルト・チルドレン」至文社
斎藤学「封印された叫び 心的外傷と記憶」講談社
斎藤学「『自分のために生きていける』ということ 寂しくて、退屈な人たちへ」
信田さよ子「依存症」文藝春秋
スーザン・フォワード「毒になる親」毎日新聞社
山口遼子「セクシャルアヴューズ 家族に壊される子どもたち」毎日新聞社
斎藤学「インナーマザーは支配する 侵入する『お母さん』は危ない」新講社
クラウディア・アペコ「フェミニズムとアディクション 共依存セラピーを見直す」日本評論社
テレンス・リアル「男はプライドの生きものだから」講談社
山脇由貴子「子育てをしない男には女のスゴサがわからない」ポプラ社
伊藤公雄「男性学入門」作品社
エーリッヒ・フロム「愛と性と母権制」新評論
E・バダンデール「母性という神話」筑摩書房
柏木惠子+高梁惠子 編「発達心理学とフェミニズム」ミネルヴァ書房
ジュディス・ヴァン・ヘリック「フロイトにおけるジェンダーと宗教」三交社
小倉千加子「セックス神話解体新書」筑摩書房
上野千鶴子「対話篇 性愛論」川出書房新社
上野千鶴子 編「キャンパス性差別事情 ストップ・ザ・アカハラ」三省堂
遙洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」筑摩書房
浪藝祐加「男は終わった TRANSPERSONAL FEMINISM」たま出版
中島梓「コミュニケーション不全症候群」筑摩書房
宮台真司 編「<性の自己決定>原論 援助交際・売買春・子どもの性」紀伊國屋書店

小谷真理「聖母エヴァンゲリオン」マガジンハウス
八本正幸「世界の果てのアニメ」青弓社
大瀧啓裕「エヴァンゲリオンの夢 使徒進化論の幻影」東京創元社

セーレン・キェルケゴール「死に至る病」岩波書店
アーサー・カプラン「生命の尊厳とはなにか 医療の奇跡と生命倫理をめぐる論争」青土社
別冊宝島44「わかりたいあなたのための現代思想・入門」宝島社
高田明典「知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門」夏目書房
東浩紀「郵便的不安たち」朝日新聞社
ニーチェ「この人を見よ」岩波書店
マルティン・ハイデッガー「形而上学入門」平凡社
E・レヴィナス「実存から実存者へ」講談社
中島義道「哲学者とは何か」筑摩書房
永井均「<子ども>のための哲学」講談社
西尾幹二「人生の価値について」新潮社
セーレン・キェルケゴール「不安の概念」岩波書店
セーレン・キェルケゴール「反復」岩波書店
セーレン・キェルケゴール「現代の批判」岩波書店
工藤綏夫「人と思想19 キルケゴール」清水書院
大屋憲一+細谷昌志 編「キェルケゴールを学ぶ人のために」世界思想社
T・W・アドルノ「キルケゴール 美的なものの構築」みすず書房
V・E・フランクル「死と愛 実存分析入門」みすず書房
V・E・フランクル「宿命を越えて、自己を越えて」春秋社
V・E・フランクル「それでも人生にイエスと言う」春秋社
V・E・フランクル「フランクル回想録 20世紀を生きて」春秋社
山田邦男「生きる意味への問い V.E.フランクルを巡って」佼成出版社
斉藤啓一「フランクルに学ぶ 生きる意味を発見する30章」日本教文社
エーリッヒ・フロム「愛するということ THE ART OF LOVING」紀伊國屋書店
ハビエル・ガラルダ「自己愛と献身 愛するという意味」講談社
加藤尚武「現代倫理学入門」講談社
小浜逸郎「なぜ人を殺してはいけないのか 新しい倫理学のために」洋泉社

W・E・ホーダーン「現代キリスト教神学入門」日本基督教団出版局
小田垣雅也「現代のキリスト教」講談社
小嶋潤「新約聖書名言集」講談社
M・エックハルト「神の慰めの書」講談社
北森嘉蔵「聖書の読み方」講談社
友松圓諦「法句経」講談社
里道徳雄「臨済録 禅の真髄」NHK出版
「ブックス・エソテリカ3 禅の本」学習研究社
阿満利麿「人はなぜ宗教を必要とするのか」筑摩書房
小室直樹「日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか」徳間書店

