最近、本当にNHK教育の番組を見ているなぁ。今日も印象深い番組を見た。
 朝、「真剣10代しゃべり場」の再放送を見た。今回のテーマは「親に甘えちゃだめですか?」。テーマ設定者は幼い頃に父親を亡くして以来、母親に負担を掛けないように頑張り続けてきた。最近、新しい父親が出来た。ようやく肩の荷が降りた感じ。高校生にもなってと思うが、改めて親に甘えたくなってる。これって・・・という出だしだった。
 が、話の展開は別の出演者の発言によって、もって行かれる。
「親が子供に奉仕するのは当たり前だ。私は望んで生まれてきたんじゃない。親の勝手で生まれたんだから、その一生を責任持つべきだ。」
この発言に対して、考える事、取る態度は沢山ある。
「父親の脛をずっと齧ってやるんだ。脛がなくなるまで・・・」
この人は気付いていないだろうが、これは愛の告白だ。屈折してはいるが。

 熱心なPBMゲーマーはゲーム世界の現状について情報収集し、その先を予想する。
 午後、ワインに惹かれた振りをして、「育児休業・介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律の一部を改定する法律案」に関する情報を入手しに行った。
 難しいな。もっと視野を広げて、大鉈を振るったほうがいい気がするが、そんな外科手術をするのは厳しいのだろうな。骨太の方針がそちらにも目を向けない限り。事は少子化などとも関わる問題。「国家百年の計」という言葉を踏まえれば、不良債権と同じぐらい無視できないものだと思うのだが。現状のままならば、少子化が止まるはずがない。ここまで個人主義が蔓延してしまっては。

 ワインで幸せな気分のまま、有楽町へ。ボザール・ミューに寄って、井上佳世さんの静物画を受け取る。町田さんの作品を受け取りに行った時に、見て衝動買いしてしまったのだ。クレパスと顔料系水彩を使って描かれているのだが、普通の水彩とは違う味わいがある。油彩のそれに似ている。花瓶に挿した花々の立体感に惹かれた。4つ切りの額に入れて8K円。額代がほとんどなのでは。東急ハンズで売ってる、印刷のポスターだって額装でこれぐらいはする。とても安い買い物をした。

 渋谷のHMVで新居昭乃さんのアルバム「鉱石ラジオ」を入手。明日のインストアライブの入場券と共に。東急ハンズをうろついた後、センター街の奥をひたすら歩いて、喜輪味という怪しいラーメン屋に寄った。メニューを見る。「マヨネーズラーメン」という文字列に目が釘付けになる。私の性格を知っている人はその後の展開は判るだろう。‥‥頼んだ(爆)。これが正解。美味しかった。ここでしか食べられない味。こってりとした味。とんこつ味に引けを取らない。そう言えば最近、マヨネーズが流行っていると聞いた。これ、ブレイクするかも‥‥。300円という値段も手頃だ。

 夜、2件の電話。1つはイベント関係。もう1つは仙台に帰った友人から。仙台公演した私のお気に入りの劇団の話と皆既日食ツアーに関する話。凄い話を聞いてしまった。まともに書くと文字数がヤバイので、これはまたの機会に。

 昨日の衝撃覚めやらず、今日もETV2001 シリーズ「逆境からの出発」の再放送を見た。
昨日の荻野目慶子さんの独白のテーマの1つに「家族」があった。今日の川瀬直美(映画監督)さんのそれにも「家族」が多くを占めている。捨てることのできない過去を抱えて、自己を見つめる。見つめるために、映画を撮る。彼女にとっての映画は映画ではない。
 その彼女の語りもまた鋭く、私にとって痛い。

 1997年、カンヌ国際映画祭で新人賞(カンヌ国際映画祭カメラドール賞)を日本人で初めて、そして世界の女性としても初めて授与されたのが、川瀬直美監督だった。彼女のそれからは輝かしい栄光の日々のはずだった。映像の与謝野晶子になるはずだった。けれども、その『夢』はうち砕かれた。彼女の表現手段である映画を撮影することによって。完成した映画「火垂」と引き替えの離婚。映画のクレジットにある「監督:仙頭直美」はもう『存在』しない。映画の興行自体も奮わず、上映期間は縮小された。

「愛ってなんですか?
 なんで一緒にいるんですか?
 なんでいなきゃならないんですか?

 (別れたあの人を)
 恨んでます。‥‥それが愛かも‥‥。
 傷が深ければ深いほど残りますから。
 消えないですから。
 『思い出す』じゃなくて、そこに『在る』。
 悔しいことも哀しいことも。
 ‥‥こう思うのはあの人しかいない。」

 今度こそ、これが完璧なもののはず。完璧な幸福。幻の幸福。
 一番欲しい物を、完璧な物を得ようとして、却ってそれを、そう思っていたものを失ってしまう。
(私は思う。失うことによって手に入れられるものがあると。)

「私は映画を撮るために、『表現』するために『愛』を捨てるかもしれない。突き詰めれば『表現』するというのはとても個人的なものだから‥‥」

(無粋な「貴方にとって映画とはなんですか?」という問いに対し)
「映画に意味は無い。ちゃんと生きたい。映画なんてどうでもいい。」
「誰も助けてくれない。自分で生きていかなきゃ。」

「撮られている私は電子情報になってるけれど、今、インタビュアーに語りかけているこの私は『なま』なんだよ。」
「これ(この番組)を観て、(視聴者は)何をつくるの?何を感じるの?」
(私は思う。共鳴、共振。新たな、次なる波紋。)

 彼女は現在、「きゃからばあ(*1)」という私的ドキュメンタリー映画を撮影している。

 人はなぜ『表現』するのだろう‥‥。

(*1)仏教用語で「空・風・火・水・地」を表す。
 夜遅く、NHK教育に何気なくチャンネルを変えた。
一人の女性が語っていた。女優、荻野目慶子。
久々に見る姿に最初誰だか判らなかった。でも、あの声を覚えていた。
かつてNHK-FMでふたりの部屋というラジオドラマ番組があった。そこで放送された新井素子原作の『グリーン・レクイエム』(1985年2月放送)。原作ももちろん読んでいたが、私にとってこのドラマは決定的なものだった。長い髪の美しい少女「明日香」を演じたのが彼女だった。彼女の声で語られる山村暮鳥の詩。

 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな
 かすかなるむぎぶえ ひばりのおしやべり やめるはひるのつき
 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな

 ラジオドラマの凄さを知った。その声が消えない。
 それと同じ声が、しかしその当時よりも遥かに複雑なものが混じったものが聞こえていた。疲れと泣きはらした後の空虚さと乾いた哀しみ。

 彼女は独りで語っていた。
残酷なカメラは語っている彼女をアップで写し撮る。肌の具合や皺も。

 彼女は独りで語っていた。
昔の一点を。それからの日々。そして、今。記憶力の良くない私は10年ほど前のスキャンダルを知らなかった。彼女は事件を語る。それが彼女にとってどんなものだったのか。
  『死に至る病』。
 それは、死にたくても死ぬことが出来ない、死に極限まで近づくが死になることができない、死ぬことを死ぬ、死ぬことすら赦されない状態。
 私は彼女が一度壊れてしまったことを知った。