別冊歴史読本 編「現代武道全書」新人物往来社
養老孟司+甲野義紀「古武術の発見 日本人にとって『身体』とは何か」光文社
中嶋洋介「交渉力」講談社
江坂彰・半藤一利「撤退戦の研究 日本人はなぜ同じ失敗を繰り返すのか」光文社
巌本義治「新訂 海舟座談」岩波書店
渡辺勝正「真相・杉原ビザ」大正出版
呉善花「スカートの風」角川書店
呉善花「続・スカートの風」角川書店
小林よしのり「台湾論」小学館

村松健「旅の空のソリチュード」大和出版
上野茂都「ふとんのきもち」シマモトケイインナープロジェクト
「愛のことば」岩波書店
冒険企画局 編「女の子だってRPGしたいんだもん!」富士見書房
霜月たけなか 編「ドキュメント・ボトムズ」三一書房
島本紀夫「小さな美術館 ルイ・イカール」河出書房新社
熊崎俊太郎「もう迷わない紅茶の本」旺文社
大野裕明「見ておもしろい星雲・星団案内」誠文堂新光社

武田米生+市川雄一郎 編「はじめての資産運用」日本経済新聞社
青木雄二「まんが勝ち逃げ資本論」光文社
海外投資を楽しむ会 編「ゴミ投資家のための人生設計入門」メディアワークス

「広辞苑 第三版」岩波書店
「新字源」角川書店
「リーダーズ英和辞典」研究社

小説
篠田真由美「彼方より」講談社
井上靖「星と祭」角川書店
ヒュー・ロフティング作/井伏鱒二訳「ドリトル先生航海記」岩波書店

漫画
榛野なな恵「Papa told me」集英社
小山田いく「すくらっぷ・ブック」秋田書店
小山田いく「ぶるうピーター」秋田書店
山田圭子「だから牡丹が好きやねん」秋田書店
紫堂恭子「辺境警備」角川書店
山田南平「紅茶王子」白泉社
三浦建太郎「ベルセルク」白泉社
平野耕太「ヘルシング」少年画報社

 ・・・ダメじゃん<俺


 予想通り、展開した本を読み出してしまい作業は全然はかどらず。明日はお花見とライブを見る予定。はっはっはっ・・・(爆)


 今日は年度末最終日。
定年を迎えた方、早期退職制度を利用された方の最後の挨拶。


 今日の14時頃の天候は不思議で個人的に印象深いものだった。
上空に厚くて暗い雲が覆い被さっていた。しかし遠方、地平線・水平線方向は雲の層が薄いのか雲がオレンジ色に輝いている。奇妙な夕焼けの光景だった。
 この光景、見覚えがある。トルコで見た皆既日食時の光景に似ていることに気が付いた。フラッシュバック・・・


 大学のときの「天文部」の仲間が今年ある皆既日食ツアーに参加する。私は金銭的な事情で今回断念した。ツアー価格設定時から円安に振れていることも考慮すると、おみやげなど含めて100万近く掛かってしまうだろう。とても無理。皆既時間5分というのはとても魅力的だが・・・。またトルコのシヴァス周辺で見られるときに出掛けたいものだ。


 この日記の説明に「人生はRPGみたいな云々」とあるが、このRPGについて少々。
RPG・・・この言葉を目にした大概の人はドラクエやFFなどのスタンドアローン型コンピュータRPG、もしくはネットワーク型コンピュータRPGのいずれかを想起するのではないだろうか。
 このジャンルは最初からコンピュータゲームとして始まったわけではない。その起源は人生ゲームや将棋のようなボートゲームに求められる。将棋の歩は将棋というゲームでは駒の1つでしかない。逆に言えば、システム上、駒の1つでなければならない。この無名の、群体を構成するものの一部として存在していた駒に「名」を与えることで全てが始まった。「名前」とは何か?アイデンティティ論に「名前アイデンティティ」というタームがあるように、「名前」はその「個」を表す。「名前」こそがその「個」を保証する。
 駒に「名前」という「言葉」が与えられて、駒はただの駒では無くなった。駒は「命」を持つようになった。「泳げ、たいやきくん」の悲劇はたいやきくんに「名前」がなかったからだ。たいやきくんに「矢井田清」とかいう名前があったなら、「オレはただのたいやきでしかない」という認識で終わりを迎えることはなかったろう。閑話休題・・・
 フットボールで興奮したものがボールを掴んで走り出してしまったことからラグビーが始まった(?)ように、駒であるものを単なる駒として扱わなくなったところからRPGは始まった。

 このRPGは運営システムによって3つに分けられている。コンピュータRPG(以下「CRPG」)、テーブルトークRPG(以下「TRPG」、そしてプレイバイメイルRPG(以下PBM)である。
 ここでいうCRPGはネットワーク型ではなく、プレイヤーが単独で遊ぶスタンドアローン型を示している。ドラクエやFFなどがここに当てはまる。UOもどちらかといえば、システム的にはこちらに含まれると思われる。
 TRPGはコンピュータソフトの機能(状況設定、行動判定など)と問題解決役をそれぞれプレイヤー別れて、言葉と乱数を用いて行う一種のシミュレーションゲームである。会話でゲームを進めるため、コンピュータ役とキャラクター役のプレイヤーはテーブルでトークができるぐらいの人数で行われる。PSOのようなプレイヤーがパーティを組めるネットワーク型もここに含んでもよいと思う。
 最後のPBMであるが、現在主流をなすシステムでは、コンピュータ役と問題解決役が少数(1〜3):多数(5〜200〜)で行われており、情報量に限界のある文章を用いて行われる。ゲームの出力が無尽蔵でないところに特徴があり、出力資源の配分がプレイヤーの満足度に関わってくる。連載小説の登場シーンと活躍の程度をプレイヤーが競い合うようなゲームといったら語弊があるだろうか。
 例外を無視すると、CRPGは(個人・一部制限)。TRPGは(集団・無制限)。PBMは(集団・制限)というベクトルにある。この分類の(個人・無制限)はごっこ遊びに分類するのが相応しい。
 PBMについて、どうも良くわからないという貴兄には、こんな例はいかが?
運営会社発行の全体状況通達文章ー>新聞(例えば日経)
1ゲームユニットー>1投資信託
コンピュータ役ー>ファンドマネージャー
問題解決役ー>ファンド購入者
ちょっと厳しいが
運営会社発行の全体状況通達文章ー>マスコミ
1ゲームユニットー>日本
コンピュータ役ー>世間
問題解決役ー>国民
 思った以上に長くなるので、続きは後日に。


 さわかみファンドからレポートのメールが来た。



 日記を始めてから、不思議に想うことがある。なんでこんなに知人に会うのだろう。
別に仕掛けをしたわけでもない。ネタのために、行動選択に傾きを生じさせている「無謀+1」というスキルはあるが、人との出会いは「無謀+1」如きで生じることはない。
 そんなこんなで今日も長文が書けるほど、ネタが豊富な一日だった。2つのイベントがあったからだ。
 引越し準備として、NTTに連絡しなければならないとコアタイム上がりで出向いたところ「116」のことを思い出させてもらった。・・・情けない。
 会社に戻れるぐらい時間が空いたのだが、余りに情けなくて戻るのも忍びない。そこで、以前谷中の喫茶店「乱歩」で出会った綺朔ちいこさんの個展を見に行くことにした。谷中に出かけたのも町田久美さんというアーティストの個展を見に行ったため。この町田さんも上野茂都さんというライブもするアーティストの個展で知り合った人。そして上野茂人さんは・・・、まあいい、ともかく偶然の積み重ねによって私は雨脚の激しい銀座に出た。
 喫茶店で手渡されたDMの絵は、インパクトがあり、どこか惹かれる絵。そして、かなりヤバイ絵だった。それを見る前に彼女の人となりを喫茶店のマスターとの会話から推察していただけに、意外だった。
 帰宅後、銀座のギャラリーで個展をするぐらいだから、ネットで調べれば事前情報があるのではと調べてみた。Gooで検索。ヒット。自分、かなりヤバイ領域に入ろうとしているのでは?・・・と冷や汗。標本箱の蝶のように、定義というピンで止められたような「アングラ」ならいいのだが・・・。まだ、この辺りには防腐剤が効かない、はみ出しというかドロリとしたものを感じる。「乱歩」という言葉が持つ魔術的効果なのか。
 ギャラリーは銀座一丁目の奥野ビルの五階にあった。築何十年なのだろう、古めかしいビル。写真を撮りたくなる。別世界に紛れこんでしまったかのような感覚を味わいながら会場に付いた。8畳弱の部屋に30枚ほど絵が飾られている。作者本人とその知人二人がいた。「乱歩」で話をしたのを覚えてくれていた・・・と思ったら別の常連さんと間違われていた(苦笑)。
 彼女の絵は壊れたエロティシズムに溢れている。いや、エロティシズムが壊れた絵といった方が判りやすいだろうか?町田さんの作品もそうだが、確実に私とは違う世界を見ている・・・もしくは、世界を違う見方で見ていることを認識させる。私を不安にさせ、また引寄せる何か。熱を帯びた、でも寸での所で溢れ出るのを押さえつけている眼差し。・・・ヤバイなぁ・・・。入手したい気にさせる作品があったが、35K円を出すのはためらわれた。その余裕があるならば、先に町田さんのシルクスクリーンを確保しなければと私のスーパー勘定奉行が叱咤したからだ。
 綺朔さんから頂いたおせんべいを食べきったところで退出。面白い時間を過ごせた。