 彼女は独りで語っていた。
昨年、演劇「マクベス」で演じた魔女役の台詞をぼーっと呟く。
「『きれいはきたない、きたないはきれい』‥‥でも、それが人生なんですね‥‥」
「せっかくうまれてきたのだから、一瞬でいいから、「ああ、この瞬間‥‥」というのに出会ってみたい。」
「ようやく『女優』という仕事が好きになれそう。」
「少し前まで生命に痛みを感じた。切花は只枯れてゆくだけ。それが耐えられなくて。」
「庭に木を植える。それは『いのち』を植えるってことだから。楽になりました。」
「壊れてしまった部分はどうやっても壊れている‥‥」

 壊れてしまった。でもその事実を、そういう自分を捨てることは出来ない。それを抱えつつ、そろりそろりと歩き出そうとする姿が見えた。そして、私はその姿を「美しい」と思った。
 猫アーティスト(?)の町田久美さんから礼状が届いた。サインと猫もどきイラストとお礼の言葉。先日、個展を見に行ったことと、作品を1つ購入したことに対するものだろう。「猫燐票」という作品。彼女が旅先で手に入れた額縁に入っている。それは今、TVの上で鎮座している。
 銀座の画廊で開かれた個展の展示作品なんて、大変な値段なのではと思われるかもしれない。しかし年鑑に名を連ねるような作家ならばいざ知らず、若い新進アーテイストの作品に付いている値段はほとんど製作コストのみと言ってもいい。私が購入したものは版画作品なので5k円ほどだが、一品物の絵画にしても10k円ぐらいから。展示会のDMになった日本画も60k円ほど。安くはないが、決して高すぎるということもない。
 うーん、でも別に欲しかった作品あったんだよな〜。そちらは最終日に別の人が引き取ってしまった。3匹の猫が青い線香花火をしている絵。

いぬもあるけば・・・「初日 西−“か”43a」
‥‥ということだ(謎)。久々の色付き。しかし、この前に色付きを貰ったときとは状況は随分変わってきてしまっている。当時、インターネットはこれほど普及していなかった。今はウェブサイトも手軽にでき、そしてそれを世代の偏り無く色々な人に観て貰える。ネットによる個人の情報発信と交流が身近になった分、「情報発信とファン個人レベルの交流を目指したサークル参加」というコンセプトの意義は急速に薄れつつある。比重としてはイベントとして、お祭としてのものが大きくなっている。
 元々、私が参加する目的はある意味、「恩返し」だった。8年ほど前、精神的に参っていたときにエンパワーしてくれた音楽。再翔するきっかけを与えてくれた歌。しかし、決してメジャーとは言い難かったり(失礼)して、彼らに関する情報は不足勝ちだった。全てのアーティストに対して、オフィシャルのファンクラブが有るわけではない。数年前までマイナーアーティストのファンは一部を除き、孤独で情報飢餓の状態だった。注目していた音楽ユニット、一時ラジオ番組を担当するなど活動していたが、番組を終えてたちまち情報が手に入らなくなってきた。それほど売れなかったということなのか。
 90年代に入って、音楽業界は売れるものと売れないものの差が烈しくなってきた。今も続いているが、90年代になって益々、歌は使い捨てられるようになった。使い捨てられた歌はどうなってしまうのだろうか?忘れられ、消えてしまうのか?私にとって大切な、あの歌も。
 歌に「いのち」があるのならば、それは歌われ続けること、聴かれ続けることの中にあるのだろう。
 「紹介窓口の少ないお気に入りアーテイストの紹介と繋がりの薄いファン同士の交流」 私はこれを目的としてサークル参加することにした。以来、小さな声、拙い手であるが、芸能系サークルの1つとして活動している。個人ウェブサイト立ち上げの興隆にその存在意義が揺すられつつも。

 ここ、最大6KBまでだったんですね。ぐふぅ。だらだら書いてた私が悪いのか。

奥井亜紀さんが出演する「TOKYO ACOUSTIC NITE 2001 〜SPRING SERIES SPECIAL〜」というライブを見に行くために赤坂グラフティに出掛けた。開演ギリギリに到着したが、割と良い席に座れた。席を探しているときに、突然ファン仲間に大きな声で呼びかけられたのには戸惑ったが(~-~;;
 私はこのライブ、亜紀さん目当てで見に来たので彼女以外の人を全く知らなかった。オープニングアクトの森脇松平さんはともかく、井口=丘サーファー(^-^;=一彦さん、高橋=情熱のフォークシンガー=研さんまで認識していなかったというのは、今思うとヤバイだろ(大汗)。
 森脇さんが3曲歌った後に、亜紀さん登場。本人、今日はよいことが沢山あったとご機嫌なのだが、どことなく不安定な感じを受ける。歌唱中に振りまく笑顔もまた。マキシシングルから2曲。自己紹介としてデビュー曲。そしてそれ以外に2曲で計5曲を歌った。インストアライブよりも曲数が少ないことに驚いた。
 続いて、高橋研さん。どこか聞いたことがあるようなメロディライン。でも思い出せない。歌も演奏も好みだ。かなり前から歌を歌うことを止めていたという。「それが最近また歌を始めたのだけれど、やっぱりいいねぇ」
 最後は井口一彦さん。昔、「THE HEART」というバンドのヴォーカルをやっていたらしい。ううっ。知らない。この人も歌を止めていた。何を歌うのか決めないで、適当に見繕って歌うというステージだったこともあって、一番長いステージとなった。
 夏の「TOKYO ACOUSTIC NITE 2001」で高橋研さんや他の男性陣と共にツアーをするという話に、亜紀さん達女性陣のツアーと同じ企画であることを知った。出演者に共通するものを感じ、思いに耽る。皆、一度活動を停止している人達。自分の歌を歌うことを止めた人達。井口さんの歌う「傷ついた翼‥‥」という歌詞がキーワードとなって妄想が膨らむ。
 「そうか、彼らは翼傷つきもの、翼折れしもの‥‥『翼の折れたエンジェル』達か‥‥」 メモ帳に考察結果の「翼の折れたエンジェル」という言葉を書き込んだ。翼折れし者達が再び飛ぼうとしている。歌を止めた者達が再び歌い出す。「再翔/再唱」という言葉を思いついた。
 井口さんのステージが終わり、アンコールで出演者全員によるコラボレーション。
「高橋さんもいることだし、これで行きましょう」と歌った歌が『翼の折れたエンジェル』! 確かにMCで中村あゆみの近状など言及していたが、まさか本人作詩作曲の歌だったとは! 全員が掛け合いながら歌って行く。歌詞をアレンジして「翼の折れたエンジェル」の前に出演者の名前を重ねて歌うそれが、私の中で先程の妄想と共振を起こす。「高橋研も‥翼の折れたエンジェル〜♪」「井口一彦も‥翼の折れたエンジェル〜♪」「森脇松平も‥翼の折れたエンジェル〜♪」「奥井亜紀も‥翼の折れたエンジェル〜♪」 嗚呼。
 7時過ぎに目が覚めた。4時頃まで大部屋でOBが後輩に語っていたのを覚えているが、その人達も帰っていた。僅かに残った人達が後片付けをしている。手伝って撤収。朝の風が心地よい。少し肌寒いが。
 9時半。花瓶パフェを食べる計画など惹かれる話を振り切ってJR内野駅に向かった。弥彦村にあるルイ・イカールの美術館を訪れるため。それが今回の旅の2番目の目的。
 越後線経由で吉田駅着。弥彦への接続がものすごく悪いことを知った。11時少し前に着いたのに、弥彦駅行きが出るのが13時。約5Kmに2時間。歩くかタクシーでも使おう。駅舎を出るとバスの姿が。弥彦行きのバスぐらいあるだろうと踏んでバスに近づいた。そのバスは貸切無料送迎バスだった。そのバスの行き先掲示板には「競輪場行」と書いてある。ラッキー!目的地の「弥彦の丘美術館」の目の前が「弥彦けいりん」。そこ行きのバスに間違い無い。貴重な2時間を浮かし、無料で目的地すぐ傍まで行けるなんて!いそいそをバスに乗り込む。流石に競輪場行き。ギャンブル目当ての老人しかいない。ちょっと退廃した雰囲気を感じつつも、心は美術館に。バスは11時に発車した。5人のお客を乗せて。
 発車5分後、おかしなことに気が付く。弥彦けいりんのある海側に行くはずなのに、バスは内陸側にひたすら進んでいる。最初は大きく迂回するのだろうと思っていたのだが、その範囲を超えている。なまじ「無料送迎」のバスだけに、運転手に「降ろして下さい」とは言いづらい。なんで乗ってきたの?という視線に耐えた乗車だったからだ。私は競輪場に行くのよという振りをして対抗していた。
 「勝ったところで10万ぐらいだすけねぇ」「そうそう」老人達の柔らかい越後弁が車内に響く。ひたすら東に進むバス。ドナドナ。 すでに降ろしてもらってもタクシーを捕まえにくいところまで来ている。気分はささくれ。
 読み掛けの本のことを思い出した。「人は平素は自分がどこに向かっているか、人生がどんなものなのか理解できない」
このバスは人生みたいだな。どこに向かっているのか、正確に知ることが出来ないし、それを変える事もできない。運命に対し、ヒステリックに騒ぐか、甘んじて受け入れるか。さて、このPCはどうしよう。どうせ駅にいたところで2時間座っているだけだ。ならばこの状況を楽しもうではないか!これこそ本当の意味で目的地がわからないミステリーバスじゃないか!!(爆)
見方を、意識を変えることによって世界観が変わる。それはPCにとって世界が変わるに等しい。ともかく、この状況を、この旅を、このバスの道中を楽しむことにした。
 バスは東に進む。東ということは弥彦線を逆方向に進む形。燕市に入った。私は思い出した。この方向にもう1つ公営ギャンブル場があることを。そして、バスの行き先掲示板の裏にペンで乱暴に「けいばじょう」と書いてあることに気が付いた。この掲示板の存在理由が判った。外に向けてではなく、中のお客に向けて書かれていたのだ。なんというトリック‥‥。バスは11:25、第一レースが始まる直前に目的地に着いた。「三条競馬場」に。
 降りざるを得ない。降りたからには競馬場に入らざるを得ない。こうして私は産まれて初めてレース開催時の競馬場に入場した。地方競馬なので対して人がいないと思いきや次々人がやってくる。老若男女関係無く。それが意外だった。きちんとギャンブルしに来ている人達。
 入って早速第一レース。カメラ片手に観戦。終了後、次レースの馬群を観察。こうやって馬を見るのも初めて。周りの馬に比べると小ぶりだが、素直で実直そうな性格の4番の馬が気になった。が、馬券を買ったことがないので買わず、変わりにビールと串焼きを買った。第二レース、12時出走。驚いたことに4番の馬が勝った。買っていないが嬉しかった。
 このまま競馬を見るのも楽しいが当初の目的が果たせない。去ることにした。競馬場から東三条駅までのバスに乗車。東三条駅で弥彦線に乗車。相席の老人達は昔、弥彦村に住んでいた人達らしい。同窓会もどきかしらん。弥彦駅に着いたのは13:47。
 歩いて「弥彦の丘美術館」に向かう。途中の「秀作展」という看板が気になる。そのなもの無いはずなのに。着いて判った。私が来たかったルイ・イカール常設展示館としての美術館はそこには無かった。新潟県美術家連盟の作品を展示する場所に変わっていた。余りのことに声もでない。後輩にイカールの美術館に行くと啖呵切った私の立場は? 取りあえず中に入った。13名の作家の作品が展示されていた。その中で猪爪彦一氏の作品が目に止まった。ファンタジックな、でもどことなく寂しい絵。これを見ることが出来たので良いことにしよう。城山森林公園の林道を下りながら写真を撮った。撮影魂が復活してきたのを感じる。些細な、いとおしいものや光景を撮る。リハビリしながら駅に向かった。
 どうやらイカール作品は「ロマンの泉美術館」に移ったようだ。行くか行かないかを駅に着くまでに決めないと‥‥。と目に入る「やひこの湯」という小さな看板。そういえば、温泉があった。弥彦は弥彦神社も含めてかなりの観光地。私はその傍流を歩いているだけだった。‥‥せっかくだから、風呂でも入ろうか?足は観光のメインストリームに。フィルムを消費しながら‥‥気が付くと弥彦神社をお参りしている自分。さっきまで全く寄るつもりなかったのに。巫女さんに惹かれて社務所に近づく。お守り売りの巫女さん〜(爆)。でもカウンターを押して来場者をカウントしている姿にすさまじきものを感じて退散。うーむ。
 日帰り入浴させてくれる「冥加屋」さんを発見。狸の置物に惹かれた(汗)。タオルとバスタオルをレンタルで700円は安い。浴場は3階に。浴場にも狸の置物が。15時過ぎという時間もあって、完全に貸切状態。堪能〜。湯上がり後お茶を頂いて退出。今度は宿泊で利用したいもの。
 ロマンの泉美術館行きは断念。駅までの道すがら、諏訪神社の大木を撮影していると、見たことのある一団。列車で相席していた人達。「昔はよく登ったっけねぇ」と木を見上げて話をしていた。彼らが子どもの時にも巨木は在り、彼らが亡くなった後もこの巨木は在りつづけるのだろう。
 駅が見えた。若い女性駅長さんが外に出て待っている姿からする約束待っている姿からもうすぐ発車することが検討ついた。小走り。お陰で間に合った。
 内野駅下車。「鶴の友純米」を買うために酒屋に向かうとクラクションの音。写真部OBの*さん。なんて偶然。部室まで送ってもらうことに。部室にいた部員に挨拶して退出。
 越後線に乗り、白山駅で降車。フィルムを消費しながら西堀通りに。喫茶店「シュガーコート」が3つ目の目的地。新潟で数少ない馴染みの店。カウンターに座り、店主とおしゃべりしながらアッサムのミルクティーとダージリンのファーストフラッシュを楽しむ。一時間半ほど話し込んでしまった。イエスハウスの事を後でお知らせする約束。お土産にファーストフラッシュを二包み頂いて退席。
 古町に出て、「白寿」でうま煮ラーメンを食す。久々だなぁ。初々しいカップルの会話が微笑ましかった。書店「北光社」に寄る。バスに乗って新潟駅に。万代橋が懐かしかった。最終の新幹線で帰宅。
 (今日と明日の二日間はローカルな地名が説明無く続出します。ご容赦を。)
 今回の旅のお供に私は数冊の本を持ってきていた。内2冊は読みきっている本。旅の途中で読み掛けの本を読み終えるのが目標。本のタイトルは「魂のライフサイクル」。これから二日間の出来事は、PCの物語はこれと相互作用しながら紡がれてゆく‥‥。