 次のイベントはザバダックというユニットのライブ。会場はZepp Tokyo。新橋で今回ご一緒する方と合流して、ゆりかもめに・・・トラブル発生。いえ、私ではなくゆりかもめが。新橋駅に到着した車両のドアが開かない。良く見ると停車位置がずれている。これが原因で開かない?素晴らしい自動制御だ。なかなかトホホなものを見せてくれる。
 ご一緒する方は現在私のお気に入りのインディーズバンド「ぱぶりか」のグルーピー仲間。「グルーピー」とはまた古い言葉だが、実情を最も的確に表しているのがこれだからしょうがない。そんなわけで彼女はあまりザバダックを知らない。でも音楽業界を4象限に分ければザバダックもパブリカも同じ象限にある。それなりに楽しんでもらえるはずだ。
 会場に着いた。まずは島根の友人に頼まれている物販だ。列の最後尾を探そうとしていたら・・・おんや?どこかで見たことがあるような・・・わ、何故彼女が?私が大学にいた時に関わっていたサークルの後輩だった。驚いて声を掛けたところ、劇団「キャラメルボックス」関係からチケットを購入して、単身やってきたとのこと。今が丁度春休みシーズンだから来れたということらしい。え?ご夫婦一緒じゃなくて独りで?え?一緒にいる人は彼女のサイトの常連さんとかじゃなく、会場で知り合った人達?・・・素晴らしい行動力に脱帽。そういえば、五島プラネタリウムで行われた生ザバネタリウムにも訪れたといっていたし・・・。事前に連絡もなく、本当に予想していなかった再会に驚いた。しかし、それよりも彼女にとってこのライブが生ザバネタリウム以外では初めてだという話に驚いた。あれだけのファンだからてっきり・・・。
 開演時間もあったので、我々も物販の列に並んだ。と、並んでいる人、並びに来る人に顔見知りが・・・。長くファンをしていると顔を覚えてしまう人も多い。それに「ざばうた友の会」という地域型ファン活動があるためになおさら。無事に開演前に約束の品を購入。
 私達の席は2列目5と6番。げ、スピーカーのまん前。多少、覚悟しといた方がよさそうだ。
 7時を少し過ぎての開演。最初の曲群はビートの効いたアップ系。すかしスクリーンにプロジェクターで文様を映し出している。奏者はその向こう側で演奏。私の位置からがメンバーが透けてみえていたが、後ろの席ではどうみえていたのだろうか。
曲目などの詳細は別のファンサイトに詳しくアップされるだろうから割愛。中盤で弾き語りモード。終盤は全員で、音も厚く。
今回もサポート陣、厚いですね〜。サポートキーボードの難波圭一さん、今年がプロ活動25周年だそうだ。APJというユニットでツアーもしていたらしい。ちなみにAはアコースティック、Pはプログレッシヴ、そしてJはジャズという意味らしい。
 感想ですか?休まない翼・光の庭で・Tears・永遠の森が聴けたのでもう十分満足です。新曲もありましたね。劇団キャラメルボックスの「風を継ぐ者」再演のエンディングテーマに使われる、「駆け抜ける風のように」。
 ザバダックを知らないお隣の彼女も楽しめて頂けた様子。単身やってきた後輩も十分満足したライブだったのでは。「ひたすら感動しつづけてた」に1000カノッサ。確認はできなかった。彼女の携帯の番号を確認していなかったのが敗因。終演後、探したが合流は失敗した。せっかくやってきたのに・・・残念。
 で、普段ならこれでもうお仕舞いだが、この一週間は違います。
 アンケートを書くためによい場所を物色中、どこかで見かけたような女性を発見。賭けで声を掛けてみると・・・やっぱり知人だった。ゲーム関係の知り合い。そう言えば、ザバダックのファンだった。予想していなかった再会第2段。

 行きのゆりかもめのトラブル発生場面の目撃は私を早く新橋に向かわせた。車中でザバダックのライブの感想を聞いたり、お花見のことを話したり・・・。そのまま新橋で軽く飲むことに。飛びこんだのはいかにも新橋らしいサラリーマン御用達って感じの居酒屋。酔心の生酒1合、鶏わさ、まぐろぬた、新じゃが煮。思ったよりも高めのお店だった。でも雰囲気は味があった。

 そうそう、ヴァイオリンの太田さんは決して帰化された方ではないですからね(^_^;;

 昨夜、ネット散策中に事件があり、ほとんど徹夜してしまい、定時過ぎると反動が来たのか、疲れがどっと出てヘロヘロになってしまった。今日こそ早く帰って寝るぞ・・・と会社をでて歩き出してから、携帯に着信が入っているのに気が付く。先週、日曜日に起こしてくれたチャット仲間からだった。そういえば彼女、韓国旅行に行ったお土産があるといっていたなぁ、周りに配れども配れども減らない大量のキムチが冷蔵庫を占拠し続けているとも。
 そんな訳で荻窪までお土産を貰いに行った。今思えば何も持参なしに行った自分は図太いというか・・・(汗)。
 部屋に上がって、宿主と共に、どこからか立ち上る煙の出所を見つけた後、料理担当と一緒に流しに溜まった皿洗い。おや?自分はお土産を頂きに来ただけのはずが、夕食も頂くことに。食前酒(?)に甘いお酒、タケノコの炊き込みご飯、たらの芽とふきのとうのお浸し、ブラックマッシュルームのバター炒め、豚肉のキムチ炒め、オクラ、カクテキ、デザートにジャンボフルーティ、締めに「九*紅梅」という中国産の紅茶。・・・ふぅ、ごちそうさまでございました。「グランディーク」というアニメOVAを見たら、もう帰宅の時間。
 食事とビデオのためにあまり話はしなかったか?皿洗い中に西荻窪の珈琲職人というコーヒー専門店のイベントで見たという大食漢な女性(うむ、難しい表現だ)の話を聞いたな。彼女もちっこい割に大食らいなのだが、その女性はもう大の男共を黙らせるほどの大食らいだったらしい。細い体でステーキ10人前を平らげそれ以外の皿物も食らいつくし、さらに追加注文をしたという・・・、TVチャンピオンに出られるんじゃないのか?
 麻布のクリニックによく行っているとのことで、ここ最近麻布の店に詳しくなっているらしい。これは、皆で「怪しい麻布探索オフ」を企画すべきかな。
 帰り際、韓国土産として帽子にカクテキ、それ以外にも乾麺の蕎麦(?)そして宿主が「怪しいものをあげやう」と探し出してきたイチョウの葉の粉末。お茶などに混ぜてのむと血流の流れがよくなるらしい・・・。あの、すごい怪しいんですが・・・。
 とにかく色々頂いてしまった。以前お邪魔したときも質のよい茶葉など頂いている。身一つで訪問する俺って最低・・・(沈)。
 楽しい話に美味しい食事、そして沢山のお土産を頂いて・・・彼女に先日の電話の話題の彼について尋ねることができなかった・・・。うーむ。気になっているのだが・・・(沈)。無理に聞き出すことではないのだろう。