 5時半に家を出る。食料品と新聞を抱えて6:40東京発新潟行きの新幹線に乗り込んだ。「たび割7キップ」 行きは早朝の2本の新幹線限定の割引きキップ。新幹線指定席往復で10,700円。安い。最高!寝坊さえしなければ(汗)。
 徹夜明け+ビール。予想通り簡単に意識を失う。気が付くと新潟だった。そのまま弥彦に行くつもりが、気が付くと写真部室前にいた。現役部員と新入部員もいる。通りすがりの誰かさんではないが、何気なく「やあ」と挨拶。今日は新歓合宿の日なのだ。昼企画から参加するか悩んでいたのだが、結局最初から参加することに。
 最初のイベントは撮影会。モデルが二人しかいないので、ポートレイト班と風景班に別れて撮影開始。うちの班は風景班。車を出して、小針浜に。近くでは海釣りに興じる人、遠くではウインドサーフィンに興じる人。そして、気が付くと靴を脱いで遊んでいる5人。何がなんだか。
 お昼はオギノ通りの「キッチンV」で。以前は写真部御用達だったのだが、車持ちがいなくなったせいか、今の現役はこの店を知らなかった。こういう情報の継承も重要だと思うのだが。味は変わっていなかった。嬉しかった。ちなみに、オギノ通りのオギノとは「オギノ式」の荻野久作医学博士に因んだもの。
 部室に戻って、今度はポートレイト班に。新人さんに撮らせるのが目的なので、出しゃばらずに撮っていた‥‥はず。
ここでも気が付くと部員同士で撮り合いが。せっかくのモデル撮影の機会なのに‥‥と思ったが、考えてみれば顔なじみの人と会話しながら撮った方がよい表情を出させ易い。それもあったなのかもしれないが、女子部員が平気で撮影者と被撮影者の立場を行ったり来たりする姿に驚いた。互いに一眼レフを持って、ポーズを付け合って撮影する。彼女達は気軽にやっているが、それが今までのポートレイトとは異なる世界に通じているのに気が付いていているだろうか?主体と客体を簡単に行き来する。主体であり、かつ客体でもある。従来のポートレイトでなく、セルフポートレイトでもない、インタラクティブポートレイトの世界。ふに?インタラクティブポートレイト写真集‥‥面白そう。
 このコンセプトは他のメディアでも使えそうだ。自ら相手の演出家であり、相手の役者である二人によるパフォーマンス。劇空間に「相互作用」が実体化する。
 そんなこんなで、撮影会は無事終了。18時から飲み会なのだが、まだ1時間半ある。そこで有志5人で赤塚にできた新潟厚生年金スポーツセンターにあるラドン温泉に入りに行った。500円。東京の銭湯が400円ほどであることを考えるとまぁ妥当か。
 「半蔵」という居酒屋に集合。飲む。写真部伝統芸の「ワインダー」が伝授された。ワインダーとはフィルムの自動巻き上げ機構のこと。秒間2コマ程度のスピード。もっと巻き上げスピードの早いものがモータードライブと呼ばれている。で、「ワインダー」という芸は酒の入ったお猪口をフィルムのコマに見立てて飲む芸。大したこと無いと思っている貴方。市販のフィルム、何枚撮りがあるかご存知?12枚、24枚、36枚‥‥。目の前に36個お猪口を並べられた光景の壮観さたるや。そして、その並べられたお猪口に入っている酒を間を置かずに次々飲み干してゆく・・・周りが口まねするフィルムの巻き上げ音に合わせて‥‥。流石に最近は12コマで済ませているらしい。昔は36コマに挑んだり、モータードライブのスピードに挑んだ猛者がいたもので‥‥。
 1次会が終わり、合宿所に移って2次会に。合宿所なので酔いつぶれて、そのまま寝てもよい。心おきなく飲む。ビールやウイスキーはもちろん、「〆張鶴」などの日本酒も。そして、合宿に参加できない部員から「雪中梅」一升瓶の差し入れ。さすが地元。東京ではあり得ない差し入れ。「雪中梅」はさすがに特別な酒なので、日本酒を飲み慣れていない女子部員に勧めた。折角新潟に住んでいるのだ。新潟の銘酒を飲まない手はない。
 外では後から駆け付けたOB有志によるバーベキュー大会が始まった。合宿と言ったら怪談話がなければ。そうそう花火もね。
 風邪のぶり返しを怖れて、私が布団部屋に退避した後も宴は続いてた‥‥。
 明日の準備をしながら、深夜番組を見ていた。ある掲示板で話題になっていたNHK教育の人間講座「“きれい社会”の落とし穴 〜人と寄生虫の共生」の再々放送を見た。ほんの少し前までは寄生虫といったら「バオー」ぐらいしか思い浮かばなかった(汗)が、オフ会で目黒寄生虫館ツアーに参加したこともあって、今はそれなりに関心を持っている。でも、今回の放送を見て、全く学んでいなかったことが判明。アニサキスって人間を終宿主とする寄生虫じゃなかったのか・・・。幼虫移行症というのも覚えていない。ツアーで何を見ていたんだ<俺 マラリアも寄生虫病だったんだよね。エキノコックスの劇症ぶりは覚えているんだけどな〜。
 番組終了後、「朝まで・・・」にチャンネルを変えた。ある歴史教科書に関する議論。東京大学のある教授。一言一言噛み締め、言い含める発言に、議論に対する真摯さを感じて好感を持った。が、番組最後の一言が全てを台無しにした。
「視聴者の皆さんに言います。こんな教科書使ったら受験失敗しますよ。」
 そうだよね。日本史学ぶのは試験のため、受験のためだったよね。さすが東京大学の教授。ためになるなぁ・・・。
その怖さを知っていることが幸せか不幸せかはともかく・・・。

 PBMによる交流は幅広い。ネットが普及して、触発されることも多い。交流者のサイトに久々に行き、日々の雑文コーナーを読んだ。そこで、教えてもらったこと。自分の無知を再認識した。[2ch掲示板->リンク;key=974116020 (http:の後に//cocoa.2ch.net/test/read.cgi?bbs=body&key=974116020)]
「無知は罪なり」 痛いな。
 匿名掲示板のヤバさに注目していたけれど、匿名でなければ気軽に書きこむことができないネタが現存することを忘れかけていた。反省。
 高校の先輩にそういう人がいた。からかわれやすいタイプだが、明るく、周りから好感を持って受け入れられている人だった。何かの折でその話になったが、私も含め、周りは「へ〜、そうなんだ」と対して気にも留めなかった。学生ゆえに認識が浅かったのか。それよりも、そんなことを気にしない気概があったと思いたい。
 食物を食らう点からしても何の犠牲もなしに生きることは出来ない我が身であるが、なるべく他者を傷つけることなく生きていきたい(*1)。そう願うが、後ろを振り返ったり何かを知るに至ったりしたとき「無知」の恐ろしさに戦慄する。他愛の無い一言、動作が刃となって他者を傷つける。発した本人にその自覚のないままに。それが恐ろしいのだ。