 大学のとき、数多く掛け持ちしていたサークルの1つ「SF研」の知人と3人で川崎の「成喜」という中華料理屋で飲んだ。先輩が長野から出張に出てきたのでそれを迎撃するため。お互い、第一声は「変わってないな〜」だった(沈)。喜んで良いのか?
 私は幹事役の友人が中華料理屋を飲みの場所に選んだことに驚いた。何故なら、我々には忘れることが出来ない、忘れるはずが無い「ココロの中華料理店」があるからだ。その店の名は「老広東料理店」。今は無い。我々の心の中にしか。語りたいことは山ほどあるが、今はその時ではない。只、「老の前に老はなく、老の後に老はない」、「東京には老広東がない」という言葉が元ネタと同じ重みで語られている事を記そう。
 ともかく、その様な大きなものを抱えている同志である彼が中華料理店を選ぶとは一体どんな思惑があるのかと首を捻りながら、彼の後をついて行った。シネチッタへ向かう道の脇道に入ると「成喜」という看板があった。この名前、彼のあだ名に呼応するものがある。もしや・・・ここが目的地であった。「こいつ・・・名前だけで選びやがったな?!」と問い詰めると「し、知らなかった〜」。本人も突っ込まれて初めて気が付いたらしい。
 店は10テーブルほどの広さ。我々はティンダロスの猟犬の如く角のテーブルに陣取った。まずはビール。いきなりピッチャーを頼むがそれも良かろう。餃子15個、盛り合わせ3品、カシューナッツの炒め物、豚の炒め物、ちんげん菜のクリーム煮、八宝菜おこげ、卵スープなどが我々の胃袋に適宜納められた。ここは昔、和食の店だったらしい、それが中華料理店に転向したのだという。話を聞いた時に、階段を降りてくる和服姿のおかみさん。清楚な小料理屋のおかみさんと感じだ。幹事は会社の上司らと来ることがあるらしい。上司らがおかみさんを気に入って・・・という話はまんざら嘘でもなさそうだ。
 それなりの料理の食べながら、話題は転々とする。一品物を作って納めなければならない悲哀。先輩のつての別荘の素晴らしさ(景色と雪深さ)。職場で宴会費などをどのように積み立てて、かつどの様に使っているのか、その違い。もちろん、ここに居ない他のメンバーについても触れた。彼はパチスロになっているらしい。そういえば彼も一時凝っていたようだ。北陸地方から東京支社に転勤することになる先輩の寮は茅ヶ崎にあるそうだ。通勤は一体・・・。彼は口調が変わって雰囲気が変わった・・などなど。
 住居の話になる。私は寮扱いで月6万強のアパート(1K)にそれなりの値段で住んでいる。幹事役の彼は同じ南武線沿いで月7万のアパート。補助が少ないので辛いそうだ。そしたら長野市に住んでいる先輩「2LDKで7万弱」。嘘でしょ?げ、そうなんだ〜。・・・ふう、この差は一体(涙)。
 いきなり幹事と二人でこっちだと車を持つのは大変だよな。という話になった。彼が昔住んでいた大森と蒲田の間の地で駐車場、月3万。私が昔住んでいた寮があった久が原。呑川沿いの低地ならともかく、丘の上の住宅地だったら安くても月3.7万は掛かるという。今も同じかわからないが・・・。ローン、税金、保険、ガス代・・・もろもろ考えれば、とても割が合わない。他の趣味に金を注ぐ我々ではなおさらだ。ぐふぅ。「ふっ、どうせ車なんて10年も乗らないっしょ。」という私のぶーたれに先輩は「うん?俺は今7年目だけど?」。そこで私は基準が大学があった場所であることに気がついた。
 我々の大学はそれはもう・・・海に近いキャンパスだった。もっとも近いところだったら、海岸から1Kmも離れていないのでは?海が近いと・・・そうです。潮風が吹き付けますね。塩が車体に付くとどうなるでしょう?・・・実際、かの地では錆びた軽トラを良く見かけた。学生アパートを探す時にそう古くないはずなのにドアや屋外付きの湯沸し機が錆びかけていることにショックを受けたものだ。偶然だが、3人とも海無し県出身。それぞれ県が違うというのはなんとも。
 そこから話は大学周辺の変わりようについてとなった。最近遊びに行った私が情報を披露すると、驚く二人。「げーっ、マジ?」 先輩はこのゴールデンウィークに確認しに行くつもりになった。驚きを堪能してほしい。確かに周辺は色々変わったのだ。
 「ラストオーダーで〜す」。そして気がつくと「すいません、もうお仕舞いなんですが・・・」。店員に急かされて、店を出る。そんなに呑んでいたのか・・・。時計を見る。9時半少し前。・・・場所柄を考えると妙に早く閉まっている気がするのだが・・・。
 ホテルに戻る先輩と別れ、先週の土曜日に同じサークルの別の先輩方に召喚されて夜の10時過ぎに歌舞伎町の居酒屋に向かったことを幹事の彼に話した。どうやら、少し前に彼と私が入れ替わった面子で飲む機会があったらしい。おかしい?そのうちの2人は遥か遠方に住んでいるはずなのだが・・・(謎)。
 思い出話を沢山しながら南武線。またそのうち飲むことを約束し、私は先に下りた。