(*1)己が為していることを考えるとなんという矛盾か。

 少々シニカルな発言が多くなってきた<自分。良くない癖だ。
週末の旅行のためにも風邪を治さなければならないのに。いや・・・はい、仕事も進んでおりませぬ。CDも買いに行ってないし〜。と、おちゃらけてバランスを取ってみる(汗)
 朝、酷い咽喉の痛みと体調不良から休みを取って一日寝ていた。ううっ。今日発売のCDを買いに行きたかったのに。
 これだけ咽喉が痛いのに熱がない。幼児期に扁桃腺とアデノイドを切除したが、もし扁桃腺があったらかなり熱がでたのではないだろうか?
 20時過ぎに目が覚める。うが。流石にこれだけ寝れば良くもなる。汗をかいたが、咽喉の痛みはかなり収まった。食べるものがないので、台所に立つ。昨日、マルエツで購入した処分品の野菜。蕪、葱、茄子、キャベツ。蕪は腐りかけの部分を取って切り、浅漬けの元に浸す。咽喉には葱が良いはずなので、葱と茄子の炒め物を作る。漢料理なのでテキトーに。キャベツの一番上の色の変わりかけたヤバイ葉も刻んで加えてしまう。大丈夫だろ、多分・・・。
 ご飯が炊ける間、TVを見ていたら、「ハンセン病訴訟、国は控訴せず」の報が。小泉さん、「義人」だなぁ。もちろん政治的配慮がそこにもあるのだろうが。国が問われた。そして国はそれに答えた。次は国民が問われる。内なる差別意識との戦い。

 江原由美子「フェミニズムのパラドックス 定着による拡散」、読了。色々な媒体に掲載したものを纏めたもの。シャープな現状分析能力が冴える。その鋭さは彼我分け隔てない。フェミニストが抱える現状における矛盾点にも言及している。円熟した闘士の余裕と悲しみ。「自己決定をめぐるジレンマ」という項目では「自己決定権」という流行り言葉の危うさに気付かされた。
 でも、最後に載せられていたものはどうだろう?別学男子校性の性差意識の分析ということで興味深く読んだのだ。が、調査対象集団は都内の高校生で、ここで述べられている別学男子校生とは私立高校の男子校生だった。この集団選択に問題はなかったろうか?都内で調査するとこうなってしまうのは仕方ないことかもしれないが、別学であること以外の要素が大きなバイアスとしてある気がする。彼らが何故、公立ではなく私立に入ったのか。受験に有利という観点の入学である限り、彼らはパワー信奉者の落とし子だ。そんな彼らが性差意識が強いのは自然だし、受験対策を主とした学校が平等教育にどれだけ力をいれているかも想像しやすい。結論にそう異論はないが、その持って行き方に疑問を感じる。
 ちなみに地方の公立男子校の方がもう少し複雑だ。東京の私立に比べればパワー信奉は少ないかもしれないが、パターナリズム(家父長的温情主義)は蔓延していると思う。

CD感想。HONZI「TWO」(HFM-3001)。この間、ダリエさんのライブにゲストとして出演していたHONZIさんの2枚目のアルバム。かなり良い。夕暮れを見て寂しいと思ったことのあるひとにはお勧め。

 咽喉が痛い。風邪を引いたのかな。

 学生時代からずっとファンであり続けているTAMTAM。6/11にライブ開催のメールが来た。すぐに予約メールを返信。送信後、ザバカラクジラのイベントが同日にあることを思い出した。ま、いいか。
 キルシェのファンサポート企画も動き出す。6/14に原宿でライブあり。アイリッシュパブでやるらしい。その翌日の15日はダリエさんの参加するイベントが原宿ラパン・エ・アロである。半年前にぱぶりか関連で行った場所。
 ニフティのフォーラムでRT(リアルタイム会議)していてら、J−POPに詳しい人からfra-foa[->リンク]のライブ情報を教えて貰った。その場で教えて貰った優先予約回線にアクセス。予約できた。9/23?あれ?この日は種ともこML関係のイベントがあったような・・・(汗)。5/19のクワトロでのライブは凄い人出だったらしい。今回のライブツアーはまだ大阪、福岡、広島そして札幌が残っている。近場の方は出掛けてみてはいかがだろうか?
 ショーロクラブ[->リンク]からライブのお知らせ。6/13?・・なんとイベントの多い週だ。が流石に行き過ぎだ。そんなわけで、ちょっと行くのは厳しいなぁ。面白そうなのだけれど。

 お金も大変だけれど、こんなに行けるのかしらん。出張が発生したら・・・ぐふぅ。
 JR有楽町駅を降りて、ソニー通りに入り、銀座電通裏にあるボザール・ミューというギャラリーに。
ここで5/18〜23まで町田久美さんの個展「猫日」が開催されている。DM片手にギャラリーのあるビルに近づくと、道に止めてある車の脇に2匹の猫を発見。落ち着いた雰囲気の黒猫と、お腹が空いているのかニャーニャーないている茶と黒の斑猫。・・・しばらく黒猫と対峙。おお、そんなことをしている場合ではない。ビルに入り、エレベータに乗る。4階に着いて出ると、多数のDMイラストが飾ってある。猫、ねこ、ネコ、・・・・。「こ、このギャラリーは一体・・・」 それだけじゃない。何故か工藤順子さんのアルバム『平日マチネー』のチラシも飾ってある。
 恐る恐るドアを開ける。オーナー、町田さん、そしてお客さんが2名。町田さんに会釈をして、作品を拝見。ネコだらけだった。
 前回の個展では、招き猫や福助など人形達がモチーフだった。今回はそのものズバリ、ネコ。日本画らしいものやイラストのようなもの、屏風があったり小物インテリアみたいなものも。前回あった手捻りの招き猫達もいた。判りやすいものやかわいらしいものは、銀座にしては手頃な値段ということもありすでに売却印が付いていた。DMに使われていた「さわらび」も。岩絵の具の色彩は余り好みではなかったのだが、この作品は惹かれるものがあった。ああ、貰われてゆくのだね。
 他にも「片耳新月」や「月酔い」など惹かれる作品が幾つも。「月酔い」は最初なんだか判らなかった。どこにネコがいるのやら。ロールハッシャテストのよう。町田さんに見方を教わった。なるほど〜。
「今回、ネコばっかりですね〜」と話しを振ると、ここはネコ専門ギャラリーなのだそうだ。それでビルに入る前に見たものを思い出す。「そういえば、ビルの入り口近くにネコが2匹いて、ないていたなぁ」「あら、餌の催促してるのだわ」とオーナーがネコ餌を片手に外に。あのネコ達、ここで飼っている猫だったのか。さらに驚いたのはあのネコ達は親子だという。それも落ち着いていた黒猫が子供だとか。うーむ。あんなに可愛い声でないていた方が親だったとは・・・。
 個展紹介している媒体として「月刊キャット」や「ねこ新聞」などが飾られていた。色々な発行物があるのだなぁ。
じっくり見ていたら閉館時間を過ぎていた。DMを沢山貰って辞した。
 このギャラリー、ウェブサイト[->リンク]がある。「五月の催し」のコーナーに今回のDMの作品がアップされている。なんと町田さんのコーナーもある。3/20に展示していた作品もアップされている。このセンス、いかがだろうか?好き嫌い別れると思う。芋焼酎のように。填ったら堪らないところも、芋焼酎のよう。
 帰りに寄り道して久が原の喫茶店「世比亜」に。ドアを開くと、マスターはビュアーでマウントされたリバーサルをチェックしていた。ああ、とうとうネガフィルムでは飽きたらずにポジフォルムの世界に入ったのかと感慨。まだ写真を初めて数年なのに、どんどん深くなってゆく。私も追い越されるだろうなぁ。
 「久しぶりだねぇ。いつものでいいかい?」いつものキリマンジャロを頂いた。マスターと写真談義をしていると、奥さんが夕食を持ってきた。店番を交代した奥さんにトーストを焼いて貰った。食べきった頃に、ご近所のお馴染みさんがやってきて、私と同じようにカウンター席を埋めた。マスターにつられて写真に填ったお馴染みさん、今日は昭和記念公園に花を撮りにいったらしい。バラを撮りに行ったら、まだ咲いてなくて、代わりにポピーを撮ってきたとのこと。うーむ。
 「お休みなさい」と挨拶して、店を出た。道すがら、例の骨董屋さんを覗くと店主と目があった。そのまま、お話。今日はお休みのはずなのだが、インテリアコーディネイターのような仕事を近所の豪邸でしてきたとのこと。その凄さに驚いたと。でしょうねぇ。
 町田さんの個展のDMを渡す。さわらびの黄緑は岩絵の具じゃないと出ない色らしい。なるなる。
 店に飾ってある着物の色合いが気に入ったので眺めていると「**さんは着物は着ないの?」と。興味はあるけれど、持っていないこともあってほとんど着たことはない。「じゃあ、浴衣は?」タッパがあるため、温泉宿の浴衣が小さくて情けない格好になったことを思い出した。
 話し込んだ結果、もしかしたらこの夏の花火大会は蚊絣の浴衣で観に行けるかもしれない。古着が2着見つかればね。そのときは下駄も買わないと。サイズあるかしらん。

 夕方、タワーレコード渋谷店に向かう。2階で邦楽ジャンルを物色していたら、種ともこMLの知り合いとばったり。お互い、驚きながら挨拶。キルシェのお花見ストリートライブのときに一緒にいた人。
 その後、インディーズ系を物色。昨日のライブのゲストだった「HONZI」さんのアルバム「TWO」を発見し、購入。
 19時。奥井亜紀さんのインストアライブ。前回と同じように亜紀さんの顔が正面に見える中央部に位置した。背の高い方である自分はオールスタンディングでは後ろの人に気が引けるので、ある程度後ろにいた。それなりの仁義は通したと思うのだが。
 オープニングアクトとして「ヨット」という女性が2曲歌う。張りの在る声が気に入った。チェックしよう。
 亜紀さん登場。6曲、歌ってくれた。全体的に以前よりもよい。奥井亜紀とバックバンドという感じではなく、全員で1つのバンドになっている一体感がある。私にとって嬉しい展開だ。以前のアレンジも良いが、バンドとしてならば今のアレンジがいい。
 まず聞けないと思っていた「夏予報」の弾き語りが聴けた。最後の歌「大樹」、以前は歌詞の大仰さに少し引く自分がいたが、今回はその圧倒的な歌唱の、祈りの波に押し流されてしまった。
 こんなライブが無料で聴けてしまうなんて。しかも、明らかに前回のエッグサイトよりも音響が良かった。いやはや、なんとも。
 ライブ終了後、ファン有志で交流会に突入。はっ、ここは前回と同じ居酒屋(^-^;
 会場で配られたチラシが話題になった。「TOKYO ACOUSTIC NITE 2001」のツアー企画。参加アーティスト名を見て、皆驚いた。奥井亜紀、加藤いづみ、近藤名奈withソラリズム、鈴木彩子。なんて贅沢な布陣。GALPOP全盛時代だったらちょっと考えられない、信じられないイベントだ。それがツアーだなんて。真面目に遠征を検討してしまっている自分。
 ベースのYancyさんのバンド「moo-Chies」のチラシのライブ予告に代官山Hoochie Coochieが。ここって、ぱぶりかが昔の縁でライブしたところ?あんな狭いところでやるのか〜。・・・ということはブルース歌うのかしらん。
 吉祥寺MANDALA2。今日は「Darie」さんのライブ。彼女は私にとって思い入れ深いアーティスト。先日述べたアマチュアの「ぱぶりか」に対する思いと同じ強さでプロの「Darie」さんに入れ揚げている。NHK教育の『いないいないばあっ!』のテーマやCM曲など手がけているため、彼女の作品をTVを通して聞いた事があるはずだ。オフィシャルサイト[->リンク]の紹介リストを見てその数の多さにクラクラするはず。
 階段を降りて、狭い入り口を入ると物販。CDやグッズを売っていた。今回の新作グッズはTシャツ。ぱぶりか関係でオレンジ色に思い入れを持つようになった(PBMのPCにもオレンジ色を・・・)ので、水色とオレンジ色の2色あると言われたときに迷わずオレンジを選んだ。サイズはそこにある一番大きいものを「確認しないまま」購入。身長180オーバーだから、取りあえず大丈夫だろうと思っていた。
 最前列の席は既に押さえられていた。最前列は実は以外に大変。「Darieさんはピアノの弾き語りとステージ真中でアコーディオンを演奏するのでは?」と考えて、どちらでもDarieさんの表情を追える場所として、ステージ中央左よりの席を選んだ。ビールを呑みながら、丸テーブルを介して座っている女性と談笑。話をしていたところ、ファンクラブの会員番号が私の1つ前の番号の人であることが判った。可愛い人だが年齢不詳、取りあえず大学生だと認識してその後会話した。 続々と客席が埋まる。「ザバ歌友の会」の仲間や先日流星観望に一緒に行った人も右後方の席に。***さん、相変わらず、ハイテンション。いいねぇ。
 ライブが始まった。「お神楽が好き」「上海旅行を断念」などのMCを間に挟み、独特の世界観の音楽が会場に響き、支配する。Darieさんは不思議な人だ。私が今まで出会った女性の中でも群を抜いて「解からない」女性。オフィシャルサイトが出来、情報が昔に比べたら各段に多くなっているのに、全然解からない。不可解。不可知。解釈の試みを寄せつけないものがある。というか、この場合、解釈は無意味で不毛な行為だ。解からないものを解からないままに楽しみ、慈しんだ方がよい。鑑賞や交流も。
 間にゲストのステージを入れての2部構成だった。ゲストは「HONZI」さん。・・・すいません。今までチェックしていなかったことを後悔。ヤラレタ・・・。格好いいピチカート姿。やるせない想いを浮かび上がらせる曲。
 ゲストコーナー終了後、先ほどの女性と演奏曲について話し合う。ナツメロのカバーが2曲ほどあったはず。大学生ならば知らないだろう。
 第2部。ガストの紙芝居ボードに曲を提供とのこと。鼠の嫁入りとジャックと豆の木。これの為にガストに行くか・・・(爆)。物販の話も。Tシャツ、アメリカンサイズなのでとっても大きいです、とのこと。えっ?マジっすか?じゃあ、このXLのTシャツは・・・(汗)。そんな焦りを余所に演奏再開。
 ・・・曲と歌に体が反応する。シンクロしてリズムをとる。それが心地よい。幸福な時間。フランクルの思考実験。
 3時間はあっという間だった。