 ちょっとしたギャンブルに手を出してみた。
1000円ほど勝った。でも明日にはどうなってることやら。
 明日は川崎で久々にあう友人と呑みの予定。
さて・・・。
 深夜、JR川崎駅から20分ほど歩いて帰宅。
止せばいいのに、それからチャットしながら呑み直し。いや、それまでよりも呑んだのだから、「直し」というのが正解なのか・・・?
 宙を作ることになって、チャットしながら、呑みながら作ってました。そのために出来た宙も酔っ払いらしいものに・・・(汗)
 で、結局意識を失ったのは5:00。起きたのは・・4:30。ええ、そうです。そういうことです。良い夢、見せて貰いましたよ。ふう。

 一日潰しているし・・・(大涙)
まあ、天気が悪かったから・・「せっかくの・・・」という思いは少し低いかな。でも、これで引越し作業日がまた減った。このままで、引越し完了できるのか?<俺

 で、目が覚めた切っ掛けは電話なんだが、そこで語られた話の重いこと重いこと。いや、語り口は軽いんだけれどね。
「知り合いが癌に罹ったらしい。それも自覚症状がでて病院にいって判明して。肝臓癌らしいんだけど・・・」
それは大変だ。
「で、ベットが開くのを待ってるの」
え?入院しているんじゃないの?
「実家に近い病院のベットが開くまで待ってるんだって」
「肝臓癌に良性ってあるの?本人から聞いたんだけど・・・」
聞くとその人はまだ20代らしい。医者じゃないので癌の進行の早さとか判らないが、ヤバイんじゃないのか?<入院しない
「4月ぐらいには開くらしいんだけど・・・」
早くてもまだ1週間ある。それまで放って置いていいのだろうか?
「本人、結構もうだめだと思っているのか。会えない、会ってない人と頻繁に会うようにしているみたい」
もし末期ならば、入院したらそうそう出掛けられないだろうしなぁ。
「実家の親にも知らせていないみたい」
・・・マジですか?そういう家庭環境なのか?いやしかし・・・
その人の話が丸々本当だったとして、友人であるところの電話主はどうすればいいのだろうか?
1.一度入院したら二度と出られないかもしれないが、救急車でも呼んで強制入院させる。
2.その人が望むままにさせる。
簡単そうで簡単じゃない問いだ。
ガン保険どころかもしかしたら健保すら入っていなかったら、入院したところでどんな治療がされるのか?
実家の家族との関係が崩壊していたりしたら、誰が看護する?
この一週間、放置しておくことで癌の進行が更にすすんでしまったならば、何もしていなかった周りは死期を早めるのに間接的に手を貸したことになるのでは?
事実を知っていて無視する。これは罪ではないだろうか?
非常に倫理的な問題になってきている気がする。唯一の正解はないだろう。
「独りで生きていく」ことの実際についても深く考えさせられる話だ。

 貴方ならどうする?

今日の日記

2001年3月24日
 いつもの通勤路の本蒲田公園にしだれ桜が一本植えてあります。
 このしだれ桜、今が満開!とってもキレイ。
公園を通り抜ける人は沢山いるけれど、ちょっと見上げるだけでしっかり堪能する人はほとんどいません。
 一生懸命咲いているのに・・・
 そこで私、このしだれ桜のために「お花見」を決行しました。
 近くのマルエツでツマミを、光屋で清泉特別本醸造4合瓶を購入。そして、いそいそと・・・うっ、しだれ桜前のベンチには先にカップルが・・・。
仕方ない、公園脇のセブンイレブンで席待ちだ。
 カップルが消えてから、ベンチに陣取り、ツマミをパクパク食べたり、4合瓶直呑みしたり・・・
はっ、花見、花見・・・キレイだねぇ〜。
 と、携帯が鳴る。大学の頃の先輩からだ。
「今、新宿」
 ということで、気がつくと歌舞伎町の「海峡」にいました。再会を祝して乾杯〜。
 お花見が宴会になってしまった。でも、これも良いか。一夜で2つのイベントをこなしたって感じ?