 昼頃から偏頭痛に悩まされた。いつもは眼精疲労から来るのだが、今日のは体調不良から来たようだ。

 19時、久が原の某骨董屋に。焼き物ゼミ。前回は出張で参加できなかった。今まで山上宗二記をテキストにしてきたが、今回は番外編として「茶の湯絵画資料集成」に載っている絵画から茶道具の成立を探るといった内容。昔の絵画をこのような視点で見ることがなかったので面白い。思っていた以上に道具の描写は細かい。
先生はこれらの絵画資料を元に、「大正名品鑑」に対し、近現代の視点で名品を見ているという批判を試みている。「そこに当時の茶人の視点はない。名品は時代によって、拡大していったと考えられる。江戸の名品が室町の名品であるとは限らない。」江戸時代に新たに認定された名品。でもそれが室町時代の価値観でも「名品」と言えるとは限らない。
 絵画をよく見ると、何気ない道具がとんでもないものであることが判り驚く。中世の絵画で描写されている黄金の釜や漆塗りの石臼など。貴族の七夕の遊びは花飾りだったらしい。当時、花は男の遊びだったのだ!先生は「押板」について言及した。床の間とはまた違う、飾り場所。
 中世、西日本は輸入唐物が大量に出回っていたようだ。勿論庶民レベルの話ではないが。長い間には膨大は焼き物が日常、使われていたことだろう。そのような日用品から茶道具が「見出された」と先生は考えている。茶会ももてなしの場というよりも、茶のセミナーや研究会みたいなものだったのではという話だ。茶の「名人」は今の大学教授みたいなものか。茶人といえば、千利休は大陸系の人だったらしく、彼の嗜好に文化的影響がみられるらしい。室町時代辺りではお茶はハレの場所で飲まれるものだった。それがケの場所に移った。この逆転。
 それにしても、日本史に疎い私にとっては意外な話の連続。平安時代以降の歌は万葉時代とは違い、ゲームだったという話はとても興味深い。PBMの元祖と考えられないだろうか。ゲーム故にプレイヤー本人の体験歌でないものもあるという。夫を亡くした妻の歌の対としての、妻を亡くした夫の歌。考えてみれば連歌なんて、PBMそのものだ。言葉のキャッチボール。歌集の「読み人知らず」の歌。実際は本当に読み人が判らないのではなく、編者本人が歌集のバランスを考えて作り、差し入れた歌だったという話は本当だろうか?NPCみたい・・・。自分が小学生のときの宇宙論が役に立たなくなっているのと同じ事が歴史学の世界でも起こっている。昨日の常識は今日の非常識。
 私は小中学生のとき、教科書や歴史ドラマの影響で、古の日本に対し「人々は夢も希望も平安もなく争いばかりで苦しみしかなかった。被支配階級は貴族や武士階級など支配階級に支配され、人権はなく、搾取されつづけて悲惨な生活を送っていた。」という認識を持ってしまっていた。戦後、余所の国に基本的人権を確立させてもらうまで、色彩のない暗黒の世界が続いていたと捉えていた。勉強していて嫌な気持ちになった。日本史が嫌いになった。日本史が嫌いということは、日本という国が嫌い、日本に生きてきた祖先が嫌いに繋がる。そして、その論理的帰結として自分が嫌いということに繋がる。戦後民主主義教育万歳。
 戦後教育といえば、日本語そのものも造語みたいなものだ。NHKの特集番組を見て、GHQ占領当時、日本語表記改変の動きがあったというのを知った。「漢字仮名混じり文は難しい漢字を覚えなければ行けない。それが高い文盲率を生み、民主教育の妨げになっていたのだ。だから日本人の大衆は愚かなまま戦争に突入してしまったのだ。」アメリカ的思考。お隣の国みたいに、漢字を廃止し、カタカナのみの表記にさせられる可能性があった。この文章を全部カタカナで表記したら・・・読みたくないなぁ。どうにかそれは避けることができた。そこまでが番組の内容だった。
 ・・・が、話は終わらない。ここ[->リンク]で語られている国語改革の話は本当だろうか?
>(抜粋)クニの中心に王がいては民主主義といえないから「国」にしようとか、日本語に魅力がなくなっては困るから「魅」を当用漢字に入れよう、詩人や学者に差し支えがあるから人名漢字別表に土岐善麿の「麿」、大野晋の「晋」も入れよう、などとかなり主観的に決められた・・・
 呆れるほど、イデオロギー的というかなんというか。もはや笑い話。なんかこう、足下をガッとすくわれたような気持ちになってしまう。閑話休題。

 ゼミが終わるといつもお茶会になる。次回の日程を決めているときに、先生と一緒に美術館巡りをしたいという話がでた。お忙しい先生の日程が開いているときにできればいいなぁと。丁度、来週末5/25から根津美術館で開館60周年記念名品展「第二部 国宝 漁村夕照図・鶉図 ―東山御物と唐絵の世界―」が開催される。これを見に行こうという話になった。日程は・・・私は行けるかどうか判らないので、棄権した。でも、悩む〜。こういう機会は滅多にない。以前ニフティの芸術フォーラムのオフ会として、琵琶湖湖北の十一面観音像を拝観するツアーに参加したことがある。あのときも博物館館長さんが引率してくれ、解説を聞きながら見ることで深い見学をすることができた。今回もそういう体験ができるはずだ。
 先生が帰られた後、ゼミ参加者の親子さん達がもしかしたら秋から参加できなくなるかもと言った。お仕事の都合?と店主が尋ねると、ニューヨーク付近であるモノの認可が降りるのを待つためだという。あるモノとは「iBot」と呼ばれる画期的な車椅子だ。ゼミに参加している娘さんは電動車椅子に乗っている。iBotはこれよりも遥かに高機能。階段を単独で登り、今までの車椅子では不可能な悪路を走破できる。素晴らしい機械なのだが、日本ではいつ認可が降りるか判らないから、アメリカで手に入れたいということなのだ。健常者である私でもTVでそれを見て衝撃を受けた。ならば、二人にとってあの機械はどれほどのものだったろう。
 「日本はなかなか認可が降りないから・・・」 安全性確認は重要であることは認識しているが、車椅子利用者の自立のための「翼」となるiBotについてはなるべく早い認可が降りて欲しい。というか、国が積極的に広めるべきだと思う。バリアフリー化の資金を回して補助金を出したり、価格低下の支援をしたり。できることはあるはずだ。

『秘められた胸の奥でながす涙が この世の中で一番かなしい涙だと人はいう 泣いていることなど誰にもわかりはしないが 人は志をおなじくする者の死に 歯を食いしばって涙をながす 何も言わず心の奥で涙をながす』