 アーティスト上野茂都さんの個展の打ち上げで会った、町田久美さんの個展を見に出掛けた。
 会場は谷中にあるギャラリー猫町。谷中には一度も出かけたことがなかったので、そういう点においても楽しみだった。
 地下鉄千代田線千駄木駅を出て、すぐの信号を渡る。数歩歩いてわかる。いつもとは「違う」ところに入り込んでいることを。
 散策マップを片手に歩いている人たち。江戸民芸の「いせ辰」はこんなところにあったのか。
 ギャラリーは住宅地、道路に面した階段を上がったところにあった。ふつうの住宅を改造したような感じ。ごめんくださいと声を掛けたくなる。
 本人はいないだろうと思っていたらいきなり本人がいた。お話を伺いながら作品を観た。彼女は招き猫や福助人形を題材に「人が知らない彼らの日常」を描いている。日本画を専攻していたということで、和紙に墨で描いている。その世界観は独特で、コミカルな題材のはずが異界のものを覗き込んでしまったような気持ちにさせる。真夜中歩いていたら、薄汚れて虚ろな目をしたキューピー人形に出会ってしまったときに感じるヤバさ。
 平面作品だけでなく、てびねりの招き猫などもあった。そこで眼にしたのは真っ黒く顔の所が金色で半月状に塗られている作品。他の物とは「違う」。来てみたところ、夢に見たものだという。この人の作品は見る人を無意識界に強制的にリンクさせるものなのかもしれない。
 DMに印刷されていた作品はニューヨークで展示したときに元絵が紛失してしまったらしい。展示しているシルクスクリーン(30部限定)のみしか残っていないという。他にもむやみに折られてしまったりと散々だったそうだ。
 惹かれる作品があったが、そう気軽に買える値段でもない。小一時間ほど堪能して辞することにした。
 外をでるとすでに夕方。朝から何も食べていないことに気がつき、蕎麦屋に入ってちょっと引っかけた。新装した雰囲気の店だったので期待したが、それなりの味。
 小腹は膨れたが、気持ち的に物足りなかったのでちょっと気になった喫茶店に入ることにした。その店の名は「乱歩」。入り口周辺には猫関係の張り紙がたくさん張ってある。さきほどのギャラリーといい、この町は猫に何か因縁があるのだろうか?
 不思議に思いながら店に入る。そこは、また異空間だった。ジャスを流していて、それ関係の書籍や資料が置いてあるがそれよりも目をひくのは、民芸品などの雑貨。それもどちらかといえば、セクシャリティな意味を持たせるものが多い。店内の暗さも相まって独特の雰囲気を持っていた。
 夕方なので、散策客もほとんどなく、地元の人たちが文庫本を片手に時を過ごしている。壁を見渡すとマスターの知り合いのアーティストの作品らしいものが飾られている。カウンターには個展のDMがいくつか置いてあった。
 私は入り口手前のカウンターに座った。喫茶店にしても居酒屋にしても、初めての店はなるべくカウンターに座ることにしている。そうすれば、その店が判るからだ。マスターが、馴染みの客がどんな人なのか知れる。カウンターのない店は単なる「店」でしかなく、「居場所」にはならない。今回もそういうことでカウンターに座った。店の雰囲気からおそらくブレンド1種類しかないと思われたので「コーヒー、1つ」と注文。出されたのは私ごのみのサラリとしたコーヒーだった。置いてある本や雑誌に触手が動かなかったので、私はコーヒー片手に文庫本のテキスト化に勤しんでいた。
 私の後から女性が入ってきて、カウンターに座った。馴染みらしく、マスターに今日の出来事を話している。今日は上野動物園に行ってきたと。何を見たのだろうと、アヴァンティの教授よろしく耳をそばだてると、「バナナの木を見た」と。心の中でずっこけた。全てを見て回ろうとしたのではなく、ふらふらと散策したようだ。その行動パターンに個性を感じた私はもう少し観察してみることにした。
 絵日記らしきものを書いていた。水性ボールペンで細かい文字で書き書き。手慣れたイラストが眼に入る。と、カウンター上に置いてあるDMを数えだした。どうやら彼女のDMらしい。つまり彼女はアーティストだということだ。気にしていなかったDM、よく見ると先ほどから気に掛かっているカウンター脇の絵に似ている。発色が全然違うので気が付かなかった。
 「もしかして、この絵は・・・」と額縁に手を掛けながら彼女に尋ねた。やはり同じ作品だった。手元に引き寄せ、絵の全体が見えて、驚いた。その絵は非常にセクシャルな絵だたからだ。下部がものに隠れていたとき、私は暗い部屋に佇む女性の絵だと思っていた。確かに佇んでいたが・・・。
 この女性に町田さんと同様の異質なもの、異界への扉のようなものを感じ取った。私はDMを受け取った。今度、銀座のギャラリーで個展をするという。作家名は「綺朔ちいこ」。
 マスターが飼っている猫としばし遊んだ後に「乱歩」を後にした。すでに日は落ち、辺りは闇に包まれている。逢ヶ魔刻か・・・。私は軽い疲労感と共に駅に向かって歩き出した。

< 80 81 82 83 84 85 86

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索