 また翌朝便のお世話になった(大汗)。
 午後は日曜に果たせなかった坂口電熱訪問のリベンジに。
ラフな格好で質問しに行ったところ、学生と間違われた(苦笑)。話をした結果、自分達はかなり行き当たりばったりな実験をしようとしていることが判った。仕切り直しした方が良さそうだ。
 用は15時には終わった。上野に行き、ヴェネツィア絵画展を見た。さすがに平日の午後、空いていた。興味深かったが、印象に残るものはあまりなかった。
 田町の喫茶店に行きたかったが現在、茶葉の販売しかしていないらしい。諦めてそのまま渋谷に向かう。軽食を食べた後、ラ・ママに。
 今日は「Public-A!」のライブ。ぱぶりかファン「ぱぶりかん」を見つけ、一緒に開場を待った。今回は一番目、さすがに集まりが悪い。それでも続々集まるおなじみさん達。今日の演奏は割としっとり聞かせる感じの曲目だった。ゆっくりと体を動かしながら楽しんだ。
 今回は対バンも充実していた。今まで、どちらかというとぱぶりかの対バンは方向性が異なっていて、ぱぶりかが異色バンドとしての出場だった。今日はそうでもない。ぱぶりかん仲間が勧めてくれた「AS Brothers->リンク」は音楽の志向がかなりぱぶりかに近い気がする。彼らも楽団系バンドだと思う。他のバンドもよい感じ。「つかばJUMBO」に「SUGAR COATED BOMBS」。
 打ち上げ会場に向かう直前、携帯が鳴る。親からだ。家族が増えたらしい。名前はポン太?犬にそういう名前を付けますか(^-^;; 来月24日に祖母の一周忌をする話が本題だった。
 ラ・ママの講評待ちをしているメンバー以外は、打ち上げに。会場はいつもの居酒屋・・・が混んでて入れない。仕方ないので隣の焼き鳥屋にアタック。地下の座敷が空いていた。奥のテーブルに陣取る。前から興味あった店だったので、喜んでいる自分。てつやさん、いきなり鳥茶漬を頼む。何故?食して正解!旨い〜!焼き鳥も、鳥ワサも旨かった。ビールをゴキュゴキュ。今回初めて打ち上げ参加のぱぶりかん1名。それぞれ、どんな経緯でぱぶりかを知ったのか披露。
 私の場合・・・2年ほど前だったと思う。スターパインズカフェで行われた(恐らく)ザバダックのライブの後、ライブハウス前で屯っていたファンの中の一人が「今度、四谷フォーバレーでライブやります〜」とチラシを配っていた。カクウというソロユニット。そのライブを観に行った。そのときの対バンの1つがばぶりかだった。最初のイメージは、「おお凄い。ヴァイオリンやってる人がいるよ。MCもネタに走ってる〜」だった気がする(汗)。アンケートに答えて以来、雰囲気のあるイラストDMがずっと送られてきた。日程が合わなく(当時、平日に見に行くほどの気概はなかった)て1年近く見に行かなかった。次に行ったのは、ミニアルバム「ACO-ROCK.」発売記念ライブだったろうか?彼らのウェブサイト立上げがきっかけだったと記憶している。[Public-A!BOMB!->リンク]
 改めてCDを聞いて、更に衝撃を受けた。こんなバンドがあるんだ・・・と思った。ライナーノーツやウェブサイトのコンテンツを読んで思った。「追いかけたい。時を共有したい、共に掛け抜けたいと思うバンドを見つけてしまった・・・」 その次のライブだったろうか、打ち上げ会場にいる自分を発見していた。
 Public-A!(ぱぶりか)。そのバンドイメージは「終わりのない旅を続ける、旅に生きる楽団」。行き先なんて誰も知らない。大事なのはいつも今だってこと。喜びも悲しみも全て。

 無数の伏線の存在を感じる。今後、更に伏線が顕かにされ、輪は広がり、網は密になるだろう。

P.S.この後、地下だったために携帯がダメで、残りのメンバーからの電話を受信できていないことが判り、大騒動。やらかしてくれました(^_^;

 夜更かし。結果、寝坊が怖いので、ほとんど徹夜状態で出張に。ヘロヘロになりつつも、課題をこなして作業終了。
黒磯駅への定時送迎バスはすでに出てしまい、臨時送迎バスの出発までは2時間近くあった。タクシーを呼ぶのも経費で落ちるとはいえ、無駄な気がする。で、歩くことに。約40分の道のり。

 5月になり、日が延びてきた。18時過ぎでもまだ空は明るい。青い稲はまだ丈が低く、田んぼは夕焼けの空を映している。右に見える小山の木々が風に揺れている。サッカー場のウェーヴのように。
 国道4号線に出る。那珂川の支流に掛かる橋を渡る。対岸に大きな藤の木があった。藤の花が散在している。思わず足を止めて、見とれる。私の背後では轟音を立てて自動車が行き交っている。
 田舎を離れて、都会暮らししているせいだろうか?田んぼの畦で風に揺れている雑草のヒメジュオンの花が特別なものに見えてくる。
 那珂川に掛かる新晩翠橋を渡る。川は深い青緑色。対岸の林の木々の上に大量の羽虫の群。夕暮れ時を演出。私の前を先導する2匹。
 夕闇迫る黒磯駅に着き、車中の人となる。缶ビール1本で気を失う。
 尻手駅。再び歩き出す。暗い道のり。ジャスミンの甘い香りが私を包んだ。
 AERAを買った。シンガー・ソムリエール野田幹子さんが載っていると聞いたので。
野田さんが出ている記事はワインブームが去った後のワイン愛好者の現状報告といったところ。
 ブームは人々の関心を一気に集めるが、それが去った後の反動も大きい。それはその通りなのだが、今回はその反動を必要以上に大げさに取り上げている感じが鼻につく内容。さも、現在ワイン愛好家は不遇であるかのように。よくある構成だが、底が知れる。<他山の石
 野田さんの登場は嬉しいが、こんな風に取り上げる程のことなのか?ワイン愛好家が冷遇されているというのはピンと来ない。恐らく、ブームに対する関わり度が違うのだろう。ブーム時にマスコミが取り上げたような飲み方をしている人は私の周りにはほとんど居なかった。
 ブームの恩恵は大きい。ワインの価格帯が広がった。チリや東欧の安いワインが手軽に入手できるようになった。純米酒好きな私は安いカベルネ・ソーヴィニヨンを愛飲している。日本酒よりも翌日に残ることが少ないので、その辺も選択基準になっている。ブームだなんだということではなく、安くて旨いから飲むようになったのだ。今も飲んでいる私以外の消費者もそうなのではないだろうか?昔よりも気軽に自分の背丈に見合ったワインを愉しめるようになったということだろう。自らの価値観を基に、機能と価格を検討し、納得して購入・消費する。そんな消費生活が、「粋な消費生活」だと思うし、その様な消費者が成熟した消費者の姿だと思う。
 尤も、この記事はブームの終焉を取り上げるのが主の意図ではないのだろう。隠された意図は「個人的な趣向の選択に際し、周りの視線を気にしなければならない」日本人の姿を顕かにすることだろう。

 それにしても・・今の時代は「個性」が求められるという。しかし、その中に含まれる「オタク的なもの」は否定される。これはどういうことだろう。個性に良い悪いがあるのか?結局、市場価値のない個性は認められないということか?金にならない個性は個性ではないのか?ゆとり教育が目指す「個性」はどんな個性なのだろう。


